政策とワシントンDC

PRANJの試み
長崎県庁 伊藤正志 (2001年5月30日投稿)

JMM寄稿を興味深く読んでいます.

ちょっと長くなるかもしれませんが、PRANJについて思ったことを書きます。この試み自体、大変いいものだと思います。

私がワシントンにいた頃から、政治の世界での日本とアメリカの違いについて色々と考えていました。教科書的な話は別として、(いささか乱暴ながら)感覚的に2つあると思いました。
 1.政策の予備の有無
 2.政治の場における司法の存在感の有無

今回の話は、まさにのさきがけだと思いました。これから述べることは、大変独自の意見になりますが、我慢して読んでください。

一般に、日本人には「予備」という概念が希薄ではないでしょうか。以前から「ある国の国民性を最も象徴的に示すのは、勝負事、分けても戦争(軍隊)である」というヘンな主張をしてきました。戦争のやり方・軍隊の中身を見れば、(その時代の)その国・国民の特徴がよく分かるような気がするのです(普通、負けようと思って戦争する国ってありませんよね。であれば、国の総力を挙げて戦争に臨み、結果として持てる特徴が出ると思ったわけです)。

その意味で、日本人の戦争は、「小よく大を制す」的なものがよく取り上げられ、また日本人自体それが好きではないでしょうか。源義経・楠木正成・真田幸村などを嫌いな方って少ないと思います(その敵を嫌いだという方が多い)。私も特に真田一族が好きです。

しかし、この人達は、全員最後には負けているんですよね。

また、日露戦争で何故か「勝ってしまった」ことが「予備」という概念の軽視を産んでしまったと思います。あんなに余裕のない兵力で勝ったので、それ以降も「少ない力で勝つことこそ、美しい」ということになったのではないでしょうか(その方がかっこいいとは思います)。

まあ、持たざる国だから、と言われればそれまでですが、他の持たざる国も果たしてそうでしょうか。少なくとも「予備」の軽視まではいっていないと思いました。

と色々書きましたが、要は政治・政策の世界でも、戦争と同じかと。「政策にも予備案が必要で、競争が必要」ということに尽きると思います。

役所の中でも最初は色々案を考えて、そのうちからいい案が最終案となる(はず)ですが、所詮限界はあるでしょう。また、内部検討の段階でダメと言われたものこそ、本当はいい案かもしれません。であれば、みんなで考えて、競い合って、よりいいものを作った方がいいと考えるのは自然でしょうね。

その意味で、今度の竹中大臣には大変期待しています(解説者としてでなく、プレイヤーとして一流かどうか)。情報公開や政策評価というのも、結局は「行政のやっていることを全て出します。ただ、中には間違いもあります。それを、今度は皆さん自身で考えてください。帰責事由は、皆さんにもありますよ」ということのベースになる制度ではないか、と思っています。

この延長上に、「政策立案能力」というものがあるのではないでしょうか。その意味で、政策の「予備」が街中にあるワシントンという街は、刺激的でした。

大変まとまりのない話になりましたが、PRANJの渡部さんはどう思われますか?

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伊藤正志さんへ (2001年6月19日)

渡部 恒雄: CSIS(戦略国際問題研究所・日本部)主任研究員

伊藤さんのご指摘、まったく同感です。政策において、予備をつくっておく、発想がないために、今の日本の苦境があると思います。

伊藤さんは日露戦争で何故か「勝ってしまった」ことが予備の概念の軽視に繋がったと指摘してますが、やはり、日本の戦後の日本の政治と政策も、高度成長期という史上希な経済的な成功と、その基礎となった日米安保条約という成功した安保政策で、「何故か」勝ってしまったので、政策の予備をつくるシステムを十分に発展させることができませんでした。別の言い方をすれば、自民党以外が政権をとる機会がないまま、その結果、政府の官僚以外が政策を考えたり作る機会がないまま、1993年の細川内閣まできてしましました。

細川内閣で経験したことも、政策の予備を作る制度がなかったため、政治改革法案以外は、それまでの自民党政権とそう違わない政策となりました。国民福祉税構想、憶えておられるでしょうか?これは、1・2コンビといわれた小沢一郎新生党党首(当時)と斉藤次郎大蔵事務次官の合作でしたね。細川内閣は国民の高い支持率の割には、社会党、さきがけを自民党と組ませてしまうという政策の失敗というよりは、政治的な失敗により、短命に終わってしまいました。

今回の小泉内閣にしても、特別な政策の予備をつくっておいた訳ではないので、そう簡単に日本の政策の流れを変えるのは難しいということもいえます。

伊藤さんは、竹中大臣に期待していますが、竹中平蔵教授個人は、日本の政策の予備がないことを、かなり早くから実感して、東京財団というシンクタンクの創設に関わり、インテレクチュアル・キャビネットという学会からの政策提言をしてきています。

伊藤さんも、ワシントンの街に刺激をうけた人のようですが、竹中大臣も以前にワシントンのシンクタンク国際経済研究所の客員研究員を務めていますし、定期的にワシントンのシンクタンクを訪問して、情報を集めており、我々PRANJでも、以前に彼と日本の政策形成について意見交換をしています。

現在は竹中大臣主導で、小泉内閣は全国のタウンミーティングを開始しているようですが、これは、支持率の高いうちに、国民に痛みを伴なう政策をアピールしておく、という戦略もあり、なかなか面白い企画です。今回のこのような政府の取り組みが継続し、政策をめぐる国民の関心と対話が活性化さし、その中から、政策の予備を作れるような制度への布石になればいいと思います。つまり、伊藤さんがいう「行政のやっていることを全て出します。ただ、中には間違いもあります。それを、今度は皆さん自身で考えて下さい。帰責事由は皆さんにありますよ」ということですね。

その意味で、行政のやっていることを全てだすための、情報公開の仕組みは政策予備をつくる上で重要です。これは最近のPRANJワークショップで右崎教授が、解説してくれた日本の現在の情報公開の進展状況は、ひとつの前提条件となるでしょう。

ところで伊藤さん、右崎教授によると、地方自治体の情報公開度が、中央政府よりも進んでいるということですが、県庁で仕事をしている立場から、中央政府、自治体の情報公開度の実情と、その政策形成への影響に関するご意見を御聞かせ願えませんか?

 


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