日本外交−金氏の偽造パスポート入国について

質問:村上龍JMM編集長 (2001年5月15日掲載 )

 北朝鮮の、キム・ジョンイルの長男が、ドミニカの偽造パスポートで日本に入国しようとして拘束されました。日本政府は、政治問題化するのを恐れて、64時間後に、身元確認をせずに、出国させました。面倒な異物はとりあえず排除する、という感じでした。
ごくシンプルに考えても、せめて1週間ほど、ゆるやかな拘束状態で、遊ばせながら、情報を集めれば良かったのに、とぼくは個人的に思います。

アメリカ合衆国だったら、こういうケースではどう対応するでしょうか?

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 ■ 渡部恒雄:CSIS戦略国際問題研究所 日本部主任研究員

 日本の対応はあれで全く良かったと思います。参考までに、数人の元米国務省の外交官に尋ねてみたところ、アメリカでもおそらく、同じような対応をするだろうということです。

 勿論、日本とアメリカでは北朝鮮との関係も、状況も違うので、単純比較はできませんが、「民主主義国家」における法律面および外交戦略の両面から見て、あれ以上のことはするべきではなかったと思います。

 一週間ぐらいを日本に止めておいて、様子を見るべきではなかったかという意見ですが、これが最も中途半端で下手な対応です。一週間ぐらい遊ばせておいてからといって、何か状況がよくなる、あるいは情報を引き出せると考えるのは、極めて甘い考えです。状況は何にも変わらない、むしろ、マイナス面がでてくる可能性を考えるのが自然です。(例えば、日本国内から拉致家族を中心にした予想以上の強硬な要求が来て政治問題化して政府が国内的に動きがとれなくなったり、あるいは北朝鮮が全くの関係のない事項に関して日本に不利益になる何かを一方的に行う、といったことが想像できます。)

 そもそも、問題の人物が、正式に金正日氏の息子の金正男氏と特定されていないのですから、北朝鮮側にはいくらでも逃げ道があります。そして、日本は民主主義国家ですから、既存の法律を超えた、無理な抑留や尋問はできません。勿論、問題の人物が、犯罪やテロ行為に関わっているような証拠があれば、話は別ですが。

 それから、その動機はともかく、北朝鮮はEU代表団に、2003年までミサイルの発射を控える意志があるという発表をしたばかりです。いままでの経緯からいって、北朝鮮のこのような一方的で思い切った提案には、常にそれなりの思惑があると考えたほうがいいと思います。そのような時期に、日本が自国だけの特殊利益である拉致疑惑を理由に、あまり建設的ではないことをすることは、むしろ、自国の利益にマイナスとなるでしょう。

 誤解のないようにいっておきますが、他国に遠慮して拉致疑惑を我慢しろといっているのではありません。ある程度、日本が同盟国、友好国と足並みを揃えて、北朝鮮に対峙したほうが、結果的には、北朝鮮からより多くの妥協を引き出せますし、その中に、拉致疑惑の解明を入れたほうが、結果的には近道だということです。日本が一国だけ、先走っても、得るものは少ないでしょう。

 現在までの、対北朝鮮への関与政策は、1994年に戦争直前までいった危機を「枠組み合意」で乗り切り、ペリープロセスと呼ばれる日米韓の緊密な政策協力体制の確立により、少なくとも現在まで、北朝鮮の軍事的暴発や核開発の進展を抑止しています。劇的な南北対話を作りだした韓国の金大中・大統領の太陽政策もこのような強い国際的な枠組みにより維持されていると考えるべきです。

 逆の立場の北朝鮮にすれば、このような枠組みを混乱させることで、何か、目的のものを引き出すことが可能です。例えば、日本の歴史教科書問題で、日韓の関係がぎくしゃくしている現在などは、いい機会かもしれません。しかも、日本の拉致解明への国内の政治要求は、決して、アメリカと韓国との共通の利害ではないため、日米韓に楔を打ち込むいい機会かもしれません。

 今回の問題の人物がどのような意図で入国したかはわかりませんが、あまりにもお粗末な偽造パスポートを持ち(パスポートには過去に3回入国している 形跡があるらしいが)、かつ、同行の人物があまりにも簡単に、金正日の息子の名前をだしたということも、気になります。

 基本的には、このような偽造旅券のケースであれば、どう転んでも、普通は国外退去で済むはずですから、あえて金正男の名前を出す必要はまったく無かったはずです。

 このような状況を考えれば、下手に手をださないのが賢明だ思います。君子危うきに近寄らず、です。

           CSIS戦略国際問題研究所 日本部主任研究員:渡部恒雄

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 ■ 匿名希望1

今回の金正男の件ですが、私は日本政府は妥当な対応をしたと思っています。というか、あれが精一杯の対応だったと思います。小泉内閣も発足したばかりで、田中外相もまだ外交政策についての立場を固めている途中でしょうから、今回違法入国を政治化せず国外退去にしたのは、変に政治化してLee Tenghuiの一件のようにことを荒立ててしまうよりは良い選択だったと思います。もちろん、今回の処置が日本の移民法に則るものであり、北朝鮮とのセンシティブな関係を熟慮した上のものである、と小泉政権が明確に説明できればもっと良いのですけれでも。

この件に関して、もしアメリカに同じ事が起こった場合、アメリカと日本との対応がどう異なり、どうして日本がアメリカのような対応ができないのかという議論に持っていくのは、おかしいと思います。米朝関係と日朝関係では性質も問題も大きく異なりますから。ちなみにアメリカがどう対応するであろうかを考えてみると、やはり自国の移民法にのっとり対処し、日本のように国外退去を命じたと思います。日本とア
メリカの移民法は異なりますから、対応も違ってくるでしょうけれども。(私は移民法の専門家ではありませんのであまり詳しくは意見できませんが・・・)もちろん唯一のスーパーパワーアメリカは、北朝鮮に貸しを作る形で対応するでしょう。アメリカにはそれだけの力と外交スキルがありますから。

今回の一件を今後の日朝間問題、とくに拉致疑惑におけるリベレージとして使うべきだった、つまり日本が北朝鮮に貸しを作る形で対処すべきだったという意見も聞かれますが、今の日本の政治状況と外交スキルを考えた場合、それは大きなリスクを伴った、つまり、かえって北朝鮮との関係を悪化させてしまう事になった可能性の方が高かったと思います。

ちなみに私は今回の件に関してはメディアの問題の取り上げ方が行き過ぎてしまったと思っています。まるでゴシップを扱うような記事やニュースばかりで、日朝関係の現状を踏まえて事実を冷静に報道しているところがなかったのには驚きました。


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 ■ 匿名希望2

私も、匿名1さんの意見に概ね賛成です。ただ、政府の対応の関係で言えば、事後に外務省なり法務省なり、或いは官邸でもいいと思いますが(この案件は法務省の管轄だとは思いますが)、公にできる範囲内の事実関係をきちんと談話として発表するなり、公式に記者ブリーフィングをしてその中で質問に答えるなりすべきだったと思います。それをしないから、観測記事が紙面を賑わせ、匿名1さんが指摘するようなゴシップに似た扱いしかされないのではないでしょうか。

いつもこの手の話が出ると「あぁ」と思うのが、「アメリカなら違う対応をしただろう。何故、日本はアメリカのような対応ができないのか」というニュアンスの議論です。そもそも、米国で同様の事件が起こったとしてもその対応は移民帰化法に則ったものになったであろうと思われるのが一つ。さらに、仮に米国の情報活動関係機関と司法当局との間で「一週間くらい泳がせて様子を見ようか」というような合意が成立したとして、事実そのような対応がとられるにしても、米国は日本のように北朝鮮工作員に起因する問題を抱えていない訳ですから、そのような対応を取る余裕も、日本に比べればあるでしょう。アメリカが取る対応がいつも最善の対応であるかのような捉え方では、議論の本質を見失うと思います。

アメリカとの関連で言えば、彼らはこの事件が日本で報道されるかされないかのうちに既に事件の概要を掴んで日本側に情報提供を求めて来ています。その意味では、米側の情報活動関連機関と日本側のカウンターパートの間でどのようなやり取りが行われたのか(これは決して表には出ないでしょうが)の方が、日米間の情報共有という点から見れば興味深いのではないでしょうか。

                                 

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