同時多発テロに関連して

 バイオテロリズムについて(2001年9月26日投稿)

 岩田健太郎 : ニューヨーク市ベスイスラエルメディカルセンター感染症科臨床フェロー

私はニューヨークで臨床感染症家になるべくトレーニングを受けていますが、確かにニューヨークの一般の医療従事者はバイオテロリズムに関する知識があまりありません。そもそもFBIはいままで100件以上ものバイオテロリズムの可能性を検知し、捜査していますが、オレゴンでカルト的宗教団体が細菌をばら撒き、下痢症が蔓延した一件を除き、いわゆるテロ行為による生物兵器の事例を米国は経験していません。とはいえ、私たちを含む感染症科の人間はバイオテロリズムの起きる可能性を常に考慮にいれてきました。私の同僚は今回のテロで急に有名になったセントビンセント病院の救急班に毎年バイオテロリズムのレクチャーをしていました。米国疾病管理センターはテロの対象として用いられうる生物兵器をカテゴリーごとに分け、その対策も提示しています。日本の731部隊の研究資料が全て保存されている、といわれる陸軍フォートデトリックのホームページには170ページ以上ものバイオテロリズム対策マニュアルがあり、(最も何人読んでいるかは不明ですが)識者の間ではかなりの認識があったのです。ニューヨークタイムズは日本のA新聞に似て重箱の隅をつついてお上の批判をすることを喜ぶ癖がちょっとあります。炭素菌や天然痘のワクチンが一般に出回っていないのは、対策を怠っていたというよりは、その効果に対する研究結果が確定していなかったから、というほうが正確かと思います。もっとも今回のテロでワクチン整備は大きな課題となるでしょうし、研究も早まるでしょう。

米国疾病管理センターが「カテゴリーA」としている生物兵器の中で、もっともその使用が恐れられ、また使用の可能性の高いのが炭素菌です。炭素菌は米国では70年代からこっちたった3例しか病気の発症が報告されていない、稀な細菌です。皮膚の感染を起こし、皮膚を真っ黒にしてしまうので有名ですが、空気中にばら撒くと口から肺に入って肺で感染症を発症します。潜伏期間は1−5日間ときわめて短く、いったん症状が発症すると死亡率は少なくとも80%といわれる恐ろしい病気です。この病気にはいくつか治療薬が確立されています。もくもくと煙を上げる貿易センタービルを見ながら私は一錠抗生剤を飲みましたが、これは飛行機の中から炭素菌がばら撒かれるのを恐れたからです。実際には翌日疾病管理センターからバイオテロの可能性は否定され、最悪の事態を恐れていた私たちはほっと一息ついたのでした。今回の事件ではビルの粉塵から呼吸器症状を来たす人が多くでましたが、素人では、いや医師ですら炭疸症と区別できる人は少なかろうと思います。今回テロリストが飛行機に菌を持ち込んで、それをばら撒いていたらどうなっていただろうと思うと今でもぞっとします。

そもそも米国でこれほどバイオテロリズムに対する危機感が高まったのは、オウム真理教が実験室に炭疸菌やボツリヌス毒素を隠し持っており、8回もこれでテロ行為をたくらんでいたからに他なりません。日本はオウムからなにを学んだでしょう。バイオテロリズムが起きたとき、それに迅速かつ正確に対応できる団体、個人がどのくらいいるのでしょうか。ジュリアーニ市長は今回の事件では獅子奮迅の活躍を見せましたが、これは彼がものすごい頭の回転の持ち主で、正確勝つ迅速な判断力を見せた、というだけではないと思います。93年以降、彼の頭にはテロが起きたらどうしよう、すぐ街を封鎖して退避命令を出し、ああしてこうして、というプランを日夜考え、頭の中でイメージトレーニングしていたからに他ならない、と思うのです。これが出来ている日本人が果たして何人いるか。私には大変興味のある質問です。



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