PRANJワークショップ記録 その3

    「9月11日以後の日本の課題:民主国家の治安,防衛,安保政策」
   CSIS 戦略国際問題研究所 日本部 主任研究員 渡部恒雄氏,
   九州大学 法学部 助教授 豊永郁子氏

2001年11月15日 CSIS戦略国際問題研究所 (ワシントンDC)

  
Q7. その関連で、アメリカでは例えば今回のテロ対策強化法案のようなものがシビルリバティを侵害するような原型で出てきても、議会がウォッチしていて阻止する力が働きますよね。また一般の市民に聞くと、「ある程度自由を制限されても安全を得たいから我慢します」というような意見が出ているのでシビルリバティの団体も大きな声を出せないという状況がある一方で、例えばインターネットなどをFBIが捜査の為に使ってもいいのかという話になると、ちょっと待てよ、という動きが出ますし、どういう疑惑で逮捕されているのか明らかにしなければいけないとか、拘束を無期限にする権限は与えられないとか、すごくデュープロセスを重視して、法解釈をきちっとしようというメカニズムができていますよね。その点、日本では警察の力が強くてデュープロセス云々という議論が育たないとか、それをウォッチする団体の力が弱いとか、諸々の問題もあって、有事研究のようなものがしにくくなっているのかなと思います。


 それから田中愛治教授のお話は、憲法改正賛成派も反対派も、3分の2の人たちが海外派遣には賛成であるというようなことだったと思うのですが、それは現象の問題で、その前に今回のテロリズムの問題を日本人としてどう捉えているかという問題が根底にあると思うのです。「湾岸の時に面目を失ったので今回は」というのではなくて、自分たちの問題として捉えられるか、というのはすごく大切な問題だと思います。それに関して、えひめ丸の方はあくまで事故ですが、今回は意図的且つ無差別なテロという攻撃であって、えひめ丸の時よりも日本人の被害者は多かった。また日本人は実は結構テロの被害には遭っているのですけれど、そういったメンタリティが欠けている。それはなぜなのかというのが私は理解できないのですが、報道の仕方に一因があるのでしょうか。えひめ丸の遺族の方が泣いている場面などは映像で出てきましたが、私も日本のテレビを見ているわけではないのでよく分からないですけれど、今回の場合は世界貿易センターで亡くなった方の遺族の嘆きとか悲しみが映像的になくて伝わっていないのでしょうか。ニューヨークタイムズでは未だに被害者のプロフィールが写真付きで載っているわけですが、そういう紹介のされ方がなくて実感が伝わらないというか、もしかしたら自分だったかもしれないという意識がないのか。だとすると、マスコミの報道の仕方にも多少問題があるのかなという気もするのですけれど、どうでしょうか。 

豊永: 日本のメディアの報じ方に非常に違和感を覚えたのは、邦人の安否情報ばかりずっと流していたことです。それは、おそらく大使館或いは領事館が把握している日系企業に勤めている方々だろうと思いますが、「日本人は何人中何人が無事」というふうに出るのですけれども、それが日本人の犠牲者の全員じゃないというのはちょっと考えれば分かることなのです。それなのに、ごくごく一部の日本の大企業に勤めている方だけをフィーチャーして延々と流していたのには非常に違和感を覚えました。結局、あまり目立たない形でしたけれども、外資に勤めていた日本人もいましたし、もっと被害者は多かったということが、後で注意して見ていれば分かるような報道の仕方でした。外資に勤めていたり海外の大学に出てしまっていた友人などと話していた時、「私達は糸の切れた凧のようなもので、日本人としての正式なメンバーシップを認められていないということなのかしら」と皮肉を言ったりもしていまして、かなり報道のあり方に偏りや問題を感じたのは確かでした。またえひめ丸に比べると、確かに被害者の遺族の追跡といった部分は非常に弱かったように思います。

 渡部: 日本とアメリカの間に、反応や意識の上でギャップがある一つの理由は、恐らくここに住んでいればアメリカ人と話をしますからある程度アメリカ人が何を考えているか分かるけれども、メディアを通すと、やはりアメリカというのは遠いし何か巨大なものが動いているというイメージになってしまうことがあると思います。えひめ丸の犠牲者をつい最近まで捜査して、残念ながら最後の一人は見つからなかったですけれど、ちゃんと引き上げて遺体収容しましたよね。私は「テロで大変な時によくやっているな」と感心するのですけれど、日本のメディアでの報じ方は、あれだけ騒いでおいてそれはないよという感じでした。フォーリー大使が帰ってきて個人的に話をした時、「悔いは若い人達が死んでしまったことだ」と本当に心から言っていた。2人だけで話をしましたから宣伝の意図などでは全くないのはよくわかります。ですから私としてはアメリカの誠実さは分かるのだけれど、やはりそれは個人的な経験をしていないと分からないですよね。そういう意味では、ワシントンにいる人間等はそういうことを報じる義務があるかなと思いました。ある所では「アメリカがこんな時にもえひめ丸をやっているというのは怪しい、色々と意図があるのではないか」という見方もあった。もちろん利害はありますよね。日米関係は大事だしそれを守りたいからやる、と。その意味では利害計算に基づいていますけれど、それにしても誠実な態度ですよね。その辺りの見方はちょっと距離が離れるだけで違うなと感じます。それは私だって日本にいれば分からないですから怪しいなと思うかもしれない。その辺りはやはりメディアの責任でもあって、もう少しアメリカが見えるようにする努力は必要ではないかと思います。

 質問者: テロが自分たちの問題であるかもしれないという意識を持てるか否かということ以前に、アメリカの政策批判であるとか、さっき豊永さんがおっしゃったように「当然の仕打ちだ」とか、或いは石油が云々であるとか、そういう話の方が先走りしてしまっているような感じがしますよね。

 豊永: アメリカに関しては、報道がかなり偏っている部分があるのではないかというのが私の個人的感想です。「新聞週間」なるものが日本にはあるのですが、その時に地元の新聞に、米国と世界についての報道のあり方に関して、「アンフェアで反米的な論調が目立ちすぎるのではないか、第一にアメリカは『アメリカが』というような主語一つで表せるような一枚岩の国ではないし、グラスルーツも強くて次から次へとリプレイスする勢力が出てくるし、グローバリゼーションとアメリカナイゼーションは違う」という小さなコメントを書いたのです。そうしたら、これまで大統領選挙に関して等、色々と論説記事を書いた時にはそれ程反応というのはなかったのですけれど、今回ばかりは反応があったのです。アメリカを何らかのきっかけで知るに至ったような人達から、「よく言ってくれた」というような手紙その他の反応を頂いて、そういうフラストレーションを抱えて日本のメディアを見てらっしゃる人達もいるんだと改めて感じました。記事の中ではテロリズムのことには一切触れていなかったのですけれど、特にテロ事件の報道の仕方と関連付けてそういう感想を寄せくれた方がいらして、推して知るべしという感じでした。日本の報道がみな同じようなバイアスに晒されていることはとても残念であると思いますし、その辺りはワシントンにいる方々にどんどん発信して頂きたいと思います。 

渡部: 逆に言えば日本のいい面としては、アメリカの被害者よりも、アフガニスタンの人達に同情的な報道が多かったのですが、アメリカよりアフガニスタンの人達に同情的だから、難民救済に関してはアメリカより早く動いたということがあります。レフュジー(難民)・インターナショナルのCEOをやっているケン・ベーコンという元国防総省のスポークスマンが、ここCSISで話をしてくれて、「難民支援は本当に大事だ」ということを言った時に、「他の国は本当によくやっているよ」と言って、最初に「ジャパン」という名前を挙げたのです。別に日本人がたくさんいたわけではありません。そういう所で言っているということは本当に日本はよくやっているのだろう、と思いましたので、ある意味ではいい効果もあるのかなと思いました。
 

  

 

Q8. 日本の対応について賛否両論だという話がありましたが、これはある程度日本が違う立場からアメリカに影響力を及ぼしたいという意見の表れであると思われますか。例えばブレア首相が今、あちらこちら積極的に飛び回って大きな声で発言して、それこそアメリカから見たら「もうやらなくていい」というくらい一生懸命やっているわけですよね。「アメリカのプードル」などと自国で揶揄されていますけれども、逆にそれくらいしないとアメリカに本当に影響力を及ぼすことはできないのではないかと思うのです。

大統領のアドバイザーが2人いたとして、どういう人の言うことをよく聞くかといったら、右よりの人間が右寄りのことを言っても「どうせ右寄りだから」と割り引かれる。逆もまたしかりです。けれど、右寄りのアドバイザーが左寄り、また左寄りの人が右寄りの政策を提言するとそちらの方が効果があるという話があるのですけれども、このケースに当てはめるなら、「日本はもっと平和主義の立場からアメリカに影響力を行使すべきだ」と言う人こそもっと積極的に日本の関与を主張すべきではないかと最近思っているのですが。


渡部: それは逆だと思います。つまり、日本が平和的なことを言うのは、左の人が左のことを言うのと同じことですよね。もちろんそういう働きかけも大事だとは思うのですが、効果はないでしょうね。逆に効果があるとすれば、イギリスのようにこれまで積極的に付き合ってきた国が、何かあった時に「これは平和的にやれ」と言うことでしょう。ブレア首相が今一番効果を出しているところは、アメリカの右の方が戦線をイラクに拡大しようとしていますが、そこを抑えているところではないでしょうか。フランスも頑張っている。フランスはとにかく超官僚国家ですから、エリートクラスと一般の人で大分考え方が違って色々な意見があるのでしょうけれど。ですから今おっしゃったような意味としては、日本もやれることは非常に一杯あるはずなので自由に発信すればいいと思います。

 豊永: 日本で強い意見の一つとしては、「むしろ日本はできるだけ中立的立場を取って、戦後の復興に専念することを期待されているのではないか」という読みがあって、その期待を政策形成者が汲み取って動いているか否かについて不信感を持っている人がいるというのを感じさせられることがあります。つまり党派的思惑やイデオロギー的思惑が先行する形で結論に飛びついていて、実際に世界やアメリカから期待されていることは別の部分にあるのではないかというある種の懐疑が頭をもたげていて、本当に日本が果たすべき役割は何なのかということについて政策形成者の言うことをそのまま真に受けることはできない、という感覚があるように思います。

 質問者: それは、一つにはプロセスの透明感が 欠けている所から来る問題ですよね。

 豊永: そうですね、それから狭い意味での国内政治の文脈に色々な問題が還元されて論じられていると思うのです。例えば「湾岸危機で面目が潰れたのを回復したい」という思惑や、「これを機に改憲までしたい」という思惑が先行しているのではないか、そういった懐疑的見方があることは確かだと思います。単に「平和主義」ということで片付けてしまうことはできないですよね。むしろエリートがやっていることに対する不信感であるとか、彼らの態度・姿勢を見た上でのことではないでしょうか。

 渡部: ただ今回はやっていることが割と支持はされていますよね。支持率が下がらないということは一つの基準だと思うのですけれども、バランスよくやっているのではないでしょうか。対応について批判はいくらでもありますけれど、それなりにやっていると思います。今後どうするかは難しいですよね。国際関係がどう動くか、これは専門家だって分からない話で、どこまで政治家を信頼して任せられるかという話になってくるでしょうね、ある程度より先は。それについては、小泉さんは割と信頼を受けているわけです。 

Q9. 憲法9条や法律論に関してです。日本において、司法の役割というものは直接的に表に出てくるものではないと思うのですが、本来色々な形で試されるものだと思うのです。つまり、例えば行政が法律の枠を越えてしまったら、司法が法律の解釈等何らかの形で関わって、それによってまた立法が進んでいく。そういう部分が今でもあまり議論されていないような気がするのです。それについて、いやそういった議論は実はあるとか、何か指摘されてきたこと等がありましたら教えて頂きたいです。

 渡部: ドイツでは憲法裁判所というのが設置されていて、非常に法的な文化が強いのだと思います。ですから司法が強いし、強いがゆえにそこで三権のバランスをどうとるかという問題がある。それに比べて日本はやはり弱いですね。その辺りは法社会学の分野で、なぜ法的なものが弱いかについては色々な分析があって答えというのはなかなかないわけですが、一つ言えることは、憲法をなるべく変えないような社会体制が戦後アメリカによってある程度設定された部分もあるということ。ですから憲法をなかなか変えられないシステムになっているし、法律に対する無力感のようなものが拡大している部分がある。それから川島武宜さんという有名な法社会学者が『日本人の法意識』という名著を書いていますけれど、法文化というのはそれまでの社会生活と結びついているので、どこまで法律を自分の生活に密着した形で考えるかというのはそれによって違ってくるのです。英米法と大陸法は違うというのはよく言われることですけれども、日本は文化的に更に違う。ですからこれはすごく時間のかかる議論ですけれども、あまり文化論に逃げずにやるには、やはり司法の強化が重要でしょう。今やっていますよね。実質的にやっているというよりは、どちらかと言うと「司法の強化の方向にとりあえず動いている」という感じですが。この辺りに一つの鍵があるような気はします。時間はかかりそうですけれども。

  もう一つは、内閣法制局の話。これは司法でなくて政府ですよね。でもこれまで何となく解釈を「事実上」決めてきたのです。法制局の人たちは皆文句を言われて気の毒なのですが、機能上は法制局の言うことにNOと言いたければ言っていいのです。それを言ってこなかった政府側、議会側にすごく問題がある。ですから今回、小泉さんが「それはやめよう」と言ったから、法制局はちょこちょこっと参考意見を言ったけれど、小泉さんは聞かなかったですね。それが今後スタンダードになっていく可能性はなくはないと思います。

 それからもう一つは最高裁のあり方です。大統領選で、ブッシュ・ゴアの最終決着が最高裁に行くか行かないか、手に汗握りましたよね。最高裁が最後の砦だから、うまくやらないとアメリカの最後の砦がなくなるということで、極めて慎重な判断をやって、ゴア側もそこを分かっていて、最終的には最高裁がそれ以上やったら危ない、国のために良くないと思った時点で止めました。この辺りのニュアンスは日本にあまり伝わっていないのですが、それは勉強すべき所ではないでしょうか。

 

豊永: 最高裁の役割に関しては全く同感で、また内閣法制局に実質的な最終的憲法解釈権を委ねてしまっている状況というのは非常に問題なので、憲法学者が声を大にして「内閣法制局にそんな権限はない」と言わなければならないのだと思います。官僚も同じことで、「内閣法制局の言う通りにはしない」と言っていく必要があるのかもしれないと強く思っています。

  また私は形としては法学部に所属しているのですが、それこそ司法の強化の文脈では大学も改革の嵐に晒されていて、とりあえず法曹人口を増やそうという動きが急ピッチで進められています。ロースクールを作ろうと。ただ、それが憲法をめぐる体制の改革論議には結びついていなくて、内閣法制局や最高裁の位置付けといった問題より、「法曹人口を増やそう」という所で今は進んでしまっているというのが現状です。
 

  


上野
: 日本は今様々な問題を抱えていて、どこから手をつけていいのか分からないような状況になっている。今回小泉さんが経済諮問会議で出された改革工程表は、初めて内閣・時の総理大臣が中期的なバジェットプランを出したと言えるもので、ものすごく重要です。「構造改革なくして経済成長なし」というのが基本方針ですけれども、構造改革と財政再建、経済成長、そして今のテロリズムの問題も含めた国家安全保障と、この4つを同時に解決していかなければならない状況にある。それに対する基本方針があの予算プランであると。その努力は分かりますけれど、非常に決定的な所は、不良債権問題を始めとして、やはり今まで政策を判断する為の情報なし、分析なし、予測なし、評価なしで来た所の弱みが全て現れているのが現状だと思うのです。

 工程表というのは非常に重要で、政策関係者としては、やはりきちっと見て分析していかなければいけない。これをやれるか否かで日本の経済成長がかかっていると思いますけれど、それにしても現状はお寒い限りである。一つ言えることは、分析と評価、情報収集のために頭脳を結集しないとどうしようもない状況なのですが、それにはそういうシステムをきちんと作らなくてはいけないということ。けれどそれについては何も触れられていない。ですから予算の1%、願わくば3%くらいが政策評価にお金が回るシステムを作る必要がある。政策評価法も、予算を全然つけずに出しても意味はありません。そして結局政府内で政策評価しても、予測も何も出てこない。きちんと外に出すような形で政策産業を作ることができないと、またやりっぱなしで何の効果もなく、また無駄遣いをするだろうと思います。それをしないためには、やはりシステムを作っていくことだと思います。

 豊永: その「日本にも政策コミュニティを作ろう」というPRANJの趣旨には私も共感するのですが、政策コミュニティを作るだけではだめだと思うのです。それが結局はインサイダー集団になってしまうというのが政策コミュニティ論でよく指摘されるのです。そうならないためには、政策コミュニティがある程度対抗し合う陣営に分かれるメカニズムが必要だと思うのです。その鍵はやはり政権交代であって、二大政党的な政局のダイナミズムが実現されない限りは、政策コミュニティを作ったところで今の官僚制の延長形態にしかならないのではないかと思います。

 渡部: 政策評価にお金を回すという発想がまずありませんよね。私などもたまたまアメリカのシンクタンクでお給料もらっているからこういうことを研究していられますけれど、常識的に考えて日本ではできません。仕事としてできる状況でない限り。

 上野: ですから、経済にできるかどうか、公共セクターで食べていける人間が公務員以外にできるかどうか、これがすごく大事なのだと思います。

(終)

         
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文責 木下史子氏 (ありがとうございました)

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