PRANJワークショップ記録 

    「日本の外資政策」

 
2002年4月21日  ワシントンDC

■  講演者
 Dewey Ballantine LLP 法律事務所  日本情報室長 菱川摩貴氏

座談会参加者:
渡部
恒雄 (戦略国際問題研究所)
江口一元
一橋総合研究所
遠藤俊英 (IMF財政局)
中村美千代(フリーランス・ジャーナリスト)

司会 村上博美(経済戦略研究所)

 

菱川:最初にお断りさせていただきたいのですが、今日お話しする内容はあくまで私個人の意見であって、Dewey Ballantine LLP法律事務所、並びに弊事務所の顧客の意見を代表するものではない点をご理解いただきたいと思います。

今日のテーマは、日本の外資政策、主に1960年代から1970年代-ちょうど日本で外資による対内直接投資が始まった頃に日本が取った政策内容をお話したいと思います。なぜ過去の外資政策の検証が今重要かというと、ここ数年日本では、外資が構造改革の推進力とみなされ、また雇用創出の原動力として外資を取り入れていこうという姿勢が徐々に見られるようになりました。こうした中で、当時の日本の外資政策を検証することは、今後外資を取り入れていくために必要な政策を打ち出す上で、何らかのヒントを提供してくれるのではないかと思います。

    菱川氏


また、「失われた十年」といわれ、引き続き経済の長期低迷から脱する策が模索される中、政府の果たすべき役割が改めて問われていると思います。過去の外資政策から、当時の日本政府による外資並びに市場経済に対する見方、市場経済における政府の役割のあり方も垣間見ることができます。その点からも今日のお話が今後の政策・政府のあり方を考える上でご参考になれば幸いです。

お話の構成ですが、まず対内直接投資の現状についてお話し、次に、対内直接投資、または資本自由化が始まった頃の背景、それから、資本自由化を進めるに当たって打ち出された政策とその決定過程についてご説明します。そして、資本自由化対策の中でも特に流通対策がついて言及し、最後にまとめという形で終わらせていただきたいと思います。

<国際的にみて非常に低い日本の対内直接投資水準>

まず、日本への対内直接投資の現状についてですが、財務省による1988年-2000年間のデータがあります。金額的に見ると、最近著しい伸びを見せています。とりわけ平成10年度(1998年度)から順調に増加し、毎年過去最高を記録しています。2000年度も過去最高を記録し、3兆1251億円となっています。これは、前年度比30.3%増です。内訳を見ますと、業種別では金融・保険業が一番多く、次に通信業が続きます。国別ではアメリカからの投資が一番多く、32%となっています。

ただ、この図を見ていただくと分かるのですが、金額の割に、件数が増えていません。件数とは、財務省に届出があった数なのですが、増えていません。これは1件ごとの直接投資が大型化していること、そして一部の業種に集中していることを表わしていると思われます。経済産業省によると、上位6業種、すなわち「金融・保険」「機械」「商事・貿易業」「サービス業」「通信業」「化学業」への投資が投資額全体の90%以上を占めているといいます。ある一定の業種に集中しているということですね。これについて昨年の「通商白書」は、金融、通信業分野では規制緩和が進展し、また自動車産業などでは、世界的業界再編に伴う投資などがあったからではないか、と説明しています。ルノーによる日産への資本参加などがその例に挙げられています。

最近このように対内直接投資は金額的に伸びているのですが、諸外国と比べるとどうでしょうか。2001年の通商白書に掲載された数字があります。どの数字をとっても、日本の直接投資水準は他国と比較してはるかに低いのです。日本の水準は米国の20分の1以下、イギリスの10分の1強、中国、フランスの3分の1です。その結果、生産、雇用、研究開発おける外資の活用、貢献が非常に低いレベルにとどまっています。

なぜこんなに対内直接投資の水準が低いのでしょうか。この点を解明するにあたって、JETROによる2000年の調査が参考になります。この調査で、対象になった外国企業は、対日直接の際の障害として、「各種インフラ・コストの高さ」、「株式の持ち合い構造」「メインバンク制の影響」、「外国企業に対して自社を売却することに対する心理的抵抗感」、「言語の問題」、それから「M&A関連法制や実務に明るい弁護士・専門家の不足」等を挙げています。

このように色々な要因があるのですが、実は、こうした障害を助長するような政策を日本政府が取っていました。実は、1960年代以降、国内産業、特に製造業の国際競争力強化の必要性から、日本政府は外資の国内進出を最小限に抑える政策を講じていたのです。
 

<資本自由化の背景とその対策理念「官民協調方式」>

日本では、戦後、1950年に制定された外資法という法律(当時の大蔵省の管轄ですが)の下で、外資の対内直接投資は規制されていました。ところが1964年、日本はOECDに加盟し、その結果、日本は資本取引の自由化を推進する義務を国際社会に対して負うことになりました。外国資本の日本国内における子会社の設立や経営参加的株式取得などを自由化する義務を負うことになったのです。当時の日本経済の水準からみて、資本力、技術力等で圧倒的に優位にあるとみられた外国企業が対内直接投資の自由化によって日本に進出してくれば、日本の産業の多くはその支配下におかれてしまうのではないかという「資本自由化=第2の黒船」論が強く叫ばれるようになります。その当時の新聞や業界紙等を紐解くと、資本自由化されるとどうなるのだろうか、日本全体が乗っ取られてしまうのではないか、といった懸念を表明する記事が満載されています。
 

 
政策としてどう対処すべきか、外資対策決定過程で旗振り役になるのが通産省です。1960年代初め、当時の通産省企業局長で佐橋滋という方がいまして、城山三郎著「官僚たちの夏」の主人公のモデルとなった人です。その佐橋さんが後に通産官僚を辞めてからインタビューを受けたときの記事があります。

1961年、当時の池田首相が外遊から戻されて、佐橋さんに「OECDに入るぞ」と言われた。それを聞いたときの感想を佐橋さんが語っています。佐橋さんはまず「これにはまいった」と思ったそうです。資本自由化は、貿易自由化と違って目に見えない金が入ってくるから、日本企業がどんどん支配されてしまう、支配されていくと、手を打とうにも、官僚たちの手に負えなくなってしまう、「通産省がモノの行政、産業政策を通じて国力とか経済力とか言っているのが何の役にも立たなくなる」、外資が「きわめて小額の資本で日本の産業を牛耳る」可能性だって出てきてしまう、そうされないためには、本質的に(日本の産業界の)体質を強化していかなくてはいけない、ただ外資法だけでやっていてもだめだ、「何らかの形でもっていく必要がある。そこに特振法の背景があったわけです」とあります。

特振法については、後ほど説明します。特に彼が影響を心配したのが自動車、石油、科学、機械といった戦略産業です。その当時彼は、「この後発の言ってみれば未熟児を、ほったらかしておいたら、一握りにつぶされてしまう。これはそうとうがんばって保護しなければならん 」と言っています。

では、佐橋さんを含めた通産省が具体的に何を打ち上げたかというと、1962年、通産省は「新産業秩序の形成」という政策指針を発表します。そこでは、日本の企業は小さすぎるし、また競争し過ぎる。つまり過当競争に陥っている。そこで市場秩序、または業界ごとの秩序を再構築していく必要性があると説かれています。そうするためには、どうしたらいいか。具体的には企業の合併や提携を進めていって、生産をある程度集中させていく。また、企業ごとにお互いに投資を調整し合って、企業間でも協調していく。そのようにして、業種ごとに秩序を形成していく必要がある。

ここで業種ごとに秩序を形成していくにあたって、政府がどのような役割を果たしていくかということが問題となります。自由放任でもいけないし、だからと言って統制経済でもいけない。そこで当時の通産省が打ち出すのが、協同調整論というものです。言葉を借りますと、「新産業秩序の形成にあたっては、政府と企業の協同によって具体的な目標が設定され、企業はその実現に向かって努力し、政府は企業が目標を達成する過程において、税制・金融面などで優遇措置を約するという方途が有効。」つまり具体的な政府の役割は、企業と一緒になって具体的な目標を設定して、その目標に向かうために色々な優遇措置(低利融資や税控除など)を使って、企業を誘導していく。また、逸脱しないよう監視し、必要のある場合は、政府自らが経済主体として活動し、積極的にその形成をはかる。こういう「官民協調方式」を打ち出します。

これを法制化したものが「特振法(特定産業振興臨時措置法)」というものです。これは、資本自由化に備えて、日本の企業の国際競争力を強めなければならない、というものです。元の法案は「国際競争力強化法」という名前でした。まさしく自由化に対処するために作られた法案なのです。国際競争力を高めるためには、企業は集中、合併、専門化していかなければいけない。そのためには、政府が税制、金融の面から援助する。産業再編成のあるべき姿については政府、各業界、金融機関の三者協議によって結論づけようという「官民協調方式」が中核にある。こういう法律でした。

ところが、この特進法は法律になりませんでした。結局、特振法は廃案になってしまいます。通産省は、もう一度法案を提出するかどうか迷ったのですが、結局提出しないことにしました。何だかんだと言っているうちに、とうとう1964年にOECDに加盟してしまったものですから、もたもたしている時間はない、ということになったわけです。そこで、法の下ではなく、「特振法廃案後の産業体制政策」にあるように行政指導によって、業界ごとに官民強調方式を実現していこうではないか、ということになりました。

ですから、特振法は廃案になりましたが、特振法の骨格になった官民協調方式と体制金融は残ることになったのです。それを具体的に政策として行うことを、当時の通産大臣が1964年の6月26日に「特定産業振興臨時措置法案の審議未了に伴う今後の方針について」として発表しました。具体的にどういうことを行うかというと、カルテル行為もして、出来る限り集中化を進めていって、外資に対抗するために体質――当時「体質」という言葉が良く使われるのですが――その体質を強化していく。これを業界ごとに実行していくということになります。業界によって、官民協調方式が具体的に行われた「場」は異なりました。官民協調懇談会というものが出来た業界もあります。業界団体の自由化対策委員会の場合もありましたし、それから政府の審議会の場で具体策が議論された業界もありました。
 
 
      
「自由化対策」と「自由化措置」

資本自由化対策の具体的な内容ですが、通産省は1966年6月に、同省の基本的スタンスを発表します。この通産省の基本的スタンスが、後に政府の方針として、取り入れられるわけです。この基本的スタンスでは、資本自由化は避けられないし、メリットもあるとしながらも、日本に進出する外資に対抗するための施策――ここで「自由化対策(Liberalization Countermeasures)」という言葉を初めて使うわけです――が必要であるとしました。同省による自由化対策は次の3つのポイントからなります:1)外資による過度の業界支配を極力避けるよう配慮、 2)対内直接投資の自由化は業界の競争力に応じて段階的計画的に実施 、3)各業界の実状に応じて自由化の目標年次を定めて自由化前に業界の体制整備と体質改善を促進する。つまり、競争力をつけるまではその業種を自由化させないという方針を明らかにしたのです。さらに、業界事に、競争力をつけるための具体策を決めていくことも提案しました。

この基本スタンスに沿って通産省では外資の対日進出の影響を含めた実態調査を業種別に実施し、
経団連や各業界団体と話し合い、意見調整を重ねます。そして1967年4月、より具体的な自由化対策を発表します。この自由化対策の柱となるのが「外資の進出に伴う混乱を防止するための対策」、「国内産業を外資と同等の条件に立たせるための条件の整備」、そして「国内産業を競争力のある産業に育成するための助成」の3つです。具体的には例えば、各企業が安定株主対策をする措置や、外資による経営支配を防止するために必要な資金の融資、債務保証、政府金融機関の活用などが挙げられています。また業種別に構造改善ビジョンを策定し、それを推進したり、産業界のみならず金融界とも業界ごとに連携体制を図ったりといったことも盛り込まれました。

こうした通産省のスタンスは、大蔵省の外資審議会の議論を経て、「対内直接投資等の自由化について」としてまとめられ、1967年6月6日に閣議決定されます。その内容は通産省の基本的スタンスに沿ったものでした。ここに、閣議決定の際に官房長官が発表した談話があります。私はこれを初めて読んだとき、当時の外資に対する政策関係者の強い反感と警戒感が、公にまた素直に表現されていることに驚きました。「外資は何をしでかすか分からない」という不信感が、その談話ににじみ出ています。

例えば、「外資に対してはわが国の法制と慣習を尊重し、わが国の国民経済的利益に反するような行動を慎む」ように要望していますし、「我が国産業界に自主的な秩序維持のための努力に協調」、「役員に日本人を(どんどん)活用」して、「我が国の慣行をも考慮し、無用の混乱を避けること」も要望しています。また日本企業に対しても、外資と提携関係等を結ぶときは、「外資と共同の事業経営その他の提携を行うにあたり、相手方の経営方針、性格」などをよく勉強しなさい、そして、業界の中でただ自分だけ飛び出てしまうのではなくて、「業界の協調体制」を考えなさいと、指導しています。

またここに、1967年6月6日に閣議決定された「対内直接投資等の自由化について」があります。ここで、日本政府は大きく2つの政策を立てます。一つは「自由化対策」で、もう一つは「自由化措置」です。「自由化措置」では、資本自由化を具体的に進める上での枠組みやスケジュールを示しています。そして、「自由化対策」というのが「わが国企業の競争力を強化し、外資のかく乱的行動を防止する対策」です。

まず「自由化措置」の方ですが、これは非常に細かく、分かりにくいので自由化措置の枠組みを説明した表をお配りしました。しかし、これを見ても良く分かりません。要するに、資本自由化を進めるプロセスというのは、非常に分かりにくい複雑な仕組みになっていたわけです。政府は閣議決定で、対日直接投資が日本経済の長期的発展に果たす役割を認めています。しかし、競争力の面でやはり国内企業は外国企業に劣る、ですから、個々の企業の外資比率を100%まで自動認可する業種が「多いことを今すぐ期待するのは実際問題として難しい」とも言っています。そこで、1971年を目標に段階的に自由化を進めていく、このように前置きした上で、具体的に自由化措置の説明をしています。

閣議決定の文章が分かりにくいので、簡単に口頭で説明させていただきます。普通自由化をする場合は「全部自由化するけれどもこの分野だけは自由化しない」というように、自由化しない業種のリスト、いわゆるネガティブ・リストを出します。しかし日本の場合は、第1次自由化から第3次自由化までは、自由化する業種をリストアップしていくポジティブ・リスト方式をとりました。自由化しない業種を並べていくと、とんでもない数になりますから、自由化する業種を出していった方が、順調に自由化を進めているように見えますよね。

他にも日本の自由化の進め方にはいくつかユニークな点がありまして、企業新設の場合と既存企業の場合に分けました。つまり、外資が日本に入っていって新たに企業を作る場合と、既存の日本企業があってそこを買収する場合と、二つの場合に分けたのです。何故かと言うと、この当時一番懸念されたのが、競争力のある国内企業を外資に乗っ取られてしまうケースでした。その企業が戦略産業に属する場合、外資に乗っ取られてしまったら産業全体乗っ取られるかもしれない、どうしようか、と心配したわけです。乗っ取りが一番恐いということで、企業新設の場合と既存企業との場合に分け、当面は企業新設の場合の自由化を中心とすることに決めました。既存企業の場合は、1外国投資家当たり7%まで、外国投資家全体で20%まで自由化認可という制限枠を設けます。

新設業種については、自由化業種と非自由化業種を設け、更に自由化業種を2グループに分類しました。基本的に自由化業種というのは、自動認可してもらえる業種を指すのですが、第1類自由化業種というのは、外資比率50%までの場合に自動認可される業種、これに対して第2類自由化業種というのは、外資比率100%の場合にも自動認可されるケースを指しました。

例えば1967年の第1次自由化では、第一種に33業種、第二種に17業種が選ばれました。ここで、自動認可されるという自由化業種ですが、「自動認可」されるために「認可」が必要でした。まず自動認可の条件として、「日本の利益に例外的に有害な影響を及ぼさないこと」が第一にありました。さらに条件として、「外資が経営に支配的な影響力をもつものでないこと」があり、配布資料8頁目の表の中に、その判断基準が3つほど挙げられています。実際には12くらいの判断基準が設定され、1つ1つ基準を照らし合わせた上で、自動認可にするかどうかを決めるシステムだったわけです。ですから、事実上、「自動認可」といえるものだったのかどうか、疑わしいところです。

1967年の第一次自由化では、第1種自由化業種として33業種が選ばれました。基本的に自由化業種選定の基準は、国際競争力の点で外資が進出してきてもほぼこれに対抗できるかどうかでした。では、第1種自由化業種と第2種自由化業種の選別基準は何だったのでしょうか。その違いは、第1種の場合は、「技術、資本、設備、資源などの個々の面を取り上げればかなりの国際競争力を有するが、なお総合的な競争力の点で内外格差が存在するものと認められ」る業種で、「総合的な競争力の点でも内外格差がさほど認められない」業種を第二自由化業種としました。
 

つづきはこちら

文責 大林 一彦氏(ありがとうございました)

Copyright(C)1999-2002 Policy Research & Analysis Network 許可無く転載することを禁じます。