*この記事は朝日新聞社の了解を得て転載しています。無断で
転載、送信するなど朝日新聞社及びPRANJの権利を侵害する
一切の行為を禁止します。
PRANJ(政策海外ネットワーク)リポート
ワシントン発 月刊論座2004年4月号掲載
「大統領選と経済:カギを握る国内の雇用と賃金」
酒井吉廣:米国野村証券 マネージング・ディレクター
二月九日、ブッシュ大統領は、大統領経済報告において「昨年五
月以来、ここ二十年で最も速い経済成長を見せている強い米国経済
ツヘ今後一段と強くなる」旨の発言と同時に、二百六十万人の雇用を
二〇〇四年中に創出するとの強気の見方を示した。これは、同大統
領の大統領就任から現在までの約三年間における非農業部門労働者
の減少数(二百二十三万人)を上回る数字である。
これに対して、その前週に労働統計局から発表された足元の雇用
統計が不芳であったこともあり、民主党の予備選挙開始以来、大統
領候補指名争いのトップに立っているケリー候補が「新しいリポー
トではなく、雇用を創出する新しいリーダーが必要だ」と批判する
など、民主党陣営を中心に批判的な見方がなされている。
ブッシュ大統領にとっては、これまでの高支持率の支柱であった
対テロ関連政策が、イラクでの米軍兵士の犠牲が長期継続して出て
いることなどで、むしろ批判の原因になる懸念が出ている状況下、
経済問題でも足を引っ張られることになると、十一月の大統領選挙
の勝利が遠のく結果となるため、これからいかに米国民が「肌で感
じる景気回復」を実現できるかの正念場となっている。
一月末のギャラップ・CNNの調査において、ブッシュ大統領の
支持率が初めて五割を割り込んだ。これは、フセイン元イラク大統
領の拘束後の一月上旬に六割前後まで戻っていたことを考えると、
急な再低下である。もちろん、最大の要因は、米軍兵士の死者数合
計が五百人を上回っているうえ、終わりが見えない中で、米調査団
のケイ前団長が大量破壊兵器はなかったと発表するなど、大統領の
信頼が揺らいでいることにある。ブッシュ大統領は、自分自身を「
戦争のための大統領」と呼んだように、ブッシュ大統領のこの三年
間は基本的にテロとの戦いの期間だったと言っても過言ではない。
そして今、その彼を支えてきた確固たるテロ退治の意思表示と米軍
の圧倒的な力による実現が、揺らいでいるのである。しかも、イラ
クのベトナム化を危ぶむ声が徐々に大きくなる中での「大量破壊兵
器の存在」という大義名分の喪失懸念は、ブッシュ大統領にとって
「大トラブル」となっている。かつて、ベトナム戦争の泥沼化で、
ジョンソン大統領が予備選挙段階で再選への参加を辞退する結果に
つながった状況をよみがえらせるかのようなリスクを指摘する声さ
えある。
また、足元の景気回復が雇用を伴わないため、経済政策に対する
国民の不満が高まっているのも、同大統領には非常に気がかりな問
題である。米国民の多くが、好不況の判断基準を「自分が雇用され
ているかどうか」においているとの調査結果があるが、少なくとも
現在までのブッシュ政権の経済政策では、マクロ経済指標ではなく
、より身近な雇用や賃金収入等の観点から見ると、米国民を、景気
回復が本格化していると説得するのは容易ではない。
こうした状況下、米国民の心をとらえたかのように雇用の創出を
訴えるケリー民主党大統領候補の支持率が急速に上昇しており、前
述のギャラップ・CNN調査では、ついにブッシュ大統領の支持率
を七ポイント上回った。また、この時には、エドワーズ候補もわず
か一ポイントながら同大統領を上回った。もちろん、これをもって
ブッシュ大統領の地盤沈下が今後も続くとは言えず、実際、ギャラ
ップ・CNN調査でも、その後は両者によるデッドヒートの展開と
なっている。しかし、少なくともブッシュ大統領側の支持率の低下
が、民主党候補を相対的に浮き上がらせる結果となっていることは
事実である。そして、この状況は、9・11事件の直後には九〇%
まで上昇したブッシュ大統領の支持率が、イラク問題の混迷化によ
って剥落し、その直前までのレベル(五一%)に戻ったと見るのが
妥当なようであり、いよいよブッシュ政権の経済面での実力が試さ
れることを意味しているとも言える。
<経済政策に影響を及ぼす大統領選挙の構造>
今年は、四年に一回の大統領選挙の年であり、常に自国の利益を
最優先に行われる経済政策も、通常以上に国内政策にバイアスがか
かりやすいと言われている。そして、再選に黄信号が点滅し始めた
ブッシュ大統領にとって、今年は、多くの経済関連政策において、
選挙を意識しているようにうかがわれる。
米国の大統領選挙は、州ごとに選挙を行い、勝った方の候補者が
その州の選挙人数をすべて獲得する方式で、最終的に全獲得選挙人
数の多寡によって決定されるが、予備選挙が終了する夏場には多く
の州の勝敗が決定すると言われている。特に三大大票田であるカリ
フォルニア(選挙人数五十四人)、ニューヨーク(三十三人)、テ
キサス(三十二人)は、過去三回の選挙を通してみても同じ政党を
支持しており、かなり長期にわたり支持政党が一貫していることが
わかる。その一方で、五大湖周辺の鉄鋼・自動車産業等の厳しい国
際競争にさらされている産業を基盤とする一帯は、いつもかなりの
接戦となるという歴史がある。例えば、二〇〇〇年の選挙をみると
、ブッシュ、ゴア両候補は、七月の時点で七州(百七人)で全くの
互角となっていたほか、四州(二十六人)は本選挙と反対の政党を
支持していたなど、非常に接戦であった。そして、この不透明な十
一州(百三十三人)のうち五割以上の七十三人が五大湖に面する鉄
鋼・自動車産業の四州にあった。ちなみに、この時の両候補の選挙
人獲得数は「二百七十一対二百四十九」であったが、ブッシュ大統
領はこの七十三人のうちオハイオを除く五十二人を獲得し損ねてお
り、実は米国史上初めて最高裁判決を仰いだフロリダの集票作業問
題を乗り越えてようやく選挙に勝った彼の苦戦は、もともと共和党
支持が濃厚であったフロリダ(二十五人)ではなく、五大湖周辺の
結果に大きく影響されていたことがわかる。
これらの州の輸出関連産業は、米国の経常収支に多大な影響を与
えることに加え、ワシントンにおいて政府登録のロビイストを非常
に多く抱え、積極的なロビー活動をしていることもあって、歴代米
国政権にとって無視し得ない存在となってきた。ビッグスリーの不
公平貿易解消のためとした為替円高を求めるロビー活動などは日本
人にもなじみが深い。こうした状況下、米国においては、鉄鋼業の
保護政策、自動車等の輸出企業を意識した貿易・為替政策などが、
歴代政権にとって極めて重要な経済政策の一つとなってきたのも事
実であり、かつて、ニクソン大統領やブッシュ大統領(現大統領の
父)などが、現職大統領政党として選挙で圧勝した背景にも、外交
政策面だけでなく貿易不均衡の改善など経済面でも強い米国の復活
に向けた政策が評価されたとの理由がある。
<為替ドル安と鉄鋼のセーフガード撤廃>
スノー財務長官が昨年九月に訪中して人民元のドルへのペッグ制
廃止と通貨切り上げを要求した後も、米国の議会・公聴会等ではド
CKBノ対する他国通貨の切り上げによって輸出競争力を回復し経常赤
字を解消させようとの議論が続いている。この結果、円ドル相場も
、一年前の一二〇円台から一気に一〇五円前後まで円高に進んだ。
米国は、経常収支の赤字を資本収支の黒字で埋め合わせる収支構造
となっているため、これに悪影響を与えるような行き過ぎたドル安
は望んでいないものの、貿易不均衡の改善に効果を与え得るような
ドル安水準は容認している。こうした為替政策は、ここ二十年ほど
の各政権の一貫した姿勢となっているが、これは、直接には国内輸
出関連産業を配慮した政策が、結局は米国全体の雇用や消費などに
大きな影響を与えるとの理由によるものであり、ブッシュ政権も、
今年一月に四十二カ月連続で製造業分野の雇用の減少を経験したこ
ともあって、着実に「米国にとって秩序あるドル安政策」を続けて
いる。
一方、一昨年三月に発動したセーフガード(最高三〇%の関税)
も、ブッシュ大統領の今年の選挙をにらんだ政策であったと見るこ
とができる。実際、このセーフガードは、鉄鋼業界にリストラ・再
編の時間を与えた。しかし、その一方でディスインフレ等の影響か
ら思うように収益拡大ができない自動車産業等から「セーフガード
はコストアップ要因」との批判が強まって、結局、昨年末の一年前
倒しの撤廃につながった。また、EU、日本、中国が報復措置とし
てオレンジ等の農産品ほかへの関税を発表したが、これは前回の大
統領選挙で大接戦となったフロリダや中西部の農業を基盤とする州
などに影響を与える可能性があり、ブッシュ政権としては避けたい
ところであった。なお、撤廃の原因について、早々と民主党候補支
持を打ち出した鉄鋼労組をブッシュ大統領が見限ったためとする指
摘もあるが、薄氷を踏む経験をしたブッシュ大統領が、必ずしも楽
勝を予想できる状況にはない現段階で、得票の可能性を完全に否定
するような態度に出るとは考え難い。
むしろ、ブッシュ政権は、大統領選挙全体を大きく左右する可能
性のある鉄鋼業とその他製造業の両方に配慮した選択をしたとの見
方が妥当であろう。すなわち、同大統領は、セーフガード撤廃と同
時に、鉄鋼輸入業者に特別ライセンスの取得を徹底するなど輸入量
の監視を強化し、鉄鋼産業に打撃を与えるような輸入急増に対して
は直ちにしかるべき措置をとることとしており、万一の場合の反ダ
ンピング制度適用の可能性を残した。保護政策の影響を受ける相手
からすれば、感情が入りやすい反ダンピングの方がよほど嫌なもの
である。そして、一部の鉄鋼製品については、既に米国際貿易委員
会がダンピングの事実ありとの報告を終えている。
このように、一見したところ一業種の貿易問題と扱われがちな問
題も、実は、米政権として基本的に崩してはいけない一線を保とう
としたものであることがわかる。そして、その一線とは選挙結果に
通ずるものであり、現職大統領に失策がなければ、基本的に大統領
選挙には有利な武器となることもわかる。
<新年度の財政・経済政策>
一方、マクロ的な財政・経済政策は、特定した地域や産業を対象
とするものではないものの、基幹産業の違い等の理由から州別の所
得が平均世帯で倍近くも格差がある米国においては、必ずしも一様
の結果を予想することができないこともあり、これも大統領選挙の
争点になりやすい性格を持つ。
二月に発表された予算教書や大統領経済報告については、巨額な
財政赤字や雇用なき景気回復、高所得者優遇など、全体として、こ
れまでのブッシュ政権への経済政策批判がそのままマスコミ等での
批判的な評価につながっているとの印象を受けるが、これについて
も共和・民主両党が賛否両論に分かれて一長一短のある論争を展開
している。
やや子細にみると、予算教書で発表された財政政策は、テロ対策
関連支出の大幅拡大、減税の恒久化による経済安全保障の確保、裁
量的経費の大幅な抑制と上限設定、メディケア等の義務的経費を合
計では増加させない原則、などを柱とするが、これらに対して民主
党候補から、二年連続で既往最高額を更新する財政赤字の拡大、金
持ち優遇、(軍需産業を含む)特定業界への優遇などと批判が強ま
っている。しかし、政権周辺を核とした共和党側からは、昨年まで
の内外両にらみの積極財政と比較すると、将来の赤字削減を予定し
た上でのテロ対応関連に重きを置いた、めりはりの利いた予算案で
あるとの評価がなされている。巨額な財政赤字も、ブッシュ大統領
の立場になってみれば、国民所得対比ではまだ小さいのでたいした
ことはないということになり、財政規律を重んじるがための増税な
どルービノミクス(クリントン大統領時のルービン財務長官の名前
から取られた呼び名)の拙速な採用は、クリントンに敗れる前にブ
ッシュ元大統領(父親)が犯した失敗でもあり、むしろ愚かなこと
という話になる。
一方、実体経済面をみると、これまで内外政策への同時・積極的
な財政支出拡大をしてきたにもかかわらず、また景気回復が二年も
続いているにもかかわらず、いまだ、雇用は悪化したままである。
しかも、今年の米国経済については、減税効果の剥落、住宅ローン
金利低下効果の息切れ、ディスインフレの継続、在庫循環上の生産
のピークアウトなどのネガティブな要因が指摘されており、良好な
景気指標が発表されているのとは裏腹に、先行きの不安感が強いの
が実情である。
実際、ブッシュ大統領が就任して以降減少した非農業部門の雇用
者数は二百二十三万人と、一九九二年二月から右肩上がりのトレン
ドを続けて二千四百三十六万人(年平均二百七十万人)の雇用を創
出したクリントン政権時代と比べて際立った悪化である。しかも、
〇一年十一月以降の景気回復局面で労働人口が二・四%増加してい
るにもかかわらず雇用者数が〇・五%低下しているほか、実質GD
Pが七・二%上昇しているにもかかわらず労働賃金は〇・六%の上
昇と横ばい程度にとどまっている。更に、失業者の平均失業期間が
約二十週間と通常の倍程度まで長期化しているというのは八三年以
来の事態である。このことは、米国民の多くが景気回復の恩恵を受
けておらず、「持つものと持たざるもの」の格差が現実には広がっ
ていることを意味するとして、米国民の最大の不満となっている。
冒頭のような、ブッシュ大統領の強気すぎるとも思われる雇用増加
発言は、このような現状に加え、第二次大戦後、失業率が上昇する
メニツナ行われた選挙で現職政党が勝った例がないとの事実もあって、
背水の陣で大統領選挙をにらんで行われたものと見ることもできる
。
<米国経済にとっての新たな年>
ブッシュ大統領の経済政策の目玉は何と言っても減税政策である
。今年も千五百億ドル程度の減税が行われる。ある学者の調査では
、四人に一人が還付金を消費に回したとの結果があり、またこの冬
のクリスマス商戦で高級品や自動車の売れ行きが比較的好調であっ
たのも、減税効果だとの見方が強い。
その一方で、雇用が回復しない理由として、バブルの最終局面で
の大幅な雇用増加の反動が続いているとの循環要因や、中国やイン
ドへ、単純作業だけでなく高度な技術分野、IT関連のソフトウエ
ア分野までもが移管しているとの構造変化要因が指摘されている。
しかし、この労働のグローバル化は、企業の生産性向上の裏腹であ
る。また、こうした高技術分野の海外流出は、その業務を行うため
のコンピューター関連のハイテク機器の輸出につながるほか、米国
にある本社や納入先との契約、米国基準での会計などの作業を必要
とするためのサービス輸出にもつながる。実際、米国は約五千五百
億ドルの商品貿易赤字がある一方で、サービス貿易は六百億ドルの
黒字である。要するに、「雇用なき景気回復」の背景には、様々な
構造変化が隠されている可能性があるため、ブッシュ政権は、雇用
増加を伴う本格的景気回復の実現とともに、こうした構造変化の分
析を急ぎ、何らかの対応策を考える必要がある。
ケリー候補等の民主党陣営は、具体的な経済政策というよりも、
ブッシュ大統領の経済政策から生じた現象面をとらえての批判に終
始しているため、仮に、ブッシュ政権が雇用の回復に成功するか、
現実の構造変化を見いだして新たな対策を打つなどすると、イラク
等の情勢悪化を抜きにして考えれば、再び形勢はブッシュ優位に戻
る。
今年は、米国経済にとって、大統領選挙という四年に一度の特殊
要因によってバイアスがかかるだけでなく、今後四年間の経済政策
の道筋をつけ、雇用の海外流出など現実に新たな局面に直面してい
ることへの対応策を導くためにも重要な年となっていくであろう。
|