PRANJワークショップ記録 

    「日本の外資政策」

 
2002年4月21日  ワシントンDC

■  講演者
 Dewey Ballantine LLP 法律事務所  日本情報室長 菱川摩貴氏

座談会参加者:
渡部恒雄 (戦略国際問題研究所)
江口一元
一橋総合研究所
遠藤俊英 (IMF財政局)
中村美千代(フリーランス・ジャーナリスト)

司会 村上博美(経済戦略研究所)

 

さて話を元に戻しますと、この「対内直接投資などの自由化について」という閣議決定はあまりにも長いので、いわゆる「自由化対策」に関連する部分だけご紹介します。それを読んでいただくと、大体どんな対策を取ろうとしていたか分かっていただけると思います。最初にお話した通産省の「基本的スタンス」がそのまま取り入れられています。自由化対策は(1)外資の進出に伴う混乱の防止、(2)競争条件の基盤整備、(3)国内企業の競争力強化、の3点に絞っています。この中でも特に「民間の努力を誘導、補完する」政府の役割が強調されています。また国内企業の競争力強化策では、政府が税制、金融面で「支援、誘導する」措置をとるほか、中小企業や近代化の遅れが目立つ流通部門の支援策を講じる。こういう方針をここで「自由化対策」として出しています。
 
 
この閣議決定を基本路線に、資本自由化が進められます。第1次が1967年7月1日に実施されます。この内容は外国企業・政府をかなり失望させました。結局1967年に「自動認可」されたケースは0だったのです。1968年もたったの2件。第2次資本自由化は、1969年3月に行われました。この第2次では、第1種に135業種、第2種に新たに20業種が加えられました。この他に、9業種が第1類から第2類に移されまして、第2種は計29業種増えたということになります。この1969年に自動認可されたケースはわずか2件。つまり、1967年から3年間、「自動認可」されたのは計4件だったのです。1970年9月1日に実施された第三次自由化では、第一種業種が著しく増えて287業種、第二種は33業種でした。第四次は、第1種をポジティブリストからネガティブリストにスイッチし、第2種については新たに151種をポジティブリストに入れました。そして、第五次自由化が1973年に行われました。この第五次自由化によって、5業種を除き、一応原則的に全業種自由化されました。この5業種とは、小売、農林水産業、鉱業、石油業、皮革製造業です。1975年6月には、例外業種のうち小売業が100%自由化されました。
ただ、第五次の自由化が終了しても、外資法で制限を加えることができました。外資法・外資審議会がようやく廃止されたのは1979年です。

1975年までに外資系企業が新規または既存企業の買収を通じて認可されたのは、全部で2338社。
そのうち、自動認可が828社。自動認可が増えたのはやはり第5次自由化以降でした。

「流通対策」

どの業種を自由化するか、国内で非常にもめました。各業界にしてみれば重大問題ですから、大半の業種でもめたのですが、当時国内企業がその競争力に自信をもっていた業種(例えば繊維など)は結構「自由化してもいいよ」と言っていたわけです。中でも特にもめた業種として、自動車、コンピュータ関係、農畜水産関連、そして流通業が挙げられます。

ここでは、なぜ流通分野でもめたかということを少しご説明したいと思います。流通業の自由化は、第2次から始まります。第1次では、流通はポジティブリストに入りませんでした。先ほどの、1967年6月6日の閣議決定資料をもう一度見ていただきたいのですが、そこに「流通部門は近代化が最も遅れており、外資の進出に対する抵抗力が弱いうえ、この部門に進出した外資は関連する生産部門にも大きな影響を及ぼす」とあります。つまり、流通部門の自由化が及ぼす、生産部門への影響が危惧されたわけです。流通部門に外資が入ってきて、そこからなだれ込むように生産部門に入ってしまうのではないか、バイング・パワー(buying power)を使って、日本の製造業者を威圧するのではないか、とそういった懸念が非常に強かったのです。その当時の業界誌を読むと、セーフウェイが来てしまったらメーカーとしてどうしようといった話が盛んに出てきます。

その懸念は、「産業構造審議会中間答申」からうかがえます。そもそも通産省において、戦後の流通政策は産業構造審議会流通部会という場が中心になって議論、決定されました。いわゆる「自由化対策」の一環として行われる流通対策も、この部会で議論されていくことになります。この「流通近代化の展望と課題」というのは、同部会6つめのレポートで、1968年8月に通産大臣に答申されました。同中間答申で、流通部会は資本自由化を進める場合のメリットとデメリットを挙げています。メリットとして挙げられたのは以下の」三点です。

1)「(外資による)刺激が有効に活用されれば、わが国の流通の合理化、近代化が促進される」
2)「外国企業の合理的な経営方式による刺激が有効に活用されれば、(複雑な)取引慣行や取引経路の合理化が促進される」
3)「競争原理による刺激を有効に活用すれば、流通の効率化が促進される」

流通においては、今日まで引き続いている取引慣行などの問題が、その当時も取り上げられていました。こうした問題点が資本自由化で解決されると言っているわけです。「メリット」の部分を読むと、「それでは自由化を進めればいいのではないか」と思わざるを得ません。

しかし同時に、資本自由化は重大な問題を生ずる恐れもあると同答申では述べられています。「資本力の格差から来る外資の支配力によって成長分野を独占的に支配される恐れがある」、「過当競争を激化」させる、そして、生産部門に対する影響ですね、「販路の掌握により生産部門が支配され、わが国産業の国際的下請化」が進んでしまうと。それから今度は逆に、「生産部門の自由化が進めば、直接、間接に流通部門に大きな影響を及ぼすことも忘れてはならない」としています。やはり、生産部門に対する影響というものが、流通部門で自由化を進めるにあたって絶えず付きまとい、政府は自由化を躊躇するのです。
 


            
 
例えば、第2次自由化で流通部門の一部が資本自由化され、卸売業と単独専門小売店が第一類自由化業種(外資比率50%まで自動認可)に選ばれました。ただし、自由化業種に該当する製造業の製品に係るものに限定されました。更に、単独専門小売店については通信販売や訪問販売は除かれ、店舗をもつ小売業者も建築面積500平方メートル以下に限定されてしまいます。また当時、コンバータやラックジョバーと呼ばれる卸売業者がいました。コンバータとは、「自己の販売する商品の製造業者または自己の販売する商品を原材料として使用する製造業者に対し、自己の計算に元づいて製品の品質、意匠その他の基本的事項に関する指導を行い、その製造を行わせるもの」を指し、また、ラックジョバーというのは、「小売業者との間で、当該小売業者の店舗の特定部分に、もっぱら自己の選定する商品を陳列、補給し、消費者に購入された分に相当する代金を当該小売業者から定期的に回収する旨の契約を締結するもの」を指したといわれます。要するに卸売業者で、製品の企画・マーケティングや販売斡旋(店舗の陳列、補給など)を手伝う人たちのことだと思います。こうした業者も、製造分野を支配する恐れや、収益性の高い商品などについて新しい流通ルートを形成して卸実質的に小売部門に進出する恐れがあるということで、自由化から除外されてしまいます。

こういうわけで、流通部門の資本自由化は、結局、制限されてしまいます。先ほど小売業を含む
5業種が自由化の対象から外されたと言いましたが、実は小売業の一部は対象となっていました。
しかしそれも、店舗数が11を超える小売業については、個別審査の対象となります。そして11
以下のものについては、外資比率50%以下なら自動認可となっています。これを見るとやはり、
チェーン店を恐れていることがわかります。チェーン店は、バイング・パワーを持っていますか
ら、製造業に対する影響力も大きい。

あと、大規模小売店舗法(大店法)が1973年に制定されたのですが、これは「大規模な小売店
舗を出店するときは、周りの中小小売業者と共栄共存するために調整を図っていきなさい」とい
う、いわば経済規制・調整法といわれています。同法は2000年6月、大店立地法という法律に
とって代わられます。大店法は、アメリカ政府が長年、市場参入障壁として問題視してきました。
大規模小売店舗というのは棚スペースも豊富で、輸入製品を並べる可能性も高い。大規模小売店舗の出店を規制する法律は、回りまわって輸入品の参入機会も減らしているというのがアメリカの主張でした。また大店法は、世界貿易機関(WTO)におけるサービスの貿易に関する一般協定(GATS)に違反している点も指摘されました。こうした理由などから、大店法が廃止され、2000
年6月、大規模小売店の出店の際に周囲の環境を重視する大店立地法に代わりました。

話を元に戻します。この大店法には、実は資本自由化対策という側面もありました。ここに
1973年の官報から取った衆議院会議録があります。当時の中曽根通産大臣が大店法に関する法案の提出背景と理由を説明しています。傍線を引いた部分ですが、「まず、国際化、自由化の問題につきましては、これを急激に行わないように、中小企業における抵抗力を培養した上で、要撃能力をつけて徐々に段階的にこれを行うようにいたしております。その抵抗力をつける政策といたしましては、今般百貨店法を改正いたしまして、百貨店、スーパー、小売商業などの営業の調整を行うということにいたしまして、特に最近進出してきましたスーパーと小売商業との調整
を心がけ」るということで、大店法を制定することにしたと中曽根通産大臣は説明しています。
これを読むと、中小小売業者が「要撃能力」をつけて外資に対抗するため、つまり自由化対策と
しても、大店法を制定したということが分かります。

流通部門の競争が大店法などによって制限されている状況を、競争政策・独禁法の角度から分析したものが、配布資料11頁目にある『Antimonopoly Laws of Japan』の抜粋です。同書は競争
政策の番人たる公正取引委員会の役人である伊従寛氏と上杉秋則氏による共著で1994年に刊行されました。この抜粋部分で同氏は、日本の流通部門における競争欠如が、国内製造業にもたらした影響を指摘しています。外部から競争圧力がなかったことや、大店法などによる規制から、日本の流通部門は規模の経済が追求されず、非効率で、競争も比較的欠如していた。その結果、国内市場では、日本の製造業者間の価格競争も限定的なものとなり、製造業者は比較的安定的な利潤を確保することができた。その利潤は、研究開発や設備投資に費やされ、また輸出市場で勝負できる足がかりとなった。一方流通業と違って、通産省の指導下、国内の製造業は規模の経済を追求、生産性向上を目指していたため、その効率性の高さが、特にアメリカなど、流通システムが比較的オープンで効率的な外国市場に進出できる原動力となった。また、日本の商社がもつ情報ネットワークも、国内製造業の海外進出に役立った――と指摘されています。
 

                

<今後の政策を考えるにあたって>

このように過去の外資政策等を検証してみると、日本も変わったなと思います。皆さんもご存知だと思いますが、1ヶ月程前、ウォールマートが国内スーパー第4位のセイユー株を取得する発表しました。まず6.1%出資し、将来は出資率を66.7%にまで上げて、大株主になる可能性があるということです。30年前には考えられなかったシナリオですよね。それを不可能にする政策があったわけですから。このような変化の背景には、今の日本経済の状況があると思います。経済の低迷が続く中で、日本は「経済を活性化しうる有効な手段」として外資に期待しています。だからこそ、自由化対策の作成・実施に中心的役割を果たした通産省、現在の経済産業省が、今やその通商白書の中で「構造改革推進のための対内直接投資の積極的活用」を唱えているのです。このことは、外資に対する最近の日本の政策転換を見事に映し出しています。

あと、日本のマスコミの論調も変わってきました。私が気づいたのは、昨年の夏ごろです。1999年くらいまでは、外資によると大型買収があるたび「黒船再来!」という論調が見られたのですが、今は「第二の開国を目指せ」とか「雇用のために外資の導入を」といった論調が強くなってきました。雇用のために外資の導入を図るという見方が出てきたことは、大きな変化だと思います。

では、これから外資を積極的に取り入れていくためにはどうすればいいか、ということを考えますと、やはり日本がこれまで外資対策として何をやってきたかということを検証してみないと、なぜ、国際的に比較してみて、外資による直接投資が低水準にとどまっているか分からないと思います。昔どういうことをやってきて、それが今にどうつながっているかということを分析することが必要だと思います。

あとこういう昔の外資対策などを見ていると、日本における製造業や「つくる」ことへのこだわりがよくわかります。というか、そればかりが強調され、外資対策などを打ち出すにあたっても、消費者の利益という観点が1つも出てこない。これは、どういうことでしょう。まず、国内の製造業の競争力を高めなければいけない。それだけが前面に押し出され、消費者の視点とか消費者の利益追求というものが欠落しているように感じます。

もう1つは、外資のみならず市場経済に対する不信感というのが、日本では根強いのだなと感じます。外資政策をみても、何をしでかすか分からない外資(=市場)をある程度マネージメントしていかなければならないという政府の意識が強く表れていたと思います。良くアメリカ人に「過当競争(excessive competition)」とは何だ、と聞かれます。どこから競争が過当(excessive)なのか、何で競争がexcessiveなのか、競争があればいいのではないか、というわけです。でも、日本の新聞等では、今でも過当競争という言葉が頻繁に出没します。こうしたことから、市場競争に対する不信感、抵抗感というのは日本ではまだ強いと感じます。

1つ言い忘れたのですが、実は、今、経済建て直しに政府の役割はどうあるべきか、という問題に関して、3月27日に塩川財務大臣が「昭和35年代―40年代、重厚長大産業を官主導で引っ張っていった。それが高度経済成長期になって、今日の経済基盤を築いた。同様に、今も不況から脱却しようとするなら、産業リードを政府は明確にやるべきだ」と語っておられました。このあたりは今からディスカッションをして、そうすべきなのかどうか、という点を話し合っていただければと思います。これで、私の話は終わらせていただきます。
 

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文責 大林一彦氏(ありがとうございました)

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