PRANJワークショップ記録

「新宮沢構想と日本の経済援助政策」
2001年3月27日 CSIS戦略国際問題研究所 (ワシントンDC)

■  講演者
岡崎克彦氏 国際協力銀行
松本千賀子氏 米州開発銀行
古森義久氏 産経新聞ワシントン支局
村上博美 (司会) ESI経済戦略研究所


米州開発銀行・松本千賀子氏
【MDBを通じた開発援助】

米州開発銀行の松本と申します。私の場合は米州開銀のスタッフですので、立場とし
ては日本の利益と離れたところで中立に働くことになっております。今岡崎さんは
「日本の対外援助」という、いわゆる国内の視点からお話されたと思うのですが、私
はその外にいるわけで、日本或いは日本政府が国際政治の舞台に出てきた時に、どう
いう風に外側から見られているのかということが見える立場にいるのではないかと思
います。今日はそういう立場から、MDBと言われるMultilateral Development Bankの
中から見た日本の対外援助、ということについてお話させて頂きます。

今日は外務省が毎年作っているMDBのパンフレットを持って参りました。先ほど岡崎
さんのお話の中にあったと思うのですが、米州開銀とか世界銀行(世銀)などのMDB
への日本の援助というのは「多国間援助、国際機関に対する出資・拠出」という分類
になっています。これは90年代の数字を見てみますと、ODAの20%から25%、高い時に
は30%近くいっていますけれども、それくらいの割合を占めています。ここにも書か
れていますように、開発銀行、或いは国連関係の拠出金として使われています。開発
銀行の場合は、その資本(Capital)を元にして、実際には資本市場に出まして、債券
を発行するところから資金を上げてくるわけです。その資金が主で、拠出金の部分、
実際に払われている拠出金の額は非常に少なくて、私共の場合は4%くらいしか払われ
ていません。それを使ってマーケットで資金を上げてきて、それを元に開発途上国に
安いスプレッドをつけて援助をする、ということをしています。 


【多国間経済協力の長所:「政治的中立性」?】
パンフレットの、MDBを通した多国間経済協力の長所というところに、いくつか特徴
が書かれています。そこを見ますと、1番目には専門的な技術能力とか情報網を活用
することができる、2番目のところには客観的な立場から政策対話ができる、3番目
は、こういう触媒機能を使うことによって民間資金の流れを促進できる、4番目には
地域的に広がりのある、ということが書かれています。この4番目は、例えば日本が
全世界をカバーしていこうとすると人的資源などの面でも非常に難しいと思うのです
けれども、こういった多国籍機関を使うことによって、もっと地域的に援助効果の
Leverageを上げることができるということだと思います。

この中で、「客観的立場から」と書かれている。これは非常に面白い点ですので、今
日はこの点についてお話させて頂きたいと思っています。ODAは外務省の管轄でもあ
ると思うのですけれども、その外務省が作った大綱を見ますと、その中にもMDBを通
じた援助の一つの特徴として、「政治的中立性」ということが掲げられていると思う
のです。しかし、「MDBや他の国連機関を使いながらも日本の政策、或いは援助に対
する考え方を反映させていこう」とそういうことが書かれているわけですね。 ここ
で、実際にMDBというのは政治的に中立なのかどうかということを考える必要があり
ます。私も学生時代には、政治的に中立性があるという印象を持って勉強していまし
た。つまり、どちらかというとMDBという機関は政治的に中立で、援助を受ける国の
立場に立って、どういう援助をすると一番その国の利益に貢献することができるの
か、という視点から援助をしているのではないか、と考えていた時期もあったわけで
す。では実際にMDBの中に入って仕事をしてみたらどのように見えるのかというと、
私個人の見方しかお話できないと思うのですが、逆にこういう国際機関の方が非常に
政治的だと思うのです。

国際機関が組織的にはどういうふうになっているのかということで、例えば世銀を見
てみますと、左の方に理事会、右の方に事務局というのがありますが、理事会という
のは結局Decision Making(意思決定)をするところですね。国会のようなもので、
ここに各国からの代表が集まって、その最終的な意思決定をしていくわけです。その
Constituency(有権者)というのは、その国の有権者、つまり私たち国民であるわけで
す。一方事務局というのは、いわゆる世銀スタッフが働いているところで、政治的に
は中立な立場で働きましょう、その機関、或いは途上国の利益のために働きましょ
う、というところです。そこから様々な案件や仕事が理事会に上げられて、最終的に
理事会が政治決定を下していく。具体的な政策決定過程についてまずその理事会から
見てみますと、理事会を組織しているのは各国の代表なので、彼らは自国の国益、或
いは自国の援助政策、「MDBを通してどういった政策を反映させたいのか」というと
ころを基に議論を進めるわけです。ですから何か案件が出てきた時は、「自分の国は
この案件についてどういう利害を持っているのか」というところから発言をし、ある
いは投票していくと思うのですね。

【理事会から見たドナー国:1.リターンにシビアなアメリカ】
次に、アメリカ、ヨーロッパや日本、つまり「ドナー」と呼ばれる国が、理事会でど
ういう風に見えるかということについてお話します。理事会でのアメリカの発言や理
事会以外での交渉を見ていますと、非常にステレオタイプではありますが、やはりア
メリカは非常にお金に対してうるさいという印象を受けます。例えば1ドル出した
ら、その1ドルからどれだけ自分の国の国民或いは企業が利益を得られるのか、アメ
リカの経済や軍事、安全保障といった面でどういったリターンがあるのかということ
を非常によく考えています。そういった面について、MDBを使って自国に利益をもた
らすことができるのか否か、できなかったらお金は払いたくない、できるんだったら
お金を払おう、と結構はっきりしていると思います。

【理事会から見たドナー国:2.人道主義のヨーロッパ】
「ヨーロッパ」とひとまとめにするのは問題があるとは思うのですけれども、ヨー
ロッパと聞いてよく私たちが思うことに「人道主義」があると思います。援助の中で
も”Basic Human Needs” を非常に大切にする、あるいは援助をそのために使いたい
という方針を明確に打ち出しています。例えば先ほどの岡崎さんのお話の中にもあり
ましたけれども、グラント・エレメント・贈与比率についても、やはり非常に高いも
のを貧困対策のために使いたい、という意図が非常に見えて、MDBの援助でもそう
いった部分にフォーカスしたいという方針がとても明確なのです。

【理事会から見たドナー国:3.明確な方針が見えない日本】
一方日本はどうかといいますと、あまりそういったフォーカスがはっきりと見えな
い。先ほどの話に出た宮沢構想などを見ていますと、非常にしっかりした戦略 がで
きているとは思うのです。非常によくできている戦略もあるし短期的視点だけでなく
中長期的視野から包括的に考えられている。しかし、日本が国際組織に出てくると、
援助政策の方針がよく分からないというのが印象としてあると思うのです。

【FSO交渉:アメリカの現実主義 vs.ヨーロッパの哲学】
理事会との関係で仕事をした時の事例をあげますと、贈与比率が非常に高い、いわゆ
る”Concessionary Resource”と言われる、米州開発銀行(IDB)の場合はFSOという
ファンドがあるのですが、その増資交渉、また政治的な交渉ではHIPC Initiative
(最貧国債予防削減イニチアチブ)の交渉などがありました。そこで例えばアメリカの
出方を見ていると、FSOの交渉の場合は非常に強硬路線だったわけです。歴史的には
全ての加盟国、即ちドナーではなくて受益国の、アルゼンチン・ブラジル・メキシコ
や他の小さな国々、ガイアナやホンジュラス 、ニカラグアといった小さな国も、そ
れぞれに与えたられている投票力に応じて出資することによって増資をしようという
ことだったのですけれども、今回は非常にアメリカが厳しく、アメリカやドナーの国
からの増資はもう一銭も出さないと主張した。

ブラジルやアルゼンチン、メキシコ といった中進国になった国がもっと寄与して、
地域として自力で持続可能な形での増資をしろ、というようなことだったわけです。
その背景として、冷戦対策として援助が使われていて、アメリカ議会もそれを言えば
法案が通る、お金が出るということだったのが、80年代の終わりに冷戦が終わったこ
とによってその一番大きな理由がなくなってしまったということがあります。ラテン
アメリカだけではなく、開発途上国一般に対して資金を投入する一つの大きな理由が
なくなってしまったわけで、アメリカは非常に援助に厳しくなってしまったわけで
す。議会を通すのが難しくなり、また50年間も資金を提供してきたけれども目立った
効果が上がってこなかったということも加わって、非常に貸し渋りをするようになっ
た。そこで、中進国もある程度は寄与できるのだから、そこからもっと出させようと
いう意図があったのではないかと思います。

その時にヨーロッパはどういうふうに出てきたかというと、ヨーロッパは特に自分達
はお金を出したくないということはなかったけれども、アメリカはとにかくお金を出
したくなかった。ヨーロッパが非常に反対したのは、そのために受益国に出させるの
か、或いは今ある資金について贈与比率を薄くするのかという点についてです。米州
開銀の場合は贈与比率が50%くらいなので、例えば、100万円貸すと50万円しか返って
こない。50万円は上げてしまうからどんどん資金がなくなってしまうわけです。そう
すると、どんどんまたお金を継ぎ足さなくてはならない。だから増資が必要なのです
けれども、その贈与比率を例えば20%まで下げると、100万円貸した場合に80万円返っ
てくるので、その資金をまた貸し出すことができるわけですね。同じ100万円を使い
ながら、もっと長い期間融資ができることになるわけです。だからアメリカは「贈与
比率を下げることによって資金の量を実質的に上げろ」と言ってきたこともあったの
ですけれども、それに対してヨーロッパは絶対反対だったわけです。貧困対策或いは
社会プログラムといったところに投資した時は非常にリターンが少ないわけですか
ら、途上国はやはりお金を返すのが難しいという事実があったわけです。道路を作っ
たり発電所を作ったりというインフラへの投資の場合には、それがすぐに産業発展に
反映されやすいですからその分経済効果もあって税金も上がってくる。そうするとお
金を返すのが楽なのだけれども、社会プログラムや貧困対策の場合はリターンが上
がってくるのにものすごく時間もかかりますし、リターンも容易に目に見えるもので
はないわけです。そうすると早くお金を返さなくてはいけないとか、金利が高いとい
う条件下では非常に苦しくなるわけで、ヨーロッパはどうしてもそういうことはやり
たくないと、大反対だったわけです。そういうところにヨーロッパの政策というか哲
学というのが非常にはっきりと現れていたと思うのです。

【HIPC交渉:アメリカのアカウンタビリティへの執着 vs.ヨーロッパ・キリスト教社
会のプレッシャー】

またHIPCの交渉の場合、これはどちらかというとヨーロッパから非常に強くでてきた
イニシアティブだと思うのですけれども、アメリカは出すからにはちゃんとお金がど
のように使われているのかをきちんと監査したいというのがあったわけです。GAOと
いう組織がありますけれども、そこにHIPCで使われたお金が実際どういうふうに流れ
ていっているのかをしっかりと監査させるようなレポートを作らせている。また、
HIPCは2段階あったのですが、第2ラウンドに来た時にアメリカからの条件が強く付け
られて、「貧困対策のためにやるのだから、各国に貧困対策のきちんとした戦略を作
らせて、それを出さない国にはHIPCの債務削減(Dead Relief)をやらない」と、そ
れを一番の条件として突きつけてきたわけです。やはり、アメリカのアカウンタビリ
ティに対する厳しさというのがはっきり現れていると思います。

ヨーロッパの場合は、NGOが非常に強いと思います。「ミレニアムの時には神からの
免罪がある」とキリスト教では言われていますよね。なので、債務についても、免罪
というか、免除されるべきだという風な考え方があった。それがキリスト教社会の中
で非常に大きくなって、キリスト教関係のNGO、例えばジュビリー2000という大きな
キリスト教関係の団体があって、Jeffery Sachsがそこに雇われていたわけですけれ
ども、そういったところからのプレッシャーも大きかった。あるいはオックスファ
ム、これもやはりキリスト教関係だと思いますけれども非常に強かった。ヨーロッパ
の場合はそういった団体があると、政治的にも無視することはできない。ですから、
政府であれば自分達の国の立場として「HIPCというものをサポートする」というふう
にどういったところに対しても言わなければならない、という非常に厳しい政治的背
景があるわけです。そこに加えて、「貧困対策」という目的があったので、ヨーロッ
パではHIPCへのサポートが非常に強かったわけです。

【政策を明確にしきれない日本】
それに対して日本なのですけれども、FSOの交渉の場合には日本は理事会などでもあ
まり表立っては動かなかったのではないだろうかというふうに見られていました。
HIPCの場合は、岡崎さんの方が日本の国内事情はご存知だと思うのですが、お話にも
あったように日本の場合はローン融資が多いのです。HIPCは融資が対象になった
わけで、2国間で見ると貧困国に対する融資が多い日本は、負担としてはものすごく
大きかったわけです。且つ日本の方針として、やはり「貸したお金は返してもらわな
いと困る」と、「ここで免除してしまうとFinancial Disciplineの面でよくない」と
いう方針があると思うのです。HIPCというのはキリスト教的考え方で押されてきたも
のなので、日本としては日本としての哲学があったのだから、やはり立場としては反
対だったと思うのです。

日本は反対だという立場があったのだと思うのですけれども、あまり日本の立場とし
て説明されないままにきたのではないかと思います。この間の沖縄サミットではHIPC
というのが一つの大きな話題だったと思うのですが、その中でも日本というのはどう
いう哲学を持っていてどういう立場に立っているのかということをあまり説明できな
いままに来たのではないでしょうか。G7の会合を見ていても非常に感じましたし、
MOBでのHIPCの交渉を見ていた時にも、そういう印象を受けました。ではそれはなぜ
なのか、ということを考えなければならないと思うのです。どうして国際舞台に立っ
たときに日本は、政策がない部分もあると思うのですけれども、きちんと持っている
部分でもものが言えないのか、あるいはもっと宣伝することができないのか、という
ことは考えるべき問題だと思うのですね。

【「口は出さないがお金は出す」日本】
他の面で、一般的にMDB例えばIDBの中で日本がどう見られているのかということにつ
いてですが、非常に極端な言い方をしてしまうと、非常にお金に厳しいアメリカに対
して日本は非常に甘い。例えばアメリカは「お金は出さなくても口は出す」というこ
とがよく言われますが、日本の場合は「口は出さないがお金は出す」。だから、日本
の場合は出しているお金に対して付帯条件が非常に弱いと思います。日本はお金を出
してくれるけれども、その後それがどういうふうに使われているのかというのをそん
なに強く追求してこないので、私達のような事務局側から言えば非常に楽なわけで
す。一度通れば、それは事務局の判断で色々な分野で使うことができる。ですから私
達の立場からはいいわけですけれども、日本の国民の目から考えると、日本の税金か
ら出ているわけですから、こんなことでいいのだろうかと思われます。日本も1994年
にIDBにおいて大きな増資があった際に巨額の寄与をして、理事会における常任理事
国の席を確保しました。第8増資によって日本の寄与分をそれまでの1%から5%くら
いまで上げたのです。5%というのは少ないように見えるのですけれども実は非常に
大きな数字で、加盟国全体から見ると多分4番目から5番目なんですね。アメリカが
もちろん1番目で30%少しで、その次がブラジル、アルゼンチン、メキシコ、多分
日本はその次かその次くらいだと思うのですけれども、いわゆる域外国、いわゆる米
州開銀が担当しているアメリカ大陸の域外国の中では一番大きいのです。ヨーロッパ
のどの国よりも寄与が大きく、日本の後にヨーロッパ分を見てみますと、1パーセン
ト代です。ですからその点から見ても日本の寄与率は非常に大きい。それでその寄与
分に見合うだけの政治的なプレゼンスがあるのかというと、そこが日本の弱いところ
ではないかと思うのです。

事務局でも言われることなのですけれども、日本の場合は理事の席をイギリス・ポル
トガルとシェアしているのです。ですから、日本が理事会に出ない時にはイギリス、
次にはポルトガルが理事として発言できるわけです。日本の理事が発言しないとイギ
リスが出てくる。例えばHIPCの交渉においてもイギリスはすごく強かったのですが、
日本の理事の席を使ってイギリスがかなり発言をしたわけです。だから、それを見た
事務局や他の国の人がどういうふうに言っていたかというと、やはりあれだけお金を
出して理事国の席を得たのに、どうしてイギリスに、(イギリスはその増資の時に逆
に寄与率を下げたのですが)発言権を渡して話させているのか、ということが言われ
ていたわけです。

【政治的駆け引きの場、国際機関を生き抜く為に何が必要か】
「日本はODAでは世界一になった、世界経済の中ではNo.2の位置にいる、それに見合
うような経済援助をしなくてはならない」というのはこの外務省のパンフレットの中
にも書かれていますし、あるいは財務省のレポートの中にも書かれていると思うので
すけれども、逆に実際にお金に見合った政治的な価値というか、そういったものを
もっと上げていかなければならない。そのためには何をやらねばならないのかという
ことは、私達みなで議論しなければならない問題だと思うのです。もっと焦点を絞る
必要があるのではないか、ラテンアメリカにお金をこれだけ出すほどの戦略的な利益
が実際にあるのか、アフリカとかヨーロッパにお金を出していく意味はあるのか、
もっとアジアに焦点を移した方がいいのではないか、ということは国民も真剣に考え
る必要があるし、これだけODAを出しているのだから、国会でも議論していくような
雰囲気を行政部門が作り出していく必要もあるでしょう。またこういう国際機関に人
を送る場合に、小さいことかもしれませんけれども、英語ができる人を送っていかな
いといけないと思うのです。なぜ発言ができないのかというと、やはりまず語学に問
題があると思うのですね。実際、語学が非常にできる人がいた時には、やはり日本の
プレゼンスというのは違ったわけです。またコミュニケーションスタイルも違うと思
います。もっと国際的なスタンダードに合うようなスタイルでコミュニケーションが
できる人を送らなければならないし、或いは日本国内でもそれに近いものを作り出す
必要があると思います。その他にもたくさんできることはあると思いますけれども、
議論の中で出てくると思うので、とりあえずこの辺りで終わらせて頂きます。

コメント:産経新聞・古森義久氏 
【財務省派遣制度に異議あり】

ODAと宮沢構想は似ているけれども、非常に違う部分もあるから二つを一緒にして論
じるの少しまずいのではないかなという部分もあります。しかし、公的資金による援
助的な行為としては確かに共通しているわけですね。松本さんの特に後半においての
問題提起は、私も含めて多数の民間の観察者が普段なんとなく思っていることが具体
的な例で裏付けられているということで、心強い指摘です。私は以前から、なぜ財務
省の人が世銀やIMF、開発銀行にポンと3年くらいの期限で来てまた帰っていくとい
うことを繰り返す権利があるのかと疑問に思ってきました。まったく不適格な財務官
僚の天下りもあるということを、新聞でもかなり取り上げたり、そういうことを国会
で取り上げたい衆議院議員・参議院議員にも問題提起をしたりしています。中国総局
からワシントンに帰ってきた後もそういうことは問題意識の一つとしてあって、なぜ
日本側が通産省や外務省の官僚までも排除して、財務省の人間だけを国際機関に送り
込むのかという疑問が常にあった。つまり、開発途上国の経済開発をライフワークと
してやろうと思って財務省に入る人間はいないわけですよね。にもかかわらず、ある
日突然そういう身分を与えられて、3年くらい滞在して帰国する一方で、本来の開発
経済をライフワークにする人にはそういう機会は与えられない。

英語力の問題については、私が中国にいた時に、財務省出身の国際機関の長官ポスト
にいる方が英語で記者会見された際のお粗末さにはびっくりしました。TOEFLで30
0点くらいはいくのかなぁと思ったくらいですけれどね(笑)。私はそれを新聞にちゃ
んと書きました。色々反発もありまして、私はあの人たちにとっては天敵みたいなと
ころもあるけれども、日本の国民の視点や立場から報じているから、僕が持っている
感触というのは間違ってないという自信があります。    

【ODA批判的考察:1.なぜ、何の為に】
ODA全体で申し上げると、重要なポイントは、納税者の立場から「何のために外国に
お金をあげるのか」ということです。そしてもう一つが「誰がどうやって決めるの
か」ということです。まずこの「何のために」という点に関して見ると、日本のODA
というのは80年代の東西冷戦において日本は軍事的貢献が全然できないがとにかく
何かしなくてはいけないということで、ODAを倍・倍・倍にしていくという方針が
ずっととられたわけです。普通の一般会計予算からこんなに出せるはずはないですか
ら、またここに日本の特殊性というものがあって、財政投融資という資金のプールか
らいくらでもお金が出せるという背景があってできたのです。もう一つの疑問、つま
り「なぜ援助するのか」という点については、日本には黒字がありすぎたわけです。
だから、黒字の還流をする、つまり資金還流というのが二つの柱のうちのもう一つで
した。ところがご存知のようにこの二つの非常に大きな「なぜか」を支えたパラダイ
ムが二つとも消えてしまったわけです。そこで今、「なぜ援助するのか」ということ
で新しい政策を作らなければいけないのだけれど、これが進んでないのです。
誤解されないように言っておくと、やはり「援助」ということ自体は困っている人に
困ってない人がモノをあげて助けるということで、好ましい行為であるし、お金を
持っている人が持っていない人にあげて助けるというのは、人間として尊い道義上の
行為です。しかし、国家として国連等で一国一票を持って、どんな国でも主権国家と
いうのは対等なのだ、という今の国際社会においては、ある国が他の国にお金を上げ
るということは、一種の過渡期の現象であるはずです。これをいつまでもいつまでも
やっていかなければならないとなると、大きな問題が出てくる。日本はアメリカにも
イギリスにも決して援助を上げることはないけれども、中国にはずっとあげていま
す。だから1人当たりGNPの比率という基準も段々崩れてきていて、年収4000ド
ルとか5000ドルとかという中進国にまでODAを供与しているわけです。この辺が
非常に難しい。だから中国の場合は今は一人当たりの年収が700ドルとか800ド
ルとかで非常に少ないわけだけれども、13億ものの人がいるわけだから、13億の
人たちの年収が全て10倍になるまで、日本がずっとこれだけ苦しい中でお金を上げ
続けなくてはならないのかという、そのへんの「なぜか」という問題がこれから大き
な挑戦になる。

【ODA批判的考察:2.誰がどう決めるのか――実質のないODA大綱】
では、「誰がどう決めるのか」という2番目のポイントについてですけれども、日本
はこれだけの公共事業に1兆数千億円という金を毎年出して、また財政投融資からも
出してきて、それなのに何の法律も条令もないわけです。何を基準にしてやるのかと
いうことを定める施行条例的なものも全くない。「ODA大綱」というのはありますけ
れども、これは拘束力が全くない。むしろ、92年に閣議決定で採用された経緯を見
ると、「海外援助法」というアメリカにあるような法律などを作らせないために外務
省の官僚が一生懸命こういう大綱を作ったという部分があるわけです。これは、いわ
ゆる”Bureaucratic discretion”、「官僚の恣意」ですね、官僚の自発的な判断に
よって何でもできるということが最大の特徴というわけで、その分国民に対する説明
も事後でいいということです。あと、国会で審議をして予算を承認するという時に
も、その予算そのものは承認を得なければならないけれども、どういう形でやってい
くかということについて、立法上のスクリーニングにかけないですむような状況があ
るわけです。それからODAですらそうなんだけれども、ODAよりももうちょっと贈与比
率の低い公的資金アンタイド・ローンの供与、宮沢構想などが含まれるんだろうと思
いますが、これを「いつ」「だれが」「どうやって」決めるのかということになる
と、ODAよりももっともっと透明性がなくて、なんとなくこれまで財務省の人が決め
てきたという形です。

ですから、例えば、市場経済をあまりにも追求しすぎてアジア諸国が一種の破綻をき
たしたときに、市場原理に基づけばそれは放っておけばいいわけで、倒れるものは倒
れるということになるのでしょう。しかし、そうなったら日本に大変に悪い波及効果
があるから、それを防ぐために日本が公的資金を出すというのは、それはそれで納得
がいくのです。しかし、本当はこういう公的資金をつぎ込むこと自体が市場経済の大
原理に逆行しているわけですから、そういうことをするための大義名分がきちんとな
ければならない。では一体それは何なのかというと、例えば300億ドルを注ぎ込ん
だ結果どういう効果があったかと、注ぎ込まなかった場合と注ぎ込んだ場合との違い
は一体なんなのかということの調査をして、普通の人が分かるような形で是非提示し
てほしいと思うわけです。

私は中国に2年間いましたので中国への援助の例を挙げます。ODA大綱に「核兵器や
弾道ミサイルのような大量破壊兵器の拡散とか製造をしているか否かということに対
しては十分に注意を払わねばならない」という一項があるけれども、中国はまさにそ
れをしているわけです。それに対して援助を減らそうかという意見が最近チラッとで
てきましたけれども実際には援助の構図は変わりません。或いは「民主主義を促進し
ているかということにも十分注意を払わなければならない」という項目についても、
どこでそういう配慮をしているのか、形跡がない。

【「ODAは外交」と言えるのか?:予算制度の見直しなしには外交政策たり得ない】
しかも日本の予算制度というシステム自体にも問題があって、一旦ついた予算という
のは余程のことがない限り削られません。ましてODAに関しては「年次供与国」とい
う制度がありまして、十何カ国か特別な国があってそれらに関しては特に何もなけれ
ば前年のレベルの額の供与をずっと保っていくという慣習があるわけです。ですか
ら、「ODAは外交である」とよく言うけれども、本当に外交政策なのかという大きな
疑問が出てくる。外交政策であればその時その時に合わせて、戦略だとか国益だとか
を考えて柔軟に対応できるはずでしょう。そもそもご存知のように、日本の予算制度
においては、港湾施設につぎ込むお金ですとか高速道路につぎ込むお金というのは、
比率が何十年と変わらないわけです。それは日本の制度の一番ユニークなところなの
です。そういう状態の中で「外交の武器としてやっている」と言うのは、ちょっとお
かしいんじゃないかと言いたい。また例えば国連で、UNESCOの事務総長に松浦晃一郎
さんという外務官僚がなる時、日本政府がその票を取るためにODAを使うというよう
なことをしたり、安保理の常任メンバーになりたいという目標についてもODAを利
用するという意図をちらつかせます。しかし、アメリカのヘリテージ財団の調査によ
ると、援助をもらっている国ほど国連で反対票を投票しているという結果が出ていま
す。援助資金をもらった方も誇りがありますから、「金をもらったから賛成票を投票
してあげよう」などということはなかなかないわけです。

今日本は財政危機でお金がなくて困っているわけで、厚生年金などもどんどん減って
いる。ですから、そういう状況下でもなぜ外国にずっとお金をあげ続けなければなら
ないのかを、説明責任や透明性という観点から、政策立案者や立法者は「いやいや、
それでもこういう必要があるんだ」ということをもう少し皆に分かる形で、きちんと
示してODA反対論を論破していかなければならない。そういう状況が今目の前に厳
然と存在しているというのは、間違いないことだと思います。だから、根本的な再検
討、つまりODAを含む援助政策の再検討が迫られているということは強く感じます。
既に言ったように、「困っている人を助けること」は非常にいいことだと思うけれど
も、我々ももしかしたら困っているのではないだろうかと思うわけです(笑)。
 

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文責 松崎太郎氏 (ありがとうございました)