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PRANJ(政策海外ネットワーク)リポート
ワシントン発 月刊論座2004年9月号掲載

「歴史的転換点での大統領選挙で問われるもの」

酒井吉廣:米国野村証券 マネージング・ディレクター


この選挙の経済論争では、今後四年間の経済運営だけでなく、多国籍企業の隆盛や「国家」の揺らぎなどを見据え、新たな国際経済秩序をどう築くかが問われている。

 正式にケリー大統領候補、エドワーズ副大統領候補が選出され、米国大統領選挙は候補同士のディベートを中心とした大詰めの選挙戦に入っていく。雇用等の米国経済の問題とイラク(対テロ戦争)問題が大きな焦点となっており、それ以外でブッシュ・ケリー両陣営の政策案に特段の争点となりそうな相違は、今のところ見当たらない。一方、この二つの争点における両者の主張は、一九七〇年代に「新国際経済秩序」ということが言われて以来、米国が何度か繰り返してきた国際経済秩序の再構築を改めて考えるべき大きな転換点の到来を予感させ、大統領選挙という観点だけでなく、今後の米国の新たな中長期的な政策を考えていく上で重要な点になると思われる。

新たな経済問題の発生

 米国経済は、中国の追随を脅威と感じつつも、現時点では日欧との経済競争を制して頂点にあると達観することが可能である。だが、基本的には、金保有の大幅減少を理由に三十三年前の八月に起こったニクソン・ショック以降、自国産業の国際競争力低下やその米国内への影響を如何に最小限に止めるかとの課題から抜け出せてはいない。第二次世界大戦後の米国は、欧州や第三世界諸国に米国製品を売って大幅な利益を上げ、また、例えばコカ・コーラ社のような自国の多国籍企業が世界各国に投資(企業買収を含む)をして、その利益を独占的に享受するという仕組みが、他国の経済復興・発展とともに徐々に崩れていく一方、これへの対応として、自国の強大な国際政治力と自国内の様々な技術革新によって新たな経済発展の道を切り開く歴史であったと言える。

 そして、ケリーの指摘する「雇用なき景気回復」の問題は、ある意味では七〇年代から八〇年代にかけて自動車や半導体業界で起きたような日米貿易摩擦とそれへの措置に類似すると捉えることができる。しかも、従来は、他国に追い上げられた分野から、よりハイテクな分野、より知識集約型産業へのシフトや、輸入規制等の保護政策によって解決できたほか、日米貿易摩擦の時のように相手国企業からの一方的な輸出であれば、為替水準の是正など採るべき方法はかなり明快で、且つ米国の力を持ってすれば比較的容易であった。しかし、中国などは、国としては貿易不均衡・競争の相手ではあっても、その国にある企業の多くは米国企業の子会社で、それらからの米国への逆輸出が相当のウエイトを占めるようになっており、問題が「国家」としての枠組み、産官共同での国際競争というような従来型の米国の対応を超えたものとなっている。これは、政府として、グローバルな競争力を武器とする自国企業のバックアップをしてきた結果が、自国内の雇用や生産活動に影響を与えるという新たな問題の発生であり、これまで同一視できたグローバル化を進めた企業と国民のどちらを優先するかのジレンマの発生でもあるのだ。

両候補の経済政策と景気の現状

 両陣営の経済政策案は、この観点で、自国の技術革新能力等の高さを信じて市場原理や米国経済自身が持つダイナミズムに任せつつ、政府は二国間の自由貿易協定など自由競争の確保に注力することを基本とするブッシュと、スーパー301条を含めた米国政府の強い関与によって不公正取引の撤廃などを行う保護主義的色彩の濃いケリーで明確に異なっている。敢えて言えば、米国を軸とする民主主義と自由競争の国際社会の早期確立を目指すブッシュが、その一翼を担う企業の行動を容認し、その結果としての米国全体の利益を考えているのに対して、ケリーは、より短期的・直接的に弱者である米国民への支援を優先しようとしていると見ることも可能であろう。どちらも米国の国益を大前提としているとはいえ、その進み方は大きく違う。

 米国経済は、景気拡大が確かなものになりつつあるとは言え、現時点では不確実性が少なくなく、あるクリントン時代の政府高官が「国民は天気予報を見せられているようなものだ」と指摘するような状況である。すなわち、六月のFRBによる利上げ後も経済指標が意外と振るわなかったため、債券・株式市場等では、これまで織り込んだ利上げ水準を調整する動きが見られるなど、七月は今後の選挙投票日までの波乱を予想させるような展開であった。

「雇用なき景気回復」についても、雇用も今後は本格的に回復するとの見方が強まっているとはいえ、未だその足取りが固まったと言い切れる状況には無い。

 今回の景気回復が始まった二〇〇一年十一月と昨年末の非農業部門雇用者数を比較すると、企業調査ベースでは減少しているが、家計調査ベースでは八万六千人/月増加している。一時、雇用が回復していないとのケリーの批判に対し、共和党サイドでは、大企業から離職しても、零細企業に雇われたり、自己営業を始めた者もかなりいるため、むしろ経済構造の変化の中ではこうした点を含めて見ることのできる家計調査ベースを併用すべしとの意見があったが、このデータは、この意見を裏付けるように見て取れる。ところが、今年の家計調査ベースの計数をみると、八万二千人/月と昨年までと同様の増加ペースであり、しかも、フルタイムの純減をパートタイム等の増加で補っており、常識的に考えれば、雇用が質を伴った回復をしているというのも早計であることがわかる。一方、本年四月以降の雇用者数の動きをみると、企業調査ベースで二十二万三千人/月の増加だ。この数字をみて、今度は共和党陣営を中心に多くのエコノミストが雇用の本格回復が始まったと判断したが、これを家計調査ベースでみると、十八万四千人/月の増加に止まり、この間、フルタイムは月によって増減を繰り返している。家計調査ベースはデータの信憑性の問題が残るものの、現段階で雇用が本格的に回復に向かい始めたと判断することの難しさがわかる。しかも、企業調査ベースで業種別の雇用の動きをみると、建設、人材派遣、飲食店、ヘルスケア等、どちらかといえば低賃金で、パートを多く雇う業種で増えており、仮に雇用の拡大が本物になりつつあるとしても、まだ米国人が望むような形ではないとの判断も可能である。雇用統計に見られるまだら模様は、仮にその背景に経済構造の変化があるとしても、国民が肌で感じる景気回復が未だ本格的には始まっていないということを意味しているのかも知れない。

現在の景気回復とその政策評価

 ここで、この四年間のブッシュ政権の経済政策を振り返ってみると、就任直後からの景気後退に対応した十年間で一兆三千五百億ドルの大型減税、配当二重課税軽減を柱とした十一年間で三千五百億ドルの減税に加え、「法人向け税制優遇措置」などの景気刺激策、更には9・11後の対テロ戦争関連で二千二百十一億ドルの政府支出といった積極的な有効需要喚起策と戦費支出、すなわち、クリントン政権時代に達成した黒字財政を再び大幅な赤字に戻すことを覚悟した景気回復優先・対テロ戦争遂行優先策の実施をその特徴の第一としている。また、鉄鋼のセーフガードの発動と撤廃、中国製繊維三品目に対するセーフガードの発動など、対象を特定した保護政策のほか、二国間自由貿易協定の推進等も実施。これらに、緊急かつ効果的な超金融緩和を含めた総合的な効果が現在のマクロ経済指標で見た景気回復に繋がっているのだ。ただ、注意すべきは、減税と政府支出額はともに納税者としての米国民の将来まで含めた負担となっていく点である。

 これに対して、マクロ的な景気回復の恩恵が一部の勝ち組企業と個人富裕層に偏って享受されており、その裾野が国民全般まで広がっていないという点を問題としているのが、ケリーである。極端な言い方をすれば、四年かけて国民の負担を前提とした大幅な財政赤字を作ってまでの政策の結果なのに、その利益の享受が公平に行われていない、というものである。そして、その証左の一つが、雇用の回復が景気拡大に伴わない、という主張なのだ。

 米国民は、対テロ戦争で家族の尊い命を犠牲にし、その戦争の費用を(将来まで含めれば)自分達の税金で賄い、それでいて、景気回復の恩恵も受けられない。こうした複合的な批判が、基本的な民主党支持者の見解であり、これがイラク戦争の泥沼化や、自分達への恩恵が少ない景気回復への不満となっている。そして、ケリー、エドワーズの演説は、こうしたブッシュ政権批判を強めている。

イラク:もう一つの経済問題

 ここで、財政収支悪化の一大要因であるイラク(対テロ)戦争の問題を見ておくと、米国は自国兵士の死という多大な犠牲、中東地域のパワーバランスを破壊するという事態を招いただけでなく、戦争の持つ経済的問題に再び直面する結果となった。米国にはベトナムの教訓があるが、それは、圧倒的な火力を持ってしてもゲリラ戦を展開する相手に勝利することは殆ど不可能に近いと同時に、そのコストが非常に大きいというものである。イラク戦争を米国の国益のための戦争なのかと揶揄する声は今も存在するほか、この戦争を古典的な発想から有効需要を喚起するケインズ政策と位置付ける意見も少なからず散見される。しかし、相手が国家でない場合の巨額な賠償金や戦利品の考えはナンセンスであり、実際、イラク石油利権等も米国が当初予定していたと報道されたようにはなっていない。また、二〇〇一年からの累計一兆五千億ドルもの国防予算は、確かに軍需産業を潤し、景気回復の牽引役を務めたかも知れないが、これによって発生した財政赤字を考えれば、将来にマイナスの影響を与えることも十分ありえるため、単純な評価はできない。なお、現時点での、歳出全体に占める国防費の割合は一八%と、ベトナム戦争(三九%)や湾岸戦争(二二%)に比して少ないものの、明確な敵が誰で終焉の形さえわからないテロリストとの戦いにおいては、敵はやがて半永久的な戦争遂行のための予算ということにもなりかねないリスクもなしとしない。

 こうした問題は、既に一九八〇年前後、特に共和党系シンクタンクを中心に議論された「戦争の経済的技術の変化」の延長線上にあり、テロリスト国家のような敵と戦うためには、一撃にして全てを消滅させる兵器を使うか、自国の経済成長を維持することで勝利までの持久戦を戦い抜くか、のどちらかしかない。後者の場合、日本などの同盟国の援助も必要となる。ケリーが提案する国連への主導的役割の委譲とは、その方法が現時点での米国にとって最適の選択肢であるかどうかという議論を除けば、泥沼化したイラク情勢と膨らみ続ける軍事予算の二つの問題を、より低コストで解決する糸口を見出そうとするものであるとの解釈もできる。イラク問題は、米国にとって、重要な経済問題ともなっているのである。

経済政策と選挙の相互関係

 米国大統領選挙は、多くの日本人にも理解されているように、「州取り合戦」であり、現段階で、レッドステーツ(共和党の赤)、ブルーステーツ(民主党の青)、そしてパープルステーツ(一般に七%とされる不動票で結果が動くような州で両者の混合色)の州別色合いもほぼ固まっている。留意すべきは、紫の州では、両者の政策効果を予想した動き、キャンペーンの影響などの、些細なことでも投票に影響が出る可能性である。前回の選挙では、混乱を極めたフロリダを含め、両者の得票率差が一%台以下の州が六州(選挙人数にして六十人)もあった。

 ブッシュ・ケリー両陣営とも、紫の州、中でも前回接戦となったフロリダ、ウィスコンシン、ニューメキシコ等のほか、ミシガンなど五大湖周辺から東部の州に向けて重点的な宣伝を行っている。一方、テキサス、アラスカ、ユタ、アイダホなどブッシュ大統領が前回圧倒的な勝利を挙げ、知事も上院議員も共和党のような州、逆にカリフォルニアやニューヨーク、ワシントンDCなど民主党が圧倒している州では、ほとんど宣伝活動を行っていない。そして、選挙資金とキャンペーン活動だけみると、ブッシュは、七月時点で二億三千万ドル超を集めており、年初の五倍近い差はないものの、引き続き民主党候補としては過去最高額を集めているケリーの一億八千万ドルを大きく上回っている。ブッシュは、既に一億六千万ドルを費やしてキャンペーンを行っており、従来からの優位を一段と確かなものにしようとしている。

 しかし、これらの州の景気状況は、鉄鋼、自動車など産業構造として厳しい国際競争などにさらされ、必ずしも米国全体のマクロ景気指標が示すほど順調とは言えない。こうした状況下、紫の州ではケリー陣営の保護主義的政策案を支持する層が底固く推移しており、これが、現在まで両候補の支持率が均衡している一因とも言われている。「雇用なき景気回復」の背景には、ある意味で頂点に達した米国のグローバル企業による国家の枠組みを超えた利益追求がある。これが自国民の生活を脅かすレベルになったとき、従来の対日政策のような強硬な措置をもってしても対応しなければならないというのが、ケリーである。一方、ブッシュも、エドワーズの功績が大と言われる繊維三品目のセーフガード発動だけでなく、農産品輸出の保護、失業保険給付期間の延長など、これらの州を意識するような政策も行っている。また、紫州の一部や東部に多いと言われる高齢者などを意識したメディケア改革も実施した。

 このように、ブッシュ・ケリー両陣営の戦いは、金銭面等において圧倒的に優位であるブッシュ大統領が、景気拡大が確かなものに近づきつつある現状においても、ケリー候補を引き離せないというのが実情である。そして、その根底にあるのは、米国が、現象面に現れる問題の裏にある、新たな変化を始めたグローバル経済の中でどのような道を選択していくかという問題である。勿論、一部には日本の自動車産業との競争など、従来通りの経済問題もあるが、基本的には、海外の米国企業からの逆輸入の問題である。これには、米国において比較的低賃金での労働が多いヒスパニックの割合が急速に増えているという事情も実は加わっている。また、対テロ戦争という国民に人的犠牲だけでなく経済的犠牲を強いるような戦争への対処の問題もある。これらは、従来にはなかった問題といえる。

 米国は第二次世界大戦後、幾度となく国際経済秩序を作り上げてきた。その時の経済とは、政治・軍事・法律との密接な関連の中で営まれる利益追求活動である。そして、今回も、従来型のより高度な産業へのシフトだけでは解決するのは容易ではない問題に当たって、世界をリードして新秩序を作り上げることが米国には要求されている。しかし、その過程は、日本やEUだけでなく、新たな大国である中国や、経済的に拡大する潜在力の高いロシアとの調整も必要となるため、従来以上に険しくなっており、ちょっとした失敗が米国を発信源とした世界経済の混乱となるリスクさえあり得る。また、イラク(対テロ)問題も、米国の財政に引き続き大きな負担を及ぼす可能性がある一方、社会的にテロの存在を許せない以上、グローバルな枠組みでの新たな方法を考えなければならない。それが、米国が世界をリードし続けるための課題なのである。

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