日本のマスコミ批判

新聞週間にちなんでマスコミを批判する (2002年10月17日転載)

愛知和男


10月15日ー21日は恒例の新聞週間とのことだが スローガンは「知りたい 本
当のことを だから新聞」なのだそうだ。

このスローガンを見ての直感的感想は 一口に言って白々しいというところである。
新聞は本当のことを国民に知らせてるつもりなのだろうか。もしそうだとすれば思い
上がりも甚だしいといわざるをえない。

本当のこととは実は簡単のようでなかなか難しいものである。事実は視点によって異
なってくるからである。ところが今のマスコミは揃って同じ視点でしかものを見てい
ない。したがってマスコミが本当のことと思っていることは必ずしも本当のことでは
ない可能性があるのである。

本当のことを国民に知らせたいのなら いろいろな見方を示す必要があるだろう。ま
たマスコミ間でつまりマスコミ同での批判を国民の前で展開しなければならないだろ
う。こうなればそのやりとりのなかから何が本当なのか国民なりに判断することがで
きるようになるのである。

日本のマスコミの最大の問題点はマスコミ同士で批判をし合うという習慣がないとい
うことである。お互いにもたれ合っている。もし他社の記事を批判しようものなら 
いつ何時仕返しをされるかわからないとの思いが先に立つのだろう。

取材に当たって日本の場合は 日本独特の記者クラブ制でのもとでの取材となる。会
見等が終わると各社の記者たちは集まって会見の内容をチェックし合うのである。其
の結果が各社のデスクに報告され記事になるのであるから どの社の記事も皆同じ内
容になるのである。何々社の報道はわが社の取材内容とは違う。あの記事は事実を正
しく伝えていないなどと批判の記事がでることはないのである。記者クラブ制は直ち
に廃止すべきである。(ちなみに各省庁にある記者クラブ用の部屋などはその役所の
費用で賄われている。

ある記事が本当のことをつたえているか否かを正しく判断できるのは その記事のも
とになった情報提供者である。この人だけがその記事が正しいか否かを判断できるの
である。ある記事を読んだ情報提供者がその記事は自分の提供した内容を正しく伝え
ていないと当該の新聞社に抗議しても そのことが記事になることはまずない。自ら
の過ちを認めることになるからである。

佐藤栄作元首相が首相退陣に当たっての記者会見を 記者を会場から締め出してテレ
ビの画面を通じて直接国民に語りかけるという形で行った。あえてこういったことを
したのは 首相在任中に自分の発信したメッセージが正しく国民に伝わらなかったこ
とが度々だったという思いが強かったからである。この記者会見場から締め出された
記者連中はいかり狂って ひたすら批判の矢を佐藤首相に向けて放ち続けるばかりで
 自ら反省するという態度はひとかけらも示さなかった。それから30年以上たった
今だにマスコミからの反省の声は聞こえてこない。

マスコミは口を開けば真っ先に「国民の知る権利を守る」と言うが 実は国民はその
権利を守られているどころか犯されているのである。本当のことを知らされていない
のだ。

国民の実質的な税金で成り立っているNHKの最大の役割は 正に国民が本当のこと
を知ることができるようにすることである。それにはNHKがマスコミ他社の報道内
容をテレビの画面や放送を通じて批判することである。ところが現実はNHKも民間
のマスコミと全く同じ行動パターンなのである。NHKの猛省を求めたい。

記者クラブ制がおかしいと言う点を述べましたが この弊害の一つに日本では総理大
臣がテレビ演説を行って国民に直接訴えることが出来ない点があります。アメリカで
は大統領が折に触れ重要なテレビ演説をやりますが日本ではこれができないのは 正
に記者クラブ制のためです。内閣記者会がこれを許さないのです。

いかに国民が充分な情報を知らされていないかと言う点での具体的な例をひとつあげ
ますと おりにふれて政府や政党は正式な声明や談話などを発表しますが そのほと
んでは記事になりません。国民は政府や政党がその件についてどう考えているか知る
ことができないのです。声明や談話の類はそれほど長文ではないのが普通ですから全
文を掲載することは充分可能なはずです。

日本のマスコミは正に談合体質そのものといって過言ではないでしょう。建設業など
の談合問題を批判する資格は全くないと断ぜざるをえません。

日本でも世界に通用する人物が輩出しはじめています。今回のノーベル賞でもそのこ
とを実感しましたが 学問の世界だけでなく実業界にもいるし芸術界でももちろん多
くいるしスポーツ界でも多いし政界でもノーベル平和賞を受賞した人がいるのです
(佐藤元首相)。ところがジャーナリストに限ってはこのような世界で認められてい
る人物がでていません。この事実の背景にあるのは ジャーナリストが育つ環境が不
足していること つまりジャーナリストは談合体質の世界 甘えの世界にどっぷり浸
かっているために切磋琢磨の環境に恵まれていないということがあると思います。日
本にとってもまことに残念なことです。

わが国のマスコミ界では新聞各社とテレビ各社とが資本でつながっています。先進諸
国ではこんなところはありません。資本でつながっているためにテレビが新聞をある
いは新聞がテレビを国民の前で批判することはないのです。出版社系列の週刊誌だけ
がかろうじて新聞テレビの批判記事をのせている程度です。私はテレビと新聞との資
本提携を法律で禁止したらいいと思っています。このことはマスコミの報道の自由へ
の介入ではなくマスコミの活動をより自由にして国民がより多くの情報を手にするこ
とができるようにするためであります。

日本の新聞は不偏不党を大儀としています。にもかかわらず実態はそうではありませ
ん。明らかに記事や番組を通じて世論操作を行っているのです。これにたいしアメリ
カでは全く違います。マスコミは例えば選挙にあたって社として支援する候補者を名
前をあげて公表するのです。このほうがどれだけ健全でしょうか。日本のやりかたは
表向き格好をつけつつ巧みに世論を誘導するというまことに卑怯なやりかたと断ぜざ
るをえないと思います。

健全なマスコミの存在は民主主義社会にとって欠くことのできない大切なものであり
ます。私がマスコミ批判をするのはこのためであることを念のため強調しておきたい
と思います。