ハンセン病と司法

 村上龍JMM編集長からの質問

Q:P004
 政府は、ハンセン病訴訟の控訴を断念しました。ヒューマニズムの問題として考えると、大変に喜ばしいことです。 ただ、メディアを含むポピュリズムによって、政府が控訴という正当な権利を行使できなかった、という風に捉えることもできるのではないかと思います。

 おかしな言い方ですが、アメリカは裁判の本場です。PRANJのみなさんは、今回の日本政府の控訴断念を、どうお考えになりますか?

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 ■ 加藤芳洋 :Lepon McCarthy White & Holzworth 法律事務所 米国弁護士

 ハンセン病訴訟熊本地裁判決に対して国が控訴を断念したことを、“裁判の本場”アメリカにいる者としてどう考えるか、という問いかけですが、きっとアメリカなら法律論として米政府が明らかに劣勢だと自ら判断した場合は、早期の和解・示談が成立していただろうと思います。他方、政府の主張に正当性があると信じれば、訴訟を続けたと思います。訴訟を継続する一方で、和解の道を探るというのもアメリカではよくあるケースですが。政治決断で控訴はしないが、法律論としては納得しないという政府談話を出して決着に踏み切るようなアプローチはアメリカでは考えにくいと思います。

 行政訴訟も含めて判例が豊富な米国なら、米国政府(司法省)も自らの主張のメリット、デメリットを入念に検討する筈です。争う余地のない事実に法律・解釈を当てはめて考察していきます。私には同じことを日本政府がしなかったとはおよそ考えられません。そして日米を問わず、政治的な要素と法律論、今回の訴訟固有の問題(原告の救済)と法制度全体に関わる問題を分けて考える筈だと今でも思っています。その意味では、今回のハンセン病訴訟は法律論から検討しても原告の側に正当性があったのだと私は見ています。理解に苦しむのは、今回の訴訟固有の問題(原告の救済)と法制度全体に関わる問題を日本政府がどう考えたのかが良く分からない点です。控訴断念の真意が、政府談話とは全く逆で国会の不作為責任を認めるというのなら別ですが。

 もし政府談話に言うように、国会の不作為責任の問題と民法の出訴期限が法治国家としてどうしても守らなければならない法制度の一線なら、米国政府ならあくまで訴訟を継続したと思います。その一方で今回日本政府が表明した救済策と同様な条件を提示して原告(被害者)と和解し、訴訟の取下げ狙うだろうと思います。これは法制度全体に及ぶ判決の確定を回避しながら、現実的に被害者に救済の手を差し伸べるアメリカ的な選択肢として存在したと思います。もっともアメリカなら過去の判例及び事実関係と照合して、どういう状況下なら立法府の不作為責任が問われる場合があるか、出訴期限の消滅時効が停止する場合があるかを検討し、不利だと判断した上で上述の選択肢に及ぶのでしょう。

 政府談話に法的な拘束力があるとは思えませんし、今回の日本政府の対応は判決内容を地裁レベルにとどめるという狙いでも一部にあったのでしょうか。時間がかかる日本の裁判、30年、40年以上にも渡って人権を侵害されてきた高齢の被害者という現実を前に、今からもっとも短期間で被害者救済をおこなうという点から見れば、政治的であるとともに日本的な意味で現実的な「社会正義の実現」だったのかもしれません。ただ、同じ過ちを繰り返さないために本来なされるべき議論、どのような基準・状況下であれば国会の不作為責任が問われるのかという議論が置き去りにされているように思います。それは司法、立法、行政のチェック・アンド・バランスの議論でもあります。

 司法による立法へのチェックを政府・国会が認めた新たな事例として今回の判決を歓迎したいと思いますが、不作為責任を問われないためにはどういう手続きを国会が持つべきかという議論をまさに国会においてして欲しいと思います。小泉総理のような人が出てこなければ解決できないという人物論に回帰するだけなら、何か水戸黄門のような話です。

     Lepon McCarthy White & Holzworth 法律事務所 米国弁護士:加藤芳洋

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 ■ 池原麻里子  :C−NET(国会TV)ワシントン事務所 代表

 そもそもアメリカでは市民は連邦政府を限られた条件下でしか提訴できません。民法上、政府の不正行為以外(tort)について提訴できる期間は6年以内と決まっています。不正行為については市民はその行為があった2年以内に担当省庁に苦情を提出しなければなりません。担当省庁はそれに半年以内に回答するか、回答しない場合は苦情を自動的に却下したということになります。市民は回答があった時点で、または半年経過して回答がなかった場合、半年以内に提訴しなければなりません。従って、アメリカの裁判所が上記の期限が経過した訴訟について賠償を認めるという判決を下だすことはありえません。

 その一方で裁判で、政府の行為が合憲だったという判決が下だされた場合でも、政治判断で被害者に賠償するというケースはあります。一番、有名なケースとしては第二次大戦中に強制収容された日系人に対する賠償があげられます。42年にルーズベルト大統領は行政命令によって12万人あまりの日系人を強制収容所に送り、連邦最高裁判所も43年、44年と2度、政府の措置は合憲であるという判決を下だします。

しかし、戦後48年に連邦議会はJapanese American Evacuation Claims Actによって住居やビジネスを失った日系人に賠償します。その後、76年にフォード大統領が42年のルーズベルト大統領の行政命令を解除し、強制収容が不当だったことを認めます。そして80年には戦時日系市民収容問題委員会が設置され、82年の報告書で政府の行為が不当で違憲だったという結論を出し、賠償を勧告します。この勧告に基づき議会はCivil Rights Act of 1988で日系人一人あたり2万ドルの損害賠償を認めました。

 今回のハンセン病国家賠償訴訟の熊本地裁の判決は故意がない国会議員の不作為に対して法的責任を認めたという点で国家賠償法の解釈上も、民法上、損害賠償権が20年で消滅しているのに賠償を命じたという点でも法的には問題点のある判決ですが、この問題を包括的にとらえ、控訴を断念した政府の政治的判断は正しいと考えます。

            C−NET(国会TV)ワシントン事務所 代表:池原麻里子

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 ■ 中林美恵子  :米国上院予算委員会

 米国は裁判の本場とはいえ、それが世界から見習われる程に立派だという訳ではありません。マクドナルドで熱いコーヒーを飲んで舌を火傷したのはレストランのせいだと訴訟を起こし勝訴したり、泥棒が進入先の家で怪我をしても家主に責任を追及できるなんていう妙なものもあります。

 昨年の大統領選挙で得票が拮抗してしまった際にも司法が介入しました。日本でも報道されているように、結局は最高裁の判事達の政治理念(保守対リベラル)で判決が決まったのは記憶に新しいところです。どこまで突き詰めても、結局は政治判断にゆだねなければ物事の決着がつかないのが人間社会であると思います。ハンセン病訴訟の例もその部類に入ると私は思います。

 政治判断は、リスクを伴います。誰がその責任を負うのか、どの党が失策をしたのかなど、ある程度責任者の顔が見えるからです。そして彼らは選挙でもって「クビ」にできます。官僚機構や裁判官に任せっきりにしたら、国民は自分の国をどのように修正したいと思っても、選択を行使することができません。

つまり、機能している民主主義社会では、政治判断は実に民主主義的だと思います。国民がそれを見届けられるし、いざとなれば実際にその政治家を落選させたり政変を可能にさせたりできるのですから。(果たして日本が何処まで機能している民主主義国家なのかには様々な議論が有ろうとは思いますが。)ともかく今回のハンセン病訴訟に関しては、少なくとも日本もそろそろ誰かが政治責任とリスクを負うという段階にきたのだろうかと感じました。

                       米国上院予算委員会:中林美恵子
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 ■ 愛知和男  :元環境庁・防衛庁長官

 ハンセン病訴訟に関する今回の政府の対処は まさに小泉首相の政治判断に基づく決断以外のなにものでもないと思います。もし逆の決断をしていたら小泉首相の支持率は急落したことでしょう。その意味で 小泉首相にとってはこの決断しか選択の余地はなかったと思われます。また私としてもこれでよかったと思っています。問題は、一地裁の判断を控訴しないというかたちでこの問題に決着をつけたというプロセスは法治国家として大きな問題を残したということです。

 私はたまたま環境庁長官の時水俣行政訴訟について当事者のひとりとして関係しましたが そもそも行政は法律に基づいて行使されるものであって 法律がなかったときに起こった事件にたいして行政責任を問われてもむりである。問われるべき責任はまさに政治責任なのである。政治判断に基づいて問題を解決すべき問題であるという対応をいたしました。日本ではいわゆる超法規的対応を認める傾向があるのは法治国家として問題だと思えてなりません。これを機に法治国家としての成熟を期すための
広い議論が展開されなければならないと思います。

                       元環境庁・防衛庁長官:愛知和男

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 ■ 黒岩祐治  :フジテレビ「報道2001」キャスター

 私自身、ハンセン病訴訟の控訴断念は当然であり、それを決断した小泉総理の判断は全面的に支持すべきものと思っていました。それだけに編集長からの問いかけには逆にハッとさせられました。マスメディアに携わっている自分自身の判断にあやまりはなかったか、改めて考えなおすきっかけを与えていただいたことに感謝しなければならばいと思いました。

誰も疑問に思わないことがほんとうに正しいことなのかどうか、それは常に検証し続けなければならないことです。それはマスメディアが最も不得意とすることかもしれません。今回の件についても政府はあくまで控訴をすべきだと考えていた国民はいったいどのくらいいたのでしょうか?ハンセン病の元患者さんについては私も直接取材したことがありますが、その差別の歴史について心を痛めない人はいないでしょう。その被害者である元患者さんたちがやっとの思いで勝ち取った判決に対して、政府は控訴の権利を行使すべきだと考える国民はほとんどいなかったのではないでしょうか。

その意味で政府の控訴断念は国民感情からして当然であり、逆にこれまでの政府のやり方がいかに国民感情とはかけ離れたものであったかが浮き彫りになったと言えるでしょう。では国民感情に合致したすべての政策がほんとうに国民のためになると言えるのでしょうか?それがノーであることは歴史が物語っていることですが、編集長から投げかけられた問題はその点をついたものではないでしょうか?国民感情に合わせるだけの政治をポピュリズムというのでしょうが、激しい視聴率競争の中にあるマスメディアの現場でポピュリズムへの流れを止めることがいかに困難なことであるかは正直に認めざるをえません。

私は今回のハンセン病訴訟の控訴断念のケースについては、あれやこれやと再考してみてもやはりその判断は間違っていなかったと思わざるをえません。政府が控訴という権利を行使できなかったことで我々国民が失ったものが大きかったとは思えませんし、元患者さんのこれまでの境遇を思うと、たとえこれが例外扱いの特異ケースであったとしても、問題はないと思うからです。しかし、どんなに当然と思うことでも、客観的に検証しなおそうという謙虚さを持ちつづけなければ、マスメディアは安易な国民迎合主義に道を拓く危険性があるということを私たちがどれだけ意識できるかどうか、それが責任あるメディアの最低条件であると痛感した次第です。

               フジテレビ「報道2001」キャスター:黒岩祐治

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 ■ 村上博美  :経済戦略研究所 研究員

 やはり、今回の事でも感じたことは、一応の「解決」を見るまでどうしてこれだけ長い時間がかかるのかということです。一生をかけて戦わなければ不当な扱いを証明できないというのは資源の無駄遣いではないでしょうか。今回のように政治判断によるもの以外でも、一般の裁判でさえ、「おかしい」と思っていることがそう証明されるのは相当時間がかかります。本来ならば正当性を主張できるものでも、「泣き寝入り」や「仕方がない」とあきらめるケースが多いのはなぜでしょう。それはつまり、日本の司法制度が日本人にとって閉鎖的なのではないかと思われてなりません。

 これだけ急激に環境が変化しているのに、司法制度そのものが全く変わっていないことに問題の一旦があるのではないでしょうか。司法のインフラという面では日本とアメリカでは比較にならないほどギャップがあります。例えば、ワシントンDCはちょっと特殊ですが、人口15人に1人の割合、全米平均すると人口238人に1人の弁護士がいます。日本の場合、人口7486人に1人(日本弁護士会調べ)という割
合です。

 平均時間給は100ドルから300ドル程度まで(弁護士事務所の大きさや内容、弁護士の知名度にもよりますが)、アクセスしやすいかといえば、それぞれのお国の言葉でOKとTVコマーシャルが流れたり、救急車に乗るとその後ろから弁護士が追いかける、という光景もあるようです。それに対して、中流家庭が事件に(被害者としてでも)巻き込まれた場合、どうしていいか途方にくれるのが日本です。

 弁護士の数が絶対的に少ないので容易にアクセスできない、しかも料金は見当がつかない、人権(プライバシー)が守られない、結果的に一家離散など生活が乱されてしまいます。もし、弁護士の数が多く(それゆえサービスが多様)、料金が比較的安く、自分の生活を乱されない司法サービスが身近にあれば、自分の本来の経済活動に支障をきたさず、時間などの資源が有効に使えます。慶応大学の島田晴雄教授が言っていたファミリードクターならぬ、ファミリーロイヤー(年間一定料金を払っておけば、何か起こったときすぐ相談できる)というアイディアは大変良いのではないかと思います。現在進められている司法改革は、日本の司法インフラのボトムアップという意味で非常に重要なことです。

 日本の情緒的なものの判断の仕方は、対外関係では不利でしょう。国内では通用するかもしれませんが、それを対外関係で同じように求めることは難しいと思います。また実用的な弁護士の知識を持った人材が多いか否かでは国の力にも関わってきます。

 弁護士の数が多いということは、弁護士事務所だけではなく政府の中枢で働く弁護士も比較的多いということなのです。通商代表部(USTR)では弁護士として働く人は全体の10%を占めます。弁護士の知識を持った人も含めると数はもっと上がるでしょう。もちろん、日本政府も相当の人材を配備して交渉にあたっていると思いますが、やりあうのは大変だろうとつくづく感じます。話はそれますが、WTO閣僚会議等が開催される時期になると、ワシントンにある弁護士事務所は日本からの仕事が殺到するそうです。

 例えば、農業関連団体等から、その団体に不利になるような条約締結に影響を与えるためのロビーストとしての仕事を請け負うのです。仕事の内容は別として、日本にもしそれだけの経験と質をそろえた司法サービス業があれば、お金はアメリカではなく日本国内に落ちるのに、と残念に思います。インフラが違うということはサービスの国際収支にも関わってくるという一例です。

 今回の問題を機に、国民の生活を守る司法サービスがどうあるべきかという議論が進み、司法改革が前進することを期待します。

                      経済戦略研究所 研究員:村上博美

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