同時多発テロに関連して

 意志決定プロセス (2001年10月2日JMM掲載)

 ■ 村上博美  :ESI 経済戦略研究所 研究員

テロに対応するブッシュ大統領及びアメリカ議会の動きと、日本の対応を比べて気がついた点について述べたいと思います。テロが起こった3日後の9月14日、アメリカ議会は今回の攻撃に関して大統領の“必要で且つ適切な”軍事力行使の権限について承認しました。

アメリカ憲法では議会のみが「開戦」(戦争状態の始まり)を宣言することができ、宣言後に初めて大統領が国防のための総指揮権を行使できます。今回、議会は「開戦」宣言には至らず、当初大統領が要求していた、将来起こりうるテロ攻撃に対する軍事的先制攻撃を行う権限については却下しました。議会の承認を得るということは国民から選出された代表が国民総意として国の方針に賛成するということです。ベトナム戦争での大統領府の暴走を許した教訓から、大統領府と議会のチェックアンドバランス機能が更に強化されています。日本の場合、果たして国民の総意が反映されるはずの国会の場で政策が決められているでしょうか。

海上自衛隊の護衛艦が米空母キティホーク及び強襲揚陸艦エセックスに護衛として出航したという記事を読み、国民の総意を受けていない省庁(つまり選挙によって選ばれたわけではない人たち)が独断で国の安全保障に関わる決断を行ったということについて疑問を感じました。警護の法的根拠は「警戒監視活動」であり、中谷元・防衛庁長官は二十二日、「集団的自衛権が禁止されているので一緒に戦うことはできない」が、「(自衛隊の)船が武器を積んでいる場合、武器を守るため自衛隊の船に対する攻撃は反撃できる」とする自衛隊法九五条(武器等の防護のための武器の使用)を根拠に挙げ、「相手がやられるか、自分がやられるか分からないケースは、自分からみて自分が危ないということで自己防護できる」という認識だったと報道されています。つまり、何らかの攻撃があった場合それは防衛庁の判断を超え、国の判断となるということにも関わらず、内閣はもちろん国会の承認すらなしに行われたということです。

テロによる攻撃を受けた直後で極度の緊張状態であったアメリカの場合でも、テロ行為を受けるはるか以前から決められていた通りのルールに従って議会の承認を経て軍隊出動を行っているのにも関わらず、日本では今回の自衛隊護衛艦出航に限らず国会承認以前のプロセスで物事が決められることが多いのではないでしょうか。自衛隊派遣の新法についても、与党内で調整といった形で新法案内容のつめが行われ、国会の場で本当の意味での議論はこれまでのところされていません。

誰が何を言ったか、どういう議論があったか等国民は「知る権利」がありながら与党内のバーター(中選挙区制復活とのバーターという噂がありますが)や与党三党幹事長や国対委員長同士の調整、自民党政調でほぼ確定し、意志決定の過程はオープンにされません。

その結果、責任の所在もあいまいです。国の将来を決める重要な政策でも与党内調整で政策が決まってしまい、選挙により日本国民の一部を代表しているはずの野党は与党の圧倒的多数票の前にはなすすべがありません。なぜ国会でオープンな議論によって国の根幹に関わるような重要な政策決定がなされないのでしょうか。

アメリカの場合、選挙民や一般の声を吸い上げ、オープンな場で政策形成がされていくメカニズムがあります。意志決定の課程において沢山の人が政策形成に関わっているといえます。例えば身近な例ですと、C−SPAN(TV及びラジオ)やNPRというラジオ番組で一般市民と議員や専門家や外国閣僚等の双方向の議論が提供されています。最近の番組では議会の公聴会の様子やホワイトハウス報道官や国防長官等の記者会見、外国閣僚とのインタビューや、バイオテロの専門家をスタジオに迎えリスナーからの質問にライブで答えるという番組を組んでいます。TVではどちらかというとテロの被害者の家族の話が多いのに対して、これらの番組では比較的政治的関心の高い(但し知的レベルが必ずしもそれほど高いとはいえない人も含む)アメリカ人の意識を知ることができます。

現在議論が進行中の法案に対しても、少数派を含む一般のリスナーから多様な意見が聞こえてきます。司法長官アシュクロフトが提案している個人情報管理体制を強化するという法案でも、アフリカ系アメリカ人などのマイノリティグループは肌の色や出身国で差別することは問題の根本的解決にはなっていない、とオクラホマ爆破事件の犯人(白人)を例にあげて反対しています。管理強化という名において、特定の政治的信条や人種をもって犯罪容疑者と見なされる可能性が高くなり、政府が個人情報の管理を行うということは人権の侵害となり、時代の逆戻りではないだろうかという議会での議員の発言もラジオで聞くことができます。

ブッシュ政権の方針がどれだけ支持を得ているか、ということに関して匿名の電話では「私は今の風潮では、ブッシュ大統領の言動に疑問を呈すると“反愛国主義”なのかと攻撃されるので怖くて言えない」というものもあり、各地の大学や都市(NYやワシントンDC)では反戦デモが行われていることを考慮すれば、ブッシュ政権が推し進めていた強硬な方針に必ずしも賛同していないアメリカ人も実は結構いることがわかります。

これらの選挙民の意見はそのまま代表である議員たちに少なからず反映されます。それらの議員は選挙民の意向を十分把握した上で、テロ対応策についての議会での議論や投票行動に及ぶのです。つまり、米国の選挙民は政策決定プロセスを「知る権利」だけでなく、そのプロセスに継続的に(選挙の時だけでなく議会で議員が投票する機会の度に)政策決定プロセスに「参加する権利」を行使しているのです。アメリカの選挙ではその候補者(元議員)が過去にどういう法案に賛成したか反対したかの履歴が全て公表され、選挙民はそれを見てその候補者に投票するという人も多いのです。議員にとっては、常に選挙民や世論がどういう意見をもっているかチェックしなければ自身の死活問題となるため、このようなラジオ番組は実は貴重なフィードバックのルートなのです。別な言い方をすれば、議員と選挙民の間にもチェックアンドバランス機能が働いているといえます。

日本のケースを顧みた場合政策決定プロセスの「知る権利」「参加する権利」はどのような状況にあるでしょうか。政治家がインターアクティブに一般市民と議論するなど世論フィードバックの機会もほとんどない上、オープンに国会で議論することによって政策形成がされていないというのは、民主主義のプロセスからいうと実は非常に危険なのではないでしょうか。現在現職である国会議員も、過去の選挙の際には想像すらできなかった今回のようなテロ行為に対する日本の対応策については、選挙民の信任を得たわけではありません。今後この問題で日本が取りうる方針は場合によっては従来の憲法解釈を変えるか、憲法を改定しなければならないほど重要な問題です。各党が独自の対応策を掲げ、それを主権者たる国民に選択してもらうため総選挙を行っても不思議ではありません。

また湾岸戦争の時のような思いをしたくないから、アメリカから「旗を見せて欲しい」といわれたからではなく、国民を代表している議員たちが日本はどういう国となりたいかという議論を国会の政策決定プロセスで見せてほしいと思います。最後に強調したいのは今回のテロ行為に対して日本がどのような対応策をとるのかという『結果』より、どのような『プロセス』を経て対応策を決めるのかというのがはるかに大事だということです。この『プロセス』を確立することによって、今後想定されない様々な問題が起こった時、常に国民が納得のいく形で対応できるのではないでしょうか。


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