開発援助政策に関するディスカッションページ
開発援助政策における「情報発信」 (2001年6月8日投稿) 河内 祐典(財務省主計局課長補佐) 「顔の見えない援助」という言葉が定着して久しい。この言葉は二つの側面から用いられているようである。第一には、我が国の援助戦略が、諸外国や国際機関といった外部から「見えない」という側面。この点については、「PRANJレポート第8回」において、松本千賀子氏が国際開発金融機関に勤務される立場から論じられている。我が国は世界第一位のODA供与実績を持ち、国際開発金融機関への拠出もかなり大きいのに、拠出後のアカウンタビリティの追求が弱く、如何なる援助戦略をもって拠出を行っているのかが見えないという指摘である。第二には、国内の納税者から「見えない」という論点。我が国の巨額の援助資金は、本当に被援助国の生活向上のために役立っているのか、被援助国からは本当に評価されているのか、更に言えば、我が国は国際開発金融機関において、大株主として相応しい影響力を行使しているのかが見えないという考え方である。 いずれも、我が国が今後国際社会において、その国力に見合った役割を果たしていく上で真摯に考えねばならないテーマである。そこで、我が国の開発援助における「戦略」とは何か、また、我が国に欠けている「戦略」とは何かといった点につき、私見を述べてみたい。 まず、「日本政府は開発援助に関して何ら戦略を有しておらず、場当たり的に対応しているだけなのではないか」と問われたならば、答えは「否」である。我が国は「どこでも良いからカネだけ出す。出した後は知らん」との無戦略状態で巨額の援助資金を拠出しているわけではない。むしろ、資金拠出後の被援助国のパフォーマンスを注意深くウォッチすべきである、との考え方を理念的に大きく打ち出しているのは我が国であるということは、余り知られていない事実である。また、ODAについては、我が国の基本姿勢を「総論」的に示したものが平成4年の「政府開発援助大綱」であるということが出来るであろうし、「各論」で見ても、被援助国の自助努力をサポートするとの明確な姿勢の下、独自のスキームも導入しつつ、援助政策を遂行している。例えば、債務削減を行った国に対しては新たな有償資金協力を行わず、無償資金協力を中心とした援助に切り替えるとか、債務国のモラルハザードを防止するために債務救済無償資金制度を活用する等である。 それでは、問題はどこにあるのか。我が国の顔が「見えない」のは、戦略が存在しないからではなく、それを内外に理解してもらうための努力が十分に成果をあげていないことによるのではないかと考える。いわゆる「情報発信」の問題である。「戦術」の問題と言ってもいいかもしれない。 筆者は昨年、開発援助の負の部分とも言える、「債務救済」、すなわち被援助国に対する貸し倒れ債権の処理ともいうべき実務を担当した。毎月パリで開催される債権国会合(パリクラブ)に出席するとともに、九州・沖縄サミットに向けては、議長国の担当官の一員として、HIPCイニシアティブ(重債務貧困国の債務を救済するためのプログラム)のスキーム作りにも参画した。そうした一連の作業の中で極めて印象深かったのは、欧米諸国が債務救済という手段を極めて政治的・戦略的に用いている姿であった。例えば英国は、一連の議論を通じて、「英国が債務救済に特に熱心な国であり、G7の議論を先導している」とのイメージを内外に定着させることに成功している。これは、英国が自国の立場を政府高官の発言やウェブサイト等を通じて極めて効果的に対外発信し続けたこと、NGOといった「市民社会」との対話を極めて精力的に行い、前向きな姿勢をアピールしたこと、等によるものである。 こうした情報発信面での「したたかさ」を備え、自国が行っている援助政策について、内外に効果的にアピールできる体制を構築することが、我が国にとって急務であろうと考える。例えば、日本が世界一のODA供与国だという事実は国内には知られつつあるようであるが、国際開発金融機関への拠出のボリュームや、こうした機関で我が国が果たしている役割についても、更に理解されることが必要である。また、九州・沖縄サミットに先立ち、我が国は議長国として債務問題に積極的な姿勢を示すべく、世銀に設けられた重債務貧困国の債務救済のための信託基金に追加拠出する等の施策を表明したが、そうした努力にもかかわらず、むしろ当時は、「他国に引きずられてしぶしぶ債務救済に応じる日本」というイメージが先行しがちであったという事実は、今後の情報発信「戦術」を構築するに当たっての重要な教訓である。 最近では、政府部内においても、「説明責任(accountability)」と「透明性(transparency)」が21世紀の政府と国民との関係におけるキーワードになる、という認識が広く共有されており、そうした考え方の下、情報公開制度や政策評価制度が発足し、試行錯誤を経て運用改善が図られているところである。また、各省庁とも、ウェブサイトを通じた双方向の情報交換システムの構築を精力的に進めている。市民社会と政府との対話も年々盛んになっており、様々な場において、緊密な意見交換がなされているところである。小泉総理のメールマガジン「らいおんはーと」もそうした情報発信の強化の一つと捉えてよいのかもしれない。我が国の開発援助が如何なる考え方の下になされ、如何なるコストパフォーマンスをあげているか、といった点につき、今後こうした様々なツールを通じて盛んに情報発信がなされていくものと思われる。 なお、国際開発金融機関で我が国の援助戦略が見え難い要因として、こうした機関にスタッフとしての日本人職員が少ないことは影響していないだろうか。拠出後のアカウンタビリティを追求するのは、一義的には拠出国政府の役割であり、拠出国政府の立場を代弁すべき職員の任務であろうが、日本という国を知ってもらうという意味においても、日本の援助戦略を理解してもらうという意味においても、スタッフとしての日本人職員がこうした機関において更に増加し、少なくとも拠出割合に見合った人的インパクトを持てるようになることは、我が国にとってプラスになることはあっても、決してマイナスになることはない。 新政権の下では「聖域なき構造改革」が提唱されており、開発援助のあり方もその例外ではないようであるが、対外援助に関して一部論調で見られるような「感謝されないのならやめてしまえ」といった感情的議論に終わることなく、コストパフォーマンスを高めるための援助戦略・戦術をこれまで以上に模索していくことが、極めて重要であると考える。 |
------------------------------------- 河内様への質問 村上博美 (経済戦略研究所 研究員) Q1.「日本がODA世界一」,「わが国の果たしている役割」と述べられていますが,なぜ日本はその世界一のODAが必要なのでしょうか.日本人の税金を使っているわけですから,国内の日本人へ説明するため,「どういう日本の国益」に基づいて,世界一のODAを続けなければならないか教えてください. Q2.世界へ「情報発信」が必要だと書かれていますが,日本の「何を」伝えたいのでしょうか.日本はODAを戦略外交のツールとして使っていると言われています.経済援助国に対して「何を求め」,それによって対外的に日本は「何を達成したい」のでしょうか. Q3.日本として,どこの国(地域)に対する経済援助のプライオリティが高いのですか? Q4.ODA予算がどのように決まっているか,教えてください. |
| ------------------------------------ 村上様へのコメント (2001年6月16日) 河内 祐典(財務省主計局課長補佐) 2000年度版「我が国の政府開発援助(ODA白書)」の冒頭部分には、以下のような記述があります。 「開発協力における日本の貢献には途上国をはじめ国際社会の期待が高い。国際社会の有力な一員として日本がこうした期待に積極的に応えることは、日本の国際的な信頼の基となり、ひいては国際社会における存在感と影響力を高め、国益の確保につながるものと考える。特に、軍事的手段を有しない日本にとって、ODAはこうした国際貢献を果たし、国益を実現していくための重要な手段である。」 私は、この記述は我が国ODAのあり方に関する二つの重要な側面を言い表していると思います。第一は、その国力・経済力に相応しい国際貢献を果たすという観点から、我が国ODAが重要な手段となっているということ。フローで見れば、我が国は数年にわたり厳しい経済情勢が続いていますが、ストックで見れば、我が国が世界経済に占めるインパクトは依然大きく、相応の貢献が必要であるという側面です。DAC統計において、「各国のODA実績の対GNP比」という項目が設けられているのも、国力に見合った貢献という考え方に基づくものであると考えられます(ちなみに我が国はDAC22カ国中7位。米国は22位)。 第二は、我が国は国内事情により人的貢献に制限が加えられているという側面。国際社会の平和と安定、発展を維持するため、各国は人的手段(例えばPKO)と物的手段(例えばODA)の双方を組み合わせて国際貢献を行っており、我が国もその例外ではありませんが、我が国は前者において認められる方策が他国と比して限られていることから、後者に軸足を置いた貢献の形となっていると言えると思います。ODAではありませんが、湾岸戦争の際に我が国が多国籍軍に対して行った130億ドルの資金貢献等は類似の例でしょうか。現在、限定的な集団的自衛権の行使といったことが国会内で議論されていますが、これが仮に実現すればODAが即座に減少していく、といった単純な関係ではないにせよ、我が国の安保政策の転換が対外援助政策にも何らかの影響を及ぼす可能性は否定できないと個人的には考えます。 こうした対外援助を通じ各国は、国際社会の平和と安定、発展に寄与するとともに、国際的な信頼を確保し、国際社会における自国の存在感や影響力を高めるといった「国益」を追求するのであろうと思います。各論的に見れば、各国が援助により追求する「国益」は多様でしょう。我が国の場合はやはり、政治、経済、安全保障、文化といった諸点で密接な関係を有するアジアを重視する、ということでしょうか。99年度の我が国の二国間ODA実績をみても、アジア地域への供与が全体の6割を超えていますし、供与国の上位6か国もインドネシア、中国、タイ、ヴィエトナム、インド、フィリピンと、アジアの国で占められています。また、97年のアジア通貨危機に際して、危機に瀕したアジア諸国に対する包括的支援策を講じたことも記憶に新しいところです。 以前、新聞報道で「国家財政を家計に例えると」という記事があり、対外援助は「ご近所付き合い費」に例えられていたと記憶していますが、当たらずとも遠からずだと思います. --------------------------- 政府開発援助についての基本的問題点 (2001年6月25日投稿) 田辺俊明 構想日本 政策スタッフ 日本の政府開発援助(ODA)には、「顔が見えない」、「理念や戦略がない」との問題指摘がなされ、そのような指摘に対しては、常に、「広報活動が不足しているからだ、理念や戦略は実はあるのだ」との回答が政府により与えられます。この構図は実は何年も前からずっと変わっていません。しかし、この問題の根源には、日本の政府開発援助が国会など公開の場で議論されるという制度になっていないということにあると思います。これは、日本の国内の公共事業一般に関しても当てはまることです。 戦略はあるか? |
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