安全保障-日米同盟

日米同盟について (2001年5月22日投稿)

多次 貞二

日米安保は同盟にあらず! 米国による仮性独立国である一方的日本保護条約に過ぎない。真の独立国たり得ない分際で同盟呼ばわりする風潮があるのは、おのれの分をわきまえておらず、真性独立国家たる米国に対して無礼なるものと思う。

真の独立国たるべく何をなすべきかを討議していただきたい!政治、経済、軍事の三面からの討議を希望します。

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多次様へ (2001年6月25日)

渡部恒雄 CSIS(戦略国際問題研究所・日本部)主任研究員

この多次さんの問題意識は、財務省の河内さんが提起した第二分類の日米が完全に「対等な」権利義務関係に立つべく、集団的自衛権を行使するという考え方に意識が近いと思われます。Tajiさんの意見も、おそらく、意図して極論を述べ、問題提起されているとは思いますが、一応議論のために、あえて正面から議論をします。

日本は真の独立国ではないのでしょうか?日米安保条約は一方的日本保護条約なのか?

実は、以前に、私のいるCSISのブレジンスキー博士が日本はアメリカの保護国(protectorate)という本を発表し、日本で物議を呼びました。国際法上は、当然ながら、日本は独立国です。外交権もありますし、関税自主権もありますし、国連で一票を行使できます。このあたりのイメージを掴むためには、保護国とはどういう状況をであるのかを考えれば、分かりやすいと思います。これは、現在、歴史教科書問題の一つの焦点となっている日本の韓国への植民地支配が、わかりやすい例だと思います。1904年の第一次日韓協約で、日本政府は日本人の財務顧問と外交顧問を韓国政府に認めさせ、1905年の第二次日韓協約により、韓国の外交権を奪い、日本のものとしたわけです。そして、保護国として、日本は韓国の安全保障に責任を持つ取り決めをしたわけです。(1905年日韓議定書第4 第三国の侵害によりもしくは内乱の為め、大韓帝国の皇室の安寧或は領土の保全に危険ある場合は、大日本帝国政府は速に臨機必要の措置を取るべし。 大日本帝国政府は前項の目的を達する為め、軍略場必要な地点を臨機収容することを得ること。)1911年には韓国は日本に併合されて植民地となってしまうわけですが、その間の韓国の状態が保護国です。

Tajiさんやブレジンスキーには、日米安保条約のアメリカの片務的な日本の防衛義務と日本への米軍の駐留が、上記の当時の韓国のような保護国のイメージを想起させるのでしょう。国際法上はともかく、現実の国政政治上は、自国の安保をアメリカの軍隊に保障してもらっている以上、実質的には保護国ではないか?こういう問題提起なのだと思います。

私は、アメリカや中国のように自らの国の主権を絶対的なものと考える国ばっかりだと、現実の国際関係はうまくいかないので、日本のように、主権に対するこだわりをあまり持たずに、現実的な利益で動くようなプレイヤーは、国際関係の安定に寄与していると思います。実際のところ、日本は安保条約締結時には、アメリカと直接戦争して負けている体験があったので、それなりに国民は納得していたのだと思います。しかし、それでも、激しい安保(反対)闘争がありました。しかし、長期的には、現在のような日米の極端に非対称な同盟関係は、お互いに無理がでてきますので、国際環境に悪影響を与えないように、慎重に、うまく質の転換を図っていくべきものだと思っています。その意味で、現在、集団的自衛権の行使を可能にし、日本がより踏み込んだ対米安保協力をすることや、国連PKOに参加するというようなステップは、短期的には対米追従に映るかもしれませんが、長期的には、より対称的な関係への小さな一歩であると思います。むしろ、そのようなステップがないと、日米同盟自体が、持たないかもしれません。

ただし、現在のアメリカの国際的な立場の強さは、世界史上でも類を見ないものです。ですから、その現実を見ずに、観念的に日米を対等にしようとだけ考えていくと、現実が見えず、周辺に悪影響を作りだすことになるでしょう。あくまでも、日米同盟基軸に地域の安定を維持しつつ、非対称性の改善を計るというのが、現実的に妥当な日本の道筋となるでしょう。そのなかには、もちろん、沖縄の負担の軽減が入ってくるべきです。

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加瀬 みき アメリカンエンタープライズ研究所 客員研究員 (2001年7月5日投稿)

日本で集団的自衛権の行使、TMDなど安全保障に関わる問題が論じられる際、どうも技術論、法律論に終始し、大きな絵が忘れられがちな傾向がある。

つまりどのような世界・地域像を描き、その中で国の平和や繁栄のために日本は他国とどう関わり、どのような役割を演じるかという議論が欠けており、国としてのヴィジョンがない。

アメリカが孤立主義にもどるのではというような議論がたまになされるが、豊かなスーパーパワーアメリカならともかく、少なくとも日本には孤立主義あるいは半鎖国のような状態にもどる選択はないのはだれもが認めるところだろう。ではいつまでも憲法、戦争などを言い訳に火の粉を避け下を向き経済貢献に頼るのか。あるいは、より安定した世界のために積極的なプレーヤーになるのか。

さらには国と国との関係はやはり貸し借りである。ましてや人命がかかわればである。例えば日米の戦艦が行動を共にしている際、米戦艦が攻撃され、自衛隊が傍観したという事態が起きたらそれでも米国は日本を防衛するだろうか?まず米国民が許すわけはない。東チモ―ルに派遣された他国籍軍に当初の意向に反しアメリカが後方支援したのは、今世紀アメリカが関わった全ての戦争にともに参戦したという「貸し」をオーストラリアがアメリカに認識させたからである。日米安保条約でアメリカが必ず日本を防衛すると保障されているわけではない。では日本は防衛を確実にするために何ができるのか?

安全保障が広く議論されるのは国のあり方を考えるよいきっかけとなりえる。その際、安全保障の「専門家」だけで論ずるのは木だけをみることになる。経済・貿易、エネルギー、先端技術等の専門家、地域専門家、ポリティカル・サイエンティストなど多くの分野の人が横断的に論ずる必要がある。


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