政治とメディア−小泉政権について

「小泉ブームの正体とメディアの責任」 (2001年5月17日投稿)

黒岩 祐治 (フジテレビ「報道2001」 キャスター)

テレビの国会中継がこれまでにないほどの高視聴率をマークし、ワイドショーも芸能ニュース以上に国会でのやりとりを伝えている。つい先日まで政治不信が渦巻き、国民の政治離れが深刻だと深刻に論じていたのがウソのように、日本人は今政治に夢中になっている。国民が政治に関心を持つことはいいことに違いないが、それを手放しで喜んでいいのだろうか。

そもそも小泉内閣の90%を超えようという高い支持率を支えるものはいったいなんだろうか?私は小泉総理は日本初の“首相公選で選ばれた総理”と見るべきだろうと思う。小泉総理は自民党の総裁を選ぶ党員の選挙によって選ばれた代表であって、決して国民が直接選んだ総理ではない。しかし、総裁選に突入してから、候補者4人は連日テレビ出演を繰り返し、国民注視の下での討論を行ない競い合った。それは投票権のある自民党員だけに向けたものではなかった。しかし、多くの視聴者は自分に投票権がないことを忘れ、あたかも自分が選ぶ権利を持っているかのように錯覚したのではないだろうか。その錯覚こそ、高支持率の要因ではないかと私は思う。

錯覚させたのはまさにメディアそのものである。私自身も「報道2001」を通じて、2週にわたって4人の討論に関わっただけに内心忸怩たるものがある。国民が錯覚することに手を貸したとするなら、それはよかったのか悪かったのか・・・。国民の政治への関心を喚起したことはよかったとは言えるだろうが、結果として脳死直前だった自民党の奇跡の復活に道を開いたとすれば、それはよかったと言えるのだろうか。我々が彼らの討論を取り上げたのは、それこそ視聴者の見たいものだったからである。それ以上の理由はない。

「何にも変わってないんですよ、何にも」ある閣僚は自嘲気味に私に語った。「何にも変わってないのに、どうしてこんなに違うんですか。森総理はすべてダメと言われ、小泉総理はすべていいっていうのはどういうことですか?」総裁選を通じて国民から見放されていた自民党も変わったのなら、復活に手を貸すことになってもそれは問題ではないだろうが、その言葉どおり何も変わってないとするなら、私はメディアの一員として責任を感じざるをえない。

今の私の中での最大の疑問は、果たして今から振り返ってあの総裁選への我々メディアの関わり方は間違いだったのかどうか、そして、違った関わり方ができたかどうかということである。厳しい視聴率競争の中で、視聴者が見たいと思うものを見せたいと思うのはメディアとしては当然である。消費者が求めるものを供給するというのは市場の原理であって、テレビが市場原理を無視することは傲慢にもつながりかねない。しかし、国民の中に大きなうねりが起きてきた時に、それから距離を置き、それを冷ますことがメディアとしてできるかどうか・・・。それは我々が抱える深刻な問題であり、最大の課題であると思う。

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