PRANJワークショップ記録 

    「日本経済危機」 2002年2月20日 CSIS戦略国際問題研究所 (ワシントンDC)

 AEI主任研究員 酒井吉廣氏 (つづき)

座談会参加者:
酒井吉廣 (AEIアメリカン・エンタープライズ研究所 主任研究員)
愛知和男 (元防衛庁・環境庁長官)
平林栄次 (経済広報センター)
加納雄大 (国家公務員)
和田絵里香 (IIE国際経済研究所 客員研究員)
遠藤 俊英(IMF財政局 アドバイザー)
安井明彦(富士総合研究所NY事務所)
上野真城子(アーバン・インスティテュート研究員)
司会 村上博美 (ESI経済戦略研究所 上席研究員)
 

   愛知: 非常に漠然とした話ですけれども、国債を出すということについて何がいけないかと言った時に、私は一言で言うと貧富の格差を広げるからいけないのだと思うのです。つまり国債には金利があるわけで、それを誰が払うかと言ったら国民の税金から払うわけです。今の財政においても、国債費は支出の中で莫大な割合を占めている。つまり、国債というのは国が借金をするわけだけれど、国に対してお金を貸すことができる人の所にどんどん富が吸い寄せられてしまうという仕組みになっている。だから私はある一定以上、もうその限界をはるかに超えていると思いますけれど、国債を出すべきでないと思います。今の予算だって相当な割合が国債費に行ってしまうのですから、国民の税金がどんどんそちらに吸い寄せられているということで、それは社会としていい社会ではない、その悪循環は断ち切らなければならないと私は思います。公共投資をして100兆が100兆のままでは意味がないというのはまさにその通りで、国債の金利以上のものを生まなかったら出す意味がないです。ところが公共投資というのは大体富を生まない所に行くのですよね。富を生む所は民間がやるのだから。ですからこれ以上そういうことを続けるというのは世の中のためにならないと思います。

酒井: それは賛成です。「公共投資」という言葉が、橋や港を作るということとイコールになってしまっているという問題があって、「今の日本のどこに公共投資する場があるのだ」という議論になるのだろうと思います。使わない港をきれいにしても、おっしゃる通り「100兆円は100兆円」でしかないのです。ところが先程の経済学的観点から見て、ということで言えば、それでも効果はあるということなのです。いくつかの論点に分けて考えていくと、まず第一に、ご指摘のあった「100兆円は100兆円ではないか」ということについてこれをもう少し経済学的に見ていくと、今の日本においてはその「100兆円は100兆円である」ということが結構重要なことなのです。逆に、例えば民間にお金を降ろして民間が使うということの方がもっとコストがかかるということが現実にあります。これは試算ですが、国の公共投資というものが民間の設備投資よりも、もしかしたら現時点では効果が大きいかもしれないという調査結果があるのです。もちろん小さいかもしれないし、一概には言えません。ただ、言えることは、おっしゃる通り少なくとも国債の金利分を上回る投資効果のないものはやる意味がないということなので、3年だとか5年で景気が回復するという見通しが立たない限りはやってはいけないかもしれない。ですから現実と学問を切り離して考えると、経済学上はうまく成り立つはずであるが、現実にはそういうことをして効果のあるような所もあまりないし、というのが一つ考えなければならないことでしょう。

次に国債を出すことについてですが、日本は貯蓄率が高いという問題が関連してきます。まして今金融機関に対する不安があるので、郵貯から預金が抜けるだろうという話があったのに逆に入ってきているという状況がある。そのお金をどこかで使わなくてはならないわけですが、財政投融資(財投)というのがなくなってきましたので、これをどこに使うかというと今度は彼らがどう使うかという問題になります。ここで民間の人が使う時と違いが出るのかもしれませんけれども、ともかくこの投資をどこかに向けなくてはいけないわけですから、有効な部分があるならばそれを使えば必ず結果を生むでしょうし、なかったとしても、「ないよりはまし」という投資はできるかもしれない。ただ、繰り返しますけれども、現実と理論のギャップというものがありますので、現実的にはそんな無駄なことはしない方がいいということになるわけです。けれど大事なことは、景気がまず回復しないといけないということ、国民の信頼を回復しなくてはいけないということで、そのために有効なお金の使い方があるだろうということです。

これについて一つ例を挙げると、「IT投資をやればいい、新規分野だ」という話が去年おととし辺りによく言われました。けれど現実にはITなんて大したことなかったわけですよね。それよりは石原さんの言っているようなカジノを作った方がいいかもしれない、という議論が出てきてしまう。けれどここで本当に問題なのは、民間か公務員かという議論以上に、IT投資という自分がこれまで入ったことのないような新しい分野に足を踏み入れた時に、どれだけ効果的な投資ができるかということです。実際に日本の地方公共団体にソフトウェアを売ったアメリカ人の会社の社長は、「他の所に比べて三割増で売った」と言うのですから。まず日本に行って知事さんと会って話をした時に、知事さんから最初に求められたことは何かと言うと、「一緒に写真を撮りましょう」だったそうなのです。「私はIT投資をしてこの企業の社長さんと仲が良いのだ」というのを見せるというので一緒に写真を撮るところから入ったと。そして次に金額の話をしようとしたら、それはこちらの人間がやるからと言われて、「いくらですか」とその担当者に聞かれ、金額を提示したらそのまま「はい」と。これが現実なわけですから、それが果たしていいのか、という問題があります。

ですから官か民かということ以上に、やはり何か新しいことをする時は専門家を雇うということが重要だと思うのです。先程の郵貯の問題というのも、その余っているお金の運営をどうするかという時に、政治家は「郵貯の人は公務員でインセンティブがないから上手く運用できないのだ」と言う。けれど、考えてみれば、「運用成績に基づいた給与でやりたい人はいるか?」と聞いて手を上げさせれば、誰か、特に若い人なんかはきっと手を上げるのです。では新たなインセンティブを得たその人達がやれば上手くいくのかと言えば、そんなことはないですよね。やはり素人はどんなに頑張っても先程の話と同様「結果が出せない」のです。だとしたら、玄人を雇ってきて公務員として運用してもらえばいい。SAMAという言葉は今でこそあまり話題になりませんし為替市場にも出てきませんが、サウジアラビアの通貨庁の人で公務員なのですけれども、非常に上手い資金運用をグローバルにして高いリターンを出している。これがなぜかと言うと、インセンティブがあってプロだからです。またブラジルの財政が最近よくなっているという話がある。これがなぜかと言うと、ソロスファンドで活躍していたプロが大蔵大臣になっている。ヘッジファンドの人が大蔵大臣だなんていいかどうか分かりませんが、それは別にして、少なくともプロがやったら良くなったように見えるという結果があるわけです。ですから、やはりプロ、専門家がやるということは重要なのだろうと思います。これはおそらく公共投資も同じで、空港や道路を作るのはいいのですけれども、やっている人はあまりよく知らないのだろうと思うのです。計画を立てている人はそこに行ったこともないかもしれない。だから上手くいかない。そして住民から「使いもしない所に道路なんか作って」と言われてしまう。
 
愛知: それはその通りなのだけれど、その原点にあるのは、やはり「自分のお金ではないから」です。公共のお金、自分の責任でないお金を扱っているから安易なのです。専門家がどうだという話ももちろんあるだろうけれども、安易なのは自分のお金でないからですよ。だからまず「専門家を雇うかどうか」ということを考える真剣さが足りないわけです。  
        

酒井: その通りです。けれど、国民が税金を納めているわけですから、結局は国民がチェックするかどうかという問題です。というのは、やる人は、例えば「1年やってみてリターンがなかったらクビだぞ」と言われれば絶対頑張るわけです。ですから大事なのは、まず第一にインセンティブを変えるということです。第二はおっしゃる通りで、公共のお金であるがゆえの安易さがありますから、税金を納める人がちゃんとチェックするかどうか、できるかどうかという問題です。そこの話が出てくればいくらでも訴訟の仕方というのはあるわけですから、まずオンブズマンと言われる人達がきちんと見られるかどうかという議論になってくる。そして、日本が最後の切り札として世界に言えることは、どんなに負債があっても、個人資産が1400兆円あり企業にも資産がある、これを全部国が抑えてしまえば債務を消すことができるわけで、それでもまだプラスなのだということです。これがある限り政府が危機感を持たないという部分はおそらくある。それが、先程の「危機感がない」という話に繋がっているかもしれないですよね。

ちなみに、先程経済学的に成り立ちますか?という疑問が出されましたが、経済学上は、国債を発行しようが税金を増やそうが、同じ事象として捉えるわけですから、国債を増やすということは税金を増やすのとイコールなのです。

愛知: 国債の発行というのは非常に安易で、直接国民が痛みを感じないわけです。だから国債を発行するくらいなら増税の方がいいと思います。消費税のようなものを上げると全ての人に影響してしまうからいいのかどうかまた議論があるけれど、色々と工夫してお金を持っている人から取るべきなのです。税制の改革は政策でできるのですから。国債の発行はいつの間にか安易な形で慣習化してしまって、そのつけを国民が払っているわけで、やはりいけないと思う。それよりは増税をしてお金を回す方がいいと思います。そうすると国民の監視の目も厳しくなるわけですから。

 もう一つ、巨額な国債の発行をしてきたというのは、引き受ける銀行がいるからですよね。そして銀行がなぜ引き受けるかというと、それで儲けられるから引き受けるわけです。要するに銀行を救ってしまっている部分がある。経常の利益だけで言うと、ゼロ金利と国債の利子の差額でかなり上げているのですから。そういう仕組みはやはり間違っていると思います。

酒井: 最初の税金の話については、増税の前にやらなければならないこと、問題になるであろうことがあります。補足率の話で、サラリーマンは同じ1000万の収入があっても、100%補足されています。ところが、農家や小売業、医者になると節税という形になって、方や10割、方や1割になってしまう。これに対する大きな不満が今現実にあると思うので、理屈の上ではおっしゃることは正しいのですが、現実にやる時にはこれをなくさなくてはならないという議論になりますから、まずこれをどうするかという問題がある。それから、多くのお金持ちの人が60万円くらいの初期コストをかけて海外の非課税の国に逃がれているという問題もあります。電話一個置いておけばいいわけですから。これも止めなければならないというので時間がかかるし、増税の前にやらなければならないことがあまりにも多いのでなかなかできないという部分があると思います。でも取り組まなければならないことは事実ですね。

 次に国債は簡単に発行されていいのかということについてですが、財政法のような法律があって、国債を発行する時には財政規律を守らなければならないということになっています。一時はその財政規律を守るために赤字国債をどんどん減らしてゼロにして、財政均衡ができる所まで行きかけたことがあるのですが、駄目になってしまった。これについては国債発行の是非という問題もあるのですが、それ以上にやはり政策が間違っていたということを国家として一度認めて、全てをストップしなければならないということでしょう。国債の発行増加というのは政策の結果として表れているわけですから。先程不良債権が二次曲線のように増えていると言いましたが、国債は93年にぐっと増えてそこから横ばいで高いのです。これを一回断ち切らなければいけない。そしてそのためには政策を変えなければならないわけです。それは、歳出の配分を変えるだけではなくて、歳入も含め、或いは公務員の数を減らすという話も含めてもう一度見直さないとならないということです。ですから、国債発行の問題点については賛成ですが、そういうことをしなければならないのだろうと思います。

愛知: 私もそれには賛成で、要するに痛みの伴う話なのです。ですからまた戻りますが、国債の発行の問題点は国民にとって直接痛みになっていないということだと思うのです。だからいつの間にか国民も許してしまっている、というのが一番いけないということです。ですから一度大改革をするというのにはもちろん賛成で、それは痛みを伴いますから、「これは大変だ」「誰の責任だ」と色々と問題になり大騒ぎになるでしょう。結局そういうことを経ないと駄目だということです。

酒井: おっしゃる通りです、革命的なことを起こさないとできないということです。先程の金利の話について簡単に触れておきますと、今調達金利がゼロ近くで、国債の金利が少なくとも1.5%とか1.2%とかありますので、この差が巨額な業務純益になっているというのは事実なのです。ただ、金利差というものは絶対あるのです。なぜなら銀行の調達というのは1年、2年定期が主ですし、現実には普通預金もたくさんあるし、決済制の預金もたくさんあるので、調達金利というのは平均して低いわけです。それに対して国債は大体10年ありますから、普通に考えれば1年より10年の方が金利は高いので、国債の金利の方が高いというのが普通なのです。イールドカーブにしても、「順イールド」と言って、1年より10年の方が高くなるカーブを描くのが一般的で、逆になってしまったらどんどん先行きが悪くなるわけですからそうはなってもらいたくない。というわけで、皆が順イールドのカーブになることを望んでいるので、これをもって批判するのはなかなか難しいというのが現実です。

ただ、おっしゃる通りで、元々の調達金利がゼロになっている状況の下で銀行が引き受けてしまっているというのは問題かもしれません。実はそこにはもう一つ問題があって、商工ローンだとかサラ金に毛が生えたような所が、色々と批判されて社会的に悪と言われつつも実は営業を伸ばしているという現実が日本にあるということです。つまり資金需要はある所にはあるのだけれど、銀行が貸し切れていない。ここの部分に本当に銀行が入っていけるならば、国債運用よりも利回りの高い運用ですから、国民が痛みを感じて「やめろー」と言わなくても、銀行が国債運用しなくなって、政府が国債を発行できなくなる。そうすると何が起こるかというと、国債の金利を上げるとか、そういう必要性が出てくるわけです。ですから、別の見方からすると、銀行が個人や中小企業に貸せないという問題もあるのです。

愛知: サラ金が流行っていると言っても、実際後ろにいるのは銀行で、形を変えて銀行がやっているということではないのですか。もちろん全てがそうだとは思いませんが、規制があって銀行法の下ではできないことをそういう形でやっているということだと思うのですが。

酒井: 誤解を生むような言い方をしてしまったかもしれませんが、需要があれば本来銀行は貸さなければいけないわけです。そもそも銀行がなぜ免許業かと言えば、国民から大事なお金を預かって、それを銀行の判断で、信用に基づいて運用する、そういうことをするからだと思うのです。けれど貸し手として、今銀行が怠慢をしているかもしれない。経済学的に言えば、クレジット・ラショナル、信用合理性の問題、と言うのですが、「企業の信用度を調べ切れないからリスクテークが出来ない」或いは「不良債権問題があるから、ここでさらに信用のリスクを取るわけにはいかない」という判断のために踏み込めないということになってしまうのです。そしてこれが、実際に銀行が国債の運用で利益を増やしているということにつながっているのかもしれません。

 おっしゃる通り、誰がサラ金にバック・ファイナンスをつけているのだと言えば、銀行ですよね。ただサラ金も自己資金を直接調達していますので、そこにギャップがあります。少し話が飛んでしまいますけれど、住専の問題を皆さん覚えていらっしゃると思うのですが、住宅専門金融会社というのは、結局銀行が自分で上手く貸さずに、バック・ファイナンスをつけた子会社に貸した結果出てきた問題です。しかもそれは個人にルール通り貸していればよかったものを、関係ない人にどんどん貸してしまったからおかしくなってしまったわけです。ここでもう一つ将来懸念しなくてはならないことは、無理に銀行が何かをした結果、また何か別の問題を起こしてしまうということもあるかもしれないということではないかと思います。
 
   安井: 乗数効果の高い公共投資に国のお金を使っていくというのが一つの方向としてありますけれど、反対に小さな政府を目指す方向として、減税をしてくという方法もありますよね。これはアメリカでは共和党、レーガンがやりましたし、またブッシュもやっている。実際に、レーガンがやったことが90年代の景気につながったという話もあるわけですよね。財務省は長期的な財政構造を考えて反対するだろうし、政治家もやはり自分の地元に公共事業を持ってきた方が目に見えるということでやりたがらないでしょうからおそらく反対勢力は多いと思うのですが、これからの日本が「市場経済を目指してマーケットを重視していくのだ、政府は出来るだけ小さくする」と言うのであれば、減税というのも一つの選択肢としてあるのではないかなと思うのですが。
 

酒井
: それは確かにその通りです。現実論として、今減税をして消費が伸びるかといったらそうではないかもしれないけれども、おっしゃる通り、減税は一つの政策手段としてあるべきでしょう。先程93年からの公共投資が効果を持って95、6、7年の好転という流れを作ったと言いましたが、一方で減税もしているわけですから、低金利を含めてポリシーミックスの結果出てきているわけで、減税は間違いなくいい方向であるとは思います。また先程の話にあったように、乗数効果の高い公共投資が実はもうないのだということであれば、大幅減税をしなくてはならない。ただ期待インフレ率の観点から考えれば、例えば明日から2%、でも来年は7%にします、再来年は10%にします、というふうに期待インフレ率を上げるために税制度を使うという議論だってありえますので、やり方を考える必要があるかもしれないですね。でも減税が一つの選択肢であるというのは事実だと思います。

加納: 結局、公共サービスにどこまで期待をしてどれくらいのものを求めて、それに対してどこまで国債或いは将来の税金なりの形で負担をするかという受益と負担の関係について、まだいまひとつ日本人の中でコンセンサスが出来ていないのではないかという印象を持つのです。日本の公共サービスについてよく言われるのは、「軽い」という意味で「アメリカ並みの」税負担、且つ「ヨーロッパ並みの」公共サービスということですよね。「質が高い」ということではなくて、色々と規制もあって労働市場も硬直的で保障も手厚い、公的金融などいろいろな形でサービスをすると。広く言えば、銀行の預金保険にしても郵便貯金にしても、安全な金融サービスを提供する、国の準公共的役割を果たしている銀行がリスクを負うという形になっている。そのように公的セクター或いは準公的セクターが負うという形でやっていながら、その負担については、実はまだ税金つまり国民負担が充分でない。公共サービスに対する期待値は高いけれども、実はヨーロッパやアメリカなどに比べると日本の国民はまだそれ程負担を負っていないというところの認識はされていないのではないかなという感じがするのですが、どうなのでしょう。????・?

酒井: 利益を受ける側と負担する側と2つの局面を使い分けてしまっている部分は現実に確かにあるのだろうと思います。国鉄が民営化された時、或いはその後の話を考えて頂ければ分かりやすいと思うのですが、今中央線は月に3、4回は非常に遅れるということが言われる。自殺が多いからという話もありますが、それを除いてみても、統計的に中央線・山の手線など遅れが非常に増えていて、5分や10分の遅れというのはもっと頻繁にあるけれども、昔はそんなことはなかったということが言われるのです。国鉄という官僚的システムの権化のようなものがあって、無駄なことばかりしているという批判もありましたけれど、もしかしたら給与や何らかのベネフィットが働いている人のインセンティブを高めて、時刻表通りに動く日本の電車というのを実現していたのかもしれない。そしてこれと同じことが普通の政府の方にも言えて、高いサービスを求めるのだけれど、払いたくはないという問題があって、ここを解決しないとならない。ですから、先程言ったように「公務員にメスを入れます」という話になったら、公務員としてはこの部分の議論を絶対したいわけです。全体で見れば、公共セクターにメスが入っていないので、小さな政府の為にはもっと減らさなくてはいけないだろうということになる。でも公務員にしてみれば、「そんなことはない、自分達はこんなに働いている、こんなにサービスをしているではないか、それでも公務員の給与は安いんだ」という話になってしまう。ここの公平性をどう保つかは非常に難しいのです。一方で、では負担を上げていいのかと言った時に、現実の負担は人によって違うという問題と、なるべく負担はしたくないという問題が出てくる。普段はお金の使い道を忘れているのだけれど、増税という話になったら「いやだ」ということになるので、難しいのですよね。

加納: 公的部門を減らすということの影響を考えた時に、単なる身分保障という観点から言えば、財政支出における割合というのはそんなに大したことはないと思うのです。むしろ基本的に彼らがやっているのは、それこそ護送船団方式のように強い所を叩いて弱い所を守るというような所得の再配分だと思うのです。ですから公的セクターの人を切って規制が減り、その結果弱肉強食がより鮮明な形で出てくるということが起きた時に、日本人もまだそこまで覚悟が出来ていないのではないかなと思うのです。

酒井: その通り、日本は今、キャピタリズムというものに移行できるかという過渡期にあるわけです。これで日本は本当にアメリカ的資本主義システムの下で生きるのだと言うなら、「もう身分保障はない、悪いけれど1年契約ですよ」という話になる。そうなれば世の中大きく変わるでしょう。でも「やっぱりそんな厳しいことはやりたくない」「終身雇用があるから今日も徹夜できるんだ」と、そういう議論も現実にあると思うのです。そういう話がどちらに落ち着くかは見てみないと分からない。資本主義に完全に移行するというのも確かに一つの方法ですが、今「ワークシェアリング」なんて言っている通り、もしかしたら「終身雇用を残した方がいい」という答えだってあるかもしれないと私は思います。ただ問題なのは、そこを真剣に考えていないということなのです。時として「資本主義が大事、自己責任だ」と言う。ところが都合が悪くなると、「いや、やっぱりセーフティネットが重要だ」ということになる。最近は「普通預金の受け入れ額に上限を付けよう」というわけの分からない議論も出てきているのですが、要するにこういう二つの方向性がアンバランスに使われている所が非常に問題であると思います。

(終)
 

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文責  木下史子氏(ありがとうございました)

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