日本の公共政策へのフィードバック
| ワシントンDCは知ってのとおり、米国のみならず世界の政治の街。ボストンにある在籍中の大学でもセミナーやフォーラムの類は数多くありましたが、出席するのは学内者が中心であったのに比較すると、発表者も出席者もDCの方がはるかに多彩であることに刺激を受けています。それを踏まえた上で、あえて「DCで日本人が公共政策の分野で活動すること」について2点、疑問点をを挙げてみました。 志賀 佐保子 ハーバード大修士課程在籍/ハドソン研究所インターン 1.日本の公共政策にどうフィードバックさせるか。(2001年6月10日投稿) ―「公共政策」の形成と反映のシステムということ。 私が焦点を当てて延々と強調してきたのは、政策産業を生み出す、社会メカニズム、ノンプロフィット・セクターとシンクタンクですが、これは日本の変革のための戦略です。もちろんこれもひとつの解答があるわけではありません。様々なアイデアと努力が必要です。これをどう切り開けるか、造れるか、ワシントンで学ぶ人間が果たせる役割はそのことにあると思います。 上野真城子 (アーバンインスティテュート 研究員) 2.DC、もしくは海外という立地の優位性について。(2001年6月10日投稿) 最初に書いたことと矛盾していますが、インターネットを使用すればどんな僻地にいても海外の新聞やシンクタンクレポート、政府発表などを簡単に見ることができ、海外の研究者や実務家ともやりとりができる現在、DCもしくは海外にいることの特殊性はますます弱まっているように思えます。そんな中で、PRANJがあえて 「在外(実質的にはほとんど米国)で活動する、その経験がある」ことを条件に挙げていることの意義は何でしょうか。かえって日本にいる「一般の」実務家、研究者、学生や市民、または帰国したメンバーから見て敷居を高くしてしまう危険性があるように思うのですが。 ワシントンでの活動は刺激的で動的ですが、それに捕らわれて本当に思考すること研究することをしないとアメリカは見えません。アメリカの政策形成にあるアメリカン・デモクラシーの固有性、特殊性を深く見て考察することをしないと、単なるアメリカ通、アメリカ追随、または嫌米の評論家になります。 短期的な滞在ではアメリカン・デモクラシーは見えないことが沢山あります。暮らしを通じ、この社会に生きる事の猛烈な厳しさを肌身で知ることから、ようやく見えてくることがあります。これはウェブ上のスクリーンで見る情報とは違います。海外にいること、ワシントンにいることを、特権とすることではなく、海外で生きる葛藤を通して、世界を見、歴史を見、日本を見ること、そして日本と出来ればアメリカに向けて、建設的批判をすること、日本を、そしてアメリカを、「アメリカ一っ国」を超える、より世界の普遍性に貢献するものとすることが、私たちの役割であると思います。 戦争無き世紀に向けての努力と、次代の世界の子供たちのより自由な成長と発展への願いと志が篤くあること、そのための努力をし、知的努力に対して、謙虚であることが、PRANJの基本的な条件であって欲しいと思います。そうであれば、敷居は高くないはずです。 |
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