PRANJの目指すもの

 PRANJへの質問への個人的な回答 (2002年10月28日PRANJニュースレター配信)

■ Index 読者からの質問

    戸倉徹氏
    
■  回答者
上野真城子氏(アーバン・インスティテュート研究員)
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【質問】戸倉徹氏

ところで、1つ浮かんだ疑問があり、本信をお送りしたく思いました。私の理解が間違って
いなければ、貴ネットワークが目指しているのは、概ねアメリカの政策決定システムのよう
なものを日本にも導入することではないかと思われます。つまり、与野党とも、政策立案に
かかる専門家スタッフを常時抱えており、政権交代の際にはそのようなスタッフ(の一部)が
政治的アポインティーとして政府(立法府または行政府)に入ることができる、そのような
システムが、貴ネットワークが提唱する「日本の政治のあるべき姿」ではないかと思います。

 ただ、アメリカがこのような政治システムを有するとして、そのアメリカでは果たして、政治に
対する関心はどの程度国民一般に広がっているのでしょうか(ここで言う「政治」とはもちろん、
連邦政府が担っているところの政治です)。実は私には、アメリカ国民の広範な層においては、
政治に対する関心は、日本におけるほど強くないのではないか、と思われてならないのです。
そして、以上記した私の疑問が、政治を専門家が担うことは事実上、広範な大衆の政治への
関心を損なうことにつながっているのではないか、という懸念とつながっていることは、ご賢察
のとおりです。

 この懸念に対しては、国民に対して十分な説明を行なっていけば良いのではないか、という
考えももちろんありうるでしょう。また、制度的には決して大衆の政治参加は拒まれていない、
ということは言うまでもないことです。ただ、問題はあくまで、大衆の政治への関心が「事実上」
損なわれるのではないか、という点にあります。このことは、近年「教育格差」とでも言うべきこと
が言われ、知的側面における二極分化が国民の中に見られるとされることを考え合わせると、
決して杞憂ではないように思われます。

 「新規事業予算の1%を第三者の政策評価機関へ回し,新しく政策評価産業をつくり,独立,
非営利のシンクタンクを作りましょう」という主張自体には私はもちろん賛成です(賛成だからこそ
ニュースレターを受け取っているつもりです)。が、日本の政治システムの根本的変革を目指そう
とするのであれば(そして私には貴ネットワークの真の狙いはこの点にあるように思われます)、
どのようにして政治への関心を国民の広範な層の中で高めていくかということにも、ぜひ思いを
めぐらしていただければと思わずにはいられません。妄言を顧みず一言申し上げる次第です

【回答】上野真城子氏(アーバン・インスティテュート研究員)

「日本の政治のあるべき姿」
――まず、「あるべき」姿という「べき」論はしないようにしたいと思います。なぜ
なら、「べき」と言ったときに、それはひとつの固定化した解答と「主義」になって
しまうからです。ある時代の、ある社会の問題の解決に、唯一、ひとつの、完璧な解
答、正解はないということを、ことに二十世紀の歴史から我々は学んだのだと思いま
す。
――本ネットワークが提唱する政策システムへの提言も、実はこれもネットワークとし
ての統一見解といったものがあるわけではまったくありません。多分、ネットワー
クの参加者に共通しているものがあるとすれば、それは現代社会・子とに民主社会の
統治、ガバナンスにおいて「多的な」思考とアイデアのあることが不可欠であるこ
と、そしてそれらを議論する多様な場と手段が社会の中に整備されていること、論争
とネゴシエーションを経て合意形成し、政策形成する、そうしたプロセス・過程と手
順が取れる政治システム(それは様々な仕掛けとメカニズムであり、制度であり、組織、資
金、人的資源を含みますし、政党や、メディアもこのシステムのひとつです)が、必
要であると考えているということでしょう。
そしてこの中でも政府外の党派性を越えた独立的政策研究機関シンクタンクが重要な
ものであるということには共通した理解と認識であるでしょう。しかしこれもひとつ
の定型モデルがあってそれを合意しているわけではありません。

「アメリカ国民の広範な層においては、政治に対する関心は、日本におけるほど
強くないのではないか」

――まず貴方のおっしゃる、「政治」とは「連邦政府が担っているところの政治」と
言う規定ですが、多少これは気になります。「連邦政府の担っているところの政治」
とは何かが問われ続けること、すなわち「政府のかたち」(機能と役割)を問うこと
が最も基本的なが、民主政治の課題ですが、これはすなわち、「連邦政府の担ってい
る政治」を「それ以外の政治」とどう分離、ないしは合流させるのかが常に同時にあ
りますから、「連邦政府の政治」をそれ以外の政治と切り離して確立させることは出
来ません。民主主義政治において常に問われることは、国家政府の権限と地方自治分
権とのあり方です。ですから多分ご質問の主旨は、外交政策とか防衛・安全保障な
ど、ないしはマクロの経済政策などの政策のことを指しているものと思われますが、
これらも国内のミクロの政策に密接な関係があることで、それはまた地方分権の政治
と切り離せません。そこで、市民、有権者の政治的関心が連邦政府のレベルでは低い
ことが、政治関心の低さとして扱うことは疑問です。

‐―貴方のご質問と疑問について答ええれば、連邦政府への関心と言う意味では、
大統領行政府と議会議員立法府への関心ということになりますが、確かにこれらに対
する国民全体の関心は、時代に寄っての波のあるものの前四半世紀は低くなっていた
といえます。全体にアメリカ国民は国際関係などへの関心は低いことは全般にいわれ
てきたことです。この点は「ワシントン」と「それ以外のアメリカ」とのギャップと
して言い続けられるところです。しかしここのところことに9月11日以降のアメリカ
の状況、イラクをめぐるブッシュ政権の動きの中で多分関心は高まるものと思いま
す。

――これが日本の国民の政治への関心と比べて低いのか高いのか、これは政治学者の
課題ですから深入りしませんが、二つのことをここでは指摘したいと思います。

  ひとつは、国民、有権者、市民の、地方自治への関心と関与の問題です。ここに
アメリカのデモクラシーの基盤があります。マクロでなく、ミクロ、草の根の政治と
経済の動きということです。地域コミュニティーレベルでは、市民の関心は相当に高
いと思います。これは保守・リベラルに限らずです。これは市民参加をアメリカ・デモ
クラシーの根源として、出来る限り市民に近い政治と行政(パブリックなるもの)に
巻き込むことを建国の時点から考えてきた社会の特徴です。コミュニティー・レベル
での政治(地域利害の葛藤があるところですが)と参加においては、特にこの30年ほ
どは大きな変化と政治的成長があったところだと思います。この点、日本の市町村政
治がこの30年、どの程度の成長を遂げたかは疑問です。これはあらゆるレベルでの政
治家の、そして結局は有権者一人一人の責任が問われることでしょう。

  二つ目は、市民個々人が地方および連邦レベルまでの政策決定へ、いかに一票、
一個人が関与出来るか、相互に声が届く、知らされ、聞かれるシステムができるか、
そしてこれを繋ぐシステムを、確保できるか、常に造り続けられるか、いかに専制独
裁画一的統制的政治を避けられるかを、少なくとも考え続け、試し続けているのが、
アメリカ社会の最大の特徴であるということです。ここに独立的民間シンクタンクの
重要な機能、政策決定者への適切な、合理的な政策情報の提供と、有権者市民に対す
る政策理解への教育と草の根の政策形成への参加を呼び起こし、それを政策決定者へ
とつなげる役割のふたつは、民間独立シンクタンクの基本的使命とされるものです。

  ここに付け加えると、シンクタンクと同時に、デモクラシーとメディアの役割と
いうことも忘れてはならないことです。シンクタンクの情報を理解し、社会に伝え、
教育し宣伝する手段としてメディアの役割が重要ですが、もう少し基本的なとこれ
で、アメリカで暮らしていて気付くことは、このデモクラシーが生んだことの重要な
ものは、ジャーナリズムの存在の大きさです。それは我々は「良く知らされている」
ということ、知ろうとすれば知ることが出来るということの「安心感」です。もちろ
んアメリカのジャーナリズム、メディアの欠点も問題も明らかです。それでも(うそ
をつかれ、操作されることも問題ながら)無知に置かれることこそが個人にとってそ
して社会にとって、最も怖いことであるということは歴史の教えるところです。オー
プン・ソサイエティーは幸福の追求のための基盤です。

単純なことですが、常にラジオから(私はラジオをことに利用することが多いの
で)、出来る限り操作や編集の少ない生の情報と議論、今何が起っているのか、何を
考える必要があるのかが、語られていて、そうした情報がいつも流されている、そう
したメディア(C-SPANやNPR、PBSのような放送)の存在は実に大きいものがありま
す。この量と質においてアメリカは膨大です。これは日本とは比較にならないもので
しょう。限られた人間しか知らないことが多々ある、情報が極めて限られた社会は、
不安なそして危険な脆い社会です。

「政治への関心を国民の広範な層の中で高めていくかということ」
―――まさにここに問題があります。これは上述した件と関っているものと思いま
す。
 これは繰り返しになりますが、アメリカの極めて特徴的な「ノンプロフィット・セ
クター」、市民社会の存在と機能があります。ノンプロフィット・セクター、日本で
は「NPO」として今成長しつつありますが、これにおいては、アメリカはデモクラ
シーの発展過程のなかで、経済セクターとしても確立をしてきました。ノンプロ
フィット・セクターについては、私は個人的にここ15年ほど日本に紹介することを行
なってきました。(近々に「NPOと政府:協調と葛藤」という本の翻訳出版します。
アメリカのノンプロフィット・セクターをアメリカの市民社会と政府、公共セクター
との関係、歴史の中での位置付けを見ることができると思います。)ここでは省略し
ますが、ノンプロフィット・セクターは、二十一世紀における、マーケット・デモクラ
シーの中で経済セクター、雇用労働の市場としても、公共セクターの強化にとって
も、市民社会としても不可欠の機能と位置付けを与えられるものでしょう。このセク
ターの形成と成長に取り組めるか否かは、日本社会にとっての再生と生き残りの鍵を
握るものです。

――「一パーセントを政策評価に」という主張提言が究極に目指す「達成成果」は、
経済的インセンティブを付けて、政策という公共財の生産に投資し、それによって
「公共政策」を人々のものとする、いわば公共セクターの「人々化」ーー民営化とい
うのは多少抵抗があるのですがーー、公共セクターを(官僚と政治家、限られたエ
リート階層のビジネスでなく)あらゆる人々のビジネスにすることにあります。それ
こそが真にデモクラシーと国家を強くするものだろうと考えます。
ーーこれは気の遠くなる過程で、また完了する絶対像はありません。いわば、ダイナ
ミズム、動き続けるということです。デモクラシーは過程であり手続きです。政策も
また過程であり、プロセスです。永遠の行進を進めるのは、社会の今の、そして時代
の構成員です。それへの創造的参加者をどれだけ創り出せるか、それがそれおぞれの
社会、そして世界にとって最も重要なことでしょう。
そしてそれはまた社会の変革に関れる楽しさと責任とを高める創造的仕事です。デモ
クラシーは遥かに完璧に遠く、大変さと限界そして挑戦と面白さ(?)に充ちたもの
です。そしていまのところこれが最大多数の幸福を追求する、他のシステムよりはベ
ターな、そして長い時間を生き抜いたシステムです。この具現ということにおいて、
アメリカのデモクラシーは達成したことの価値があり、過ちと失敗に充ちたものなが
ら、存在の意味があり、検証に値するものであるということです。


今これほどに動きの激しい世界において、語られている、考えられなければならな
い、議論すべき、猛烈に複雑な、交錯し、そして変化する、そしてどれひとつも一国
内で完結しない政策課題に対して、それらを追い、深く分析し、そして総合化し、合
意形成し決定し実施する、その能力は極めて大変な知的努力を必要とします。しかし
このとどまることのない作業は、いくら優秀なる<エリート>であろうとも、限られ
た個人の能力と処理能力を超えるものです。これはコレクティブな、集合的、多元的
結集した知的努力が必要で、それが出来る組織機構と資金(フィランソロピーと呼ば
れる民間の資金が中心となりますが)要ります。アメリカには膨大なものがあり、そ
れに対して日本にはほとんど存在しません。日本にある様々な民間財団も「公益法
人」といわれるものの、その資金規模、その使命意識において、デモクラシーを支え
る投資をする、公共財としての政策研究評価を通じて、公共セクターを強化すると
いった思考はない(少なくともこれまではほとんどない)といえます。そうした情報
と活動に金を出そうという考え方は、日本には馴染みないものでした。それは日本の
現在まで政策が一定の、ことに政府官僚によって占有されてきたことの結果であり、
需要がなかったことも事実です。

―今、最も必要な政策情報(単なる調査やデータと解析に止まらず政策の理念・概念
・手法)は、外交政策に限らず、日本の中によりも、日本の外にあるということが言
えます。ここのところ30年近い、政策の官僚主導体制と情報独占は結果として日本の
政策能力と、公共セクター自体の生産性の劣化、脆弱性を齎しました。これを、今の
世界に日本がその役割を果たし、かつ国家として、社会として生き残るための必要な
装備を纏うまでには膨大な努力が必要です。

――しかしながら、その装備のために必要な「一パーセントを政策評価にまわすこ
と」も現実にはとても通らないし、ノンプロフィット・セクターがその機能を発揮で
きるような経済状況は、ことに不況の中で、日本には近い未来に期待出来る出来るこ
とではありません。

――PRANJは、良くも悪くもワシントンというアメリカを動かすダイナミズムの原点
に<物理的>に生活している人間が、多数関与しています。ヴァーチャル・シンクタ
ンクとはいっても現実には、食べ、稼ぎ、生きる人間がどういう環境において「思
考」し「活動」し「人間」と「情報」を得るかは、インターネットがいくら多くの情
報を運ぼうとも、実は非常に重要な情報の質に関ります。ことにこの新しいグローバ
ルな世界では、思考の広がりと「視野」が不可欠です。そしてそれを得た上で「プラ
イオリティー」ということが考えれなければなりません。個人においても、社会国家
においても、限られた時間と資源において、全てをすることが出来ず、完璧は望めな
いのですから、様々な拘束の中で、何を優先させるか、プライオリティーを決めるこ
とが求められるのです。プライオリティーが議論できる能力がこれから求められる能
力です。PRANJはこの能力の形成と、プライオリティーの議論に貢献できる、比較優
位性を持っていると考えます。すなわち、日本の外にいるという物理的存在の違い
が、多様な思考の存在を理解し、プライオリティーの議論に「違いを造れる」立場に
いることです。このことの意義を考えて活動を続けています。

――メンバーの多くは(企業や官庁の出向の場合を除いて)みなアメリカ社会での政
策研究や情報を得て行くことと、研究学問界においても猛烈に厳しい市場競争の社会
で生き残っていくことの大変さを痛感しつつ毎日暮らしています。それでもここで得
る情報は、日本に役立つはずだという確信において、必死にがんばっているというの
が事実です。こうした活動が<もう少し楽に>出来るようにするためには、多くの人
のサポートが必要であり、またより広範な視点からは、税額控除を含めて、社会的企
業が生まれやすく、競争できる制度の整備が望まれます。一パーセントを政策評価に
まわすことも実はノンプロフィット・セクターの機能強化に対する政府の努力に関っ
ているのです。

――質問に対して答えが拡散拡大しましたが、お許し下さい。またご質問があれば是非頂きたいと思います。
今後ともPRANJへの関心を持ち続けていただけることを願います。