|
「公立学校で実践的な「市民教育」を」 世界週報2003年3月25日号掲載 中村美千代:ジャーナリスト
現在日本では、教育基本法の見直しで、愛国心を盛り込むことについていろいろ議論がなされている。健全な愛国心は必要だが、それ以上に、政治のしくみや自らが社会に対して持つ権利と義務をきちんと教える市民教育が必要ではないだろうか。米国では多くの州で、社会や政府のしくみ、個人の権利と義務を実践的に教える市民教育(Civic EducationまたはGovernment Educationと呼ばれる)が公立学校に義務づけられている。日本でも「公民」を中学校の時に教える。しかし筆者の中学校時代の授業の記憶では「三権分立」や「国会の仕組み」などは暗記したが、なぜこれらが大切なのか、その理由について詳しく学んだとは言えない。表面的な授業のため子供たちの血肉になっていないのが実状ではないだろうか。実践的かつ具体的な米国の市民教育を紹介し、同じように実践的な教育が日本の教育現場にも根づくことを期待したい。 「ジョンソン大統領はケネディほどカリスマもなかったのに、公民権法などケネディができなかったことをなぜ次々と成し遂げられたのだろうか」。メリーランド州モントゴメリー・カウンティの公立学校、ウォルト・ウィットマン高校(約1900人、ジェローム・マルコ校長)で、ロバート・マシス先生は生徒たちにこのような質問をした。「ケネディほど裕福な家庭の出身ではなかったので貧しい人の気持ちがわかったから」と生徒から意見が出る。「それもある。しかしもっと大きな理由がある」と先生。「実は彼は非常に戦略的な政治家だったのだ。法律に反対する政治家たちの弱点をうまく利用して脅した。「私は南部出身の議員なので公民権法には賛成できません」という議員に対しては「それがどうした? 私もテキサス州の出身だ」と強く出たのだ」。 これは10年生(高校1年生)が受ける”Government”の授業の一コマである。このように歴代の大統領がとったリーダーシップについて具体的に話し合い、成績を自分達でつける。 メリーランド州モントゴメリー・カウンティの公立高校では、1年をかけて市民教育を教える。「政府の目的や形態」に15日間、「選挙プロセス」に15日間、「公共政策の形成」に20日間と非常に細かくカリキュラムが決められている。また模擬裁判や模擬議会など、生徒が実際に当事者になったつもりで参加する実践的な授業もある。 筆者が参観した授業では、ドメスティック・バイオレンスを長年受け続けてきた女性が夫を殺した、というケースで模擬裁判をやっていた。生徒が検事役、弁護士役、目撃者役などになって参加していた。模擬裁判が米国で重要なのは、訴訟社会のために訴えられることがある、ということと、陪審制のため陪審員に選ばれる可能性があるためである。裁判関連の映画を授業で見ることもある。 模擬議会では、生徒たちが「リベラル」「保守」「中道」の三つのグループに分かれて、「死刑」や「テロとの闘い」、「アファーマティブ・アクション」などに関する法案について、賛成するか、反対するかを決めて議論する。例えば「テロとの闘い」の場合、「テロが米国の安全を脅かし続ける以上は、米国政府は、テロリストを匿ったり支持する外国政府は倒すべきある。また移民を制限し、盗聴などをして市民の自由を制限、侵害する必要もある」という法案に対して議論をする。生徒たちは、インターネットで法案に関するデータベースを調べて、自分の立場を決める。立場を決める際には、自分の判断が与える社会・経済的影響、選挙区の有権者は自分の判断を支持するかどうか、自分の政治のキャリアはこの判断でどのような影響を受けるか、という点も考慮するように指導を受ける。このように、ただ法案に反対するか、賛成するか、だけでなく、実際に政治家になったつもりで政治のプロセスを勉強していくのである。 議会中継テレビのC-SPANの番組を見て実際に議員の投票行動を見ることもある。またウォルト・ウィットマン高校が首都ワシントンD.C.に近いこともあり、ロビイストや代議士、弁護士などが授業に招かれて話をすることもある。 また特筆すべきは、授業の締めくくりとして提出を義務づけている最終プロジェクトの内容レベルの高さである。ある最終プロジェクトを具体例に出すと、「ブッシュ大統領の経済諮問会議の一メンバーとして、次のトピック(本土防衛、財政赤字、教育改革、税制改革、産業に対する政府の規制など)から一つを選び大統領にアドバイスせよ。ビジネス・リーダー、ロビイスト、圧力団体、歴史家、経済や政治の専門家と長時間話し合ったと仮定してアドバイスせよ。その際には授業で習得した知識や、大統領の一般教書演説、記者会見でのスピーチなどを参考にせよ」というものである。もちろん高校1年生なので、彼らの知識、知力の範囲内のレポートを出すので、高レベルのものではない。生徒の間でも学習能力の差はあり、短い論文ですませる子供もいる。しかし中には、大学生顔負けの、図や表入りで20ページに及ぶ大作を提出する生徒もいると言う。このように子供のころから意見や考えを提案する訓練をしている、という点は日本の教育現場も学ぶべきことではないだろうか。 米国の市民教育の原点は「情報をよく知らされた市民が民主主義には必要である。市民の無知、シニシズム、あきらめは民主システムにとって脅威である」という考えである。また「デモクラシーは見物するための壮観なスポーツではない。市民の積極的な参加が必要である。自由にとっての最大の脅威は、なにもしない不活発な人々の存在である」というコンセプトも根底にある。第三代大統領のジェファーソンは、米国の国家と制度が有効に機能するためには、公教育と市民教育が不可欠であると見抜いていた。 米国では、特に若者の政治に対する知識が貧弱になっていることや、投票率が低くなっていることが近年問題になっており、2月16日付けのワシントンポストで、コラムニストのデービッド・ブローダー氏が、学校の市民教育の重要性を改めて指摘していた。ブローダー氏は「ポスト・フセインのイラクの民主化を話し合うのも結構だが、米国内の国民の政治参加についても大いに話し合う必要がある」と述べている。 日本の学校現場では「政治」に関わる問題を扱うことをタブー視する傾向があるが、民主主義には国民の参加が不可欠であることを理解できる社会人に育てるためには、実践的な教育が必要だろう。2001年10月の川崎市長選挙で、公立小学校の6年生が「子供模擬投票」学習を実施、子供達は各候補者の意見や選挙の仕組みをグループ学習したが、このような試みを全国的に広げていかなければならない。 最後に米国の公立学校の教師について触れておきたい。日本の中学校、高校では、教師が板書して生徒が黙ってノートに取る授業が多い。米国の中学校、高校では、教師はfacilitator(促進剤)でありauthoritarian(権威者)ではない、という考えに基づいている。そのため教師が促進剤になって生徒に積極的に発言させたり、議論させることが多い。マシス先生も子供たちに活発に意見を言わせていた。ウォルト・ウィットマン高校では、生徒たちを学力別にレギュラー(Regular)、アナード(Honored)、AP(Advanced Placement)に分けているが、最もレベルの高いAPクラスでは、生徒の討論が中心で、大学並みの参考文献を読ませてそれを元に討論させていた。 モントゴメリー・カウンティは二年前に新しい教師の評価システム、PAR(Peer Assistance and Review: 同僚支援・評価制度)を導入した。このシステムでは教師を、優良のベテラン教師と、新任の教師と評価の低いベテラン教師の二通りに分ける。優良のベテラン教師は五年周期の評価を受ける。新任の教師と評価の低いベテラン教師は、補助教師の支援を受けながら授業を改善するために努力する。改善が見られると、優良のベテラン教師と同様に五年周期の評価を受ける。しかし改善が見られない場合は、教師には向いていないとして教職を離れるように勧告される。この勧告をするのがPAR Panel(同僚支援・評価運営委員会)で、カウンティの八人の教師と八人の校長から成る。 実はこの新システム導入でこの二年間にモントゴメリー・カウンティでは60人の教師が教職を離れた。この人数は導入前の4−6倍にあたる。多い離職率にもかかわらず、地元の教職員組合はこのシステムを歓迎している。米国の教職員組合は大きく分けて二つあり、一つがAFL-CIOの傘下にあるAFT(American Federation of Teachers)で、もう一つはNEA(National Education Association)である。AFTの広報、ジャネット・バスさんは「教師は同僚の教師をかばうという見方があるが、これは誤解だ。教師は自分の隣の教室に低評価の教師がいてほしくない、と考えるものだ」と言う。 またもともと、このシステムをモントゴメリー・カウンティに導入したのがNEAの地元支部、MCEAのトップだった。当初は教師や校長からの反発が大きかったが、最終的には説得された。MCEAのバイス・プレジデントのボニー・カリソンさんは「以前は校長が教師の解雇を決めていたが、これは権力の乱用につながる。PARは離職を勧告する運営委員会の半数を教師が占めているのでよりフェアだ。またこのシステムで優良教師がきちんと評価されることになる」と話している。カリソンさんは「米国には、弁護士や医師の間で同僚を評価し合う”doctors’ review”や”lawyers’ review”はあるが、教師にはない。しかしプロフェッショナルを自認するなら、教師も同じように同僚評価をすべきだ」と話している。 米国では、固定資産税や州税などが学校の維持費や教師の給料、資材に充てられる。このため税収の差でカウンティごと、州ごとに学校や教師の質に差が出るという問題がある。今回取材したウォルト・ウィットマン高校は、メリーランド州の中でも裕福なモントゴメリー・カウンティにある公立高校であるため、その教育レベルが高い、とも言える。米国の学校教育はそのような問題を抱えていることは見逃せないが、質の高い市民教育や、教師の質を上げるための取り組みをしている点は、日本の公立学校も学ぶべきことではないだろうか。
|
| (C) 2003 Policy Research & Analysis Network All Rights Reserved 無断転載を禁じます。 |