同時多発テロに関連して

 渡部氏のレポートへの疑問 (2001年9月26日投稿)

  ■ 伊東章  :会社経営

これは、渡部恒雄氏のリポートに対する疑問でもあり、現在進行している対米軍事協力などの点に関しての疑問でもあります。

渡部氏も述べられているように今回のテロに関して、ある時期からブッシュ大統領が「これはテロ以上だ、もはや戦争といっていい」という発言をするようになった。これは意外なことをと思ったのは私だけでしょうか。テロと戦争を比べるのもなんですが、非道さでいったらテロは戦争以上といっていいでしょう。

渡部氏は「危機感と団結力を高める目的で、戦争という言葉を使っているようですが」と推定で語られていますが、「戦争」という言葉を出すことで、国家間の問題に仕立て上げたのはアメリカ合衆国なのではないでしょうか。ここから「報復」「軍事行動」「国際協力」「軍事協力」などの文字が、頻繁に飛び交うようになりました。これはチラッとテレビで見たので、確認はできていないのですが、パウエル国務長官が、日本の小泉首相の対応の悪さを記者会見で述べているところを見ました。そのときふと思ったのは、これを機会にアメリカは各国に踏み絵を踏ませる気ではないかということでした。

この事件を契機にアメリカの号令の元全世界が、行動を共にすることを可能にする。そうした下地作りをしようとしているのではないかということでした。そうして今着々とそのシナリオが実行されようとしているようで心配です。渡部氏の示した答えのなかで(B) に反対する人は誰もいないでしょうから、(C)という選択はナンセンスです。つまり(B)で収めるか(A)まで範囲を広げるかという選択です。ここに、テロを戦争と置き換えた意味が生じてくるのです。

単純化すれば、テロなら捜査であり警察が担当する、戦争なら報復であり軍隊が関与する。それがそのまま(A)か(B)かの選択になるというわけです。(A) の報復にしても、どこがそれを行うかではなく、どのような条件の下に報復行為が行われるのかという基準が不明瞭ではないでしょうか。単に匿っているらしいから空爆だ、占拠だということなのでしょうか。

軍事協力に関して言えば、どのような条件なら報復に協力するのか、それともそれはアメリカの一任で、理由はともかくアメリカの命令で動くのかといったことの明確化も必要に思われます。ともあれ、アメリカがこのテロを「戦争だ」「戦争だ」と言っている意味をもう少し深く考えてみてはどうでしょうか。テロは問答無用のことですが、しかしこの事件を起こした側の背景も考えなければならいでしょう。

大きくいってしまえば、これはひとつの宗教戦争で、イスラム対キリスト、ユダヤのエルサレム争奪戦で、聖地を汚されたイスラムが、敵の象徴である聖地に攻撃をしたということではないかと思います。パレスチナを含めたこの紛争は、西側キリスト教文明国の解けざる問題として何十年、何百年と続いています。今回のテロはそうした紛争の歴史の中でも、巧妙で規模の大きさでも未曾有のものかもしれません。しかし、規模が大きく、犠牲者が多くても本質は変わらないと思います。

パレスチナの兄弟が壁際で、肩を抱き合って発砲される銃弾から身を懸命に避けている姿が、テレビで放送されていました。その後、この兄弟の弟が遂に被弾し、絶命したというテロップが流されました。テレビカメラの前で、公然と無防備な少年が射殺されるというのは、テロ以上なのでしょうか以下なのでしょうか。民主主義国家では、人間一人一人の命は同じだと教えています。一人の射殺は軽くて、大勢の犠牲者が出たのは戦争で、だから報復でアフガンやイスラムの多くの人たちの命や家を奪っていいのでしょうか。

それは今までの歴史と同じで、テロ撲滅ではなくテロ再現の歴史になるのでしょう。文明の利器が大規模化、高度化すれば、それだけ犠牲者が多くなるのは当然なのでしょう。まだ、核や生物化学兵器など、利用できるものは数限りなくあるのでしょう。自己犠牲を覚悟した個人や集団なら、まだ恐ろしい事態が想像されます。たとえば、東京のサリン事件で自己犠牲覚悟で行ったならどんなことになっていたか、考えただけで寒気がします。何とかと鋏みは使いようですが、鋏みにできることなら高が知れています。ところがそれが飛行機や、高層ビルになると今回のようになる。

飛行機のコントロールはパイロットが行うものと決めてかかっていたのに、それがほかの悪意のある第三者の手に渡ると、もう手の施しようがなくなってします。地上からの無線操縦が可能になるまで、同じ状況はありえるのでしょう。高層ビルにしても、まさか飛行機が突っ込んでくるとは構造計算の中に入ってないでしょうが、激突した後のビルの崩壊過程を予測できた専門家がいないのは一体何故なのでしょうか。崩壊すると警告していれば、犠牲者の多くの人が助かったと思えるのです。今回のテロのなかで、もっとも悔やまれるのは、ビルの崩落の危険をいち早く伝えられなかったことではないでしょうか。事故を最小限にできる唯一の機会だったと今にして思います。

高層ビルを作った人もあるいは、その道の専門家も崩落の危険性を指摘しなかった。そのため、オフィスに戻った人もいれば、救助のために非常階段を駆け上がった消防隊員も犠牲になってしまった。今日本でも、高層のオフィスビルや、高層マンションが多く建っていますが、本当に地震は大丈夫なのか、高層階で火災が起こったときにどう救助するのか、そのときにならなければ誰も気を回さないのかもしれません。コントロールできていると思っているものに、不測の事態が起きたとき手をこまねいてみているだけというのは、コントロールできたといえることなのでしょうか。自分の重さを耐え切れずに自壊していった国際貿易センターは、やはりわれわれの文明の象徴のように思えます。