■ PRANJ同時多発テロレポート10
NY・ワシントンDCより
(2001年12月13日PRANJニュースレター配信)
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■ Index:
― 読者からPRANJへの質問―
■ 回答者
□ 宮下洋一:スペイン在住フリージャーナリスト
□ 渡部恒雄:CSIS戦略国際問題研究所 日本部主任研究員
□ 愛知和男:防衛庁・環境庁元長官
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■ 読者からPRANJへの質問:
アメリカとタリバン/アルカイダとの戦争において、日本の関わり方には、どんな選
択肢があると思いますか。
--- 翻訳家 京谷寿美子
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■ 宮下洋一:スペイン在住フリージャーナリスト
「日本の関わり方」ジャーナリストの観点から述べさせていただきたいと思います。
わたしの住んでいるバルセロナには、イスラム教信者がたくさんいます。スペインに
は、違法移民者が命を賭けてボートで渡って来ます。ヨーロッパの入り口だからで
す。街を歩いていると、彼らの姿が常に目に付きます。そんなイスラム文化の人々
が、キリスト教文化に身を投じることは、そう簡単でないことを、ジオバニ・サルト
リ氏は「複合民族社会(Multiethnic society)」という本の中で記している通り。
それでも、スペインの人々は何とかして彼ら異文化の人々(私自身も含めて)を受け入
れる努力をしています。
そこで、わたしが一番心配していることは、イスラム人口がわずか十万人にしか過ぎ
ない、わが国日本において、彼らに対する今後の対応です。それが今回の戦争に、間
接的にかかわっていると思うからです。あまり日ごろ目にせず、話を交わすことも少
ない日本人が、日本人の好む(個人的な見解かもしれませんが)先入観・ステレオタ
イプによって、潔白なイスラム教徒を避けるような行動に出るのではないかというこ
と。
わたしが書いた「メディアの持つ力」でもすでに触れたように、それはスペインのあ
るジャーナリストに限ったことではありません。スペインのように、柔軟に彼らを扱
う国でさえ、そういった行動が現れてしまうのです。従って、日本という単一民族国
家においては、わたしはもっと不安な気持ちにさせられます。無意識的に偏見行為が
出るようになったら、非常に危険です。その無意識な症状の現れは、行き着くとこ
ろ、メディアによるものだと、わたしは思っています。
この質問の回答になるかと思いますが、今回の戦争における第一の問題点は、イスラ
ム教諸国ではなく、テロリストです。そのへんの理解しているようで、理解していな
い違いを、日本のメディアがうまく国民に伝えることが、真のジャーナリズムである
と思います。ジャーナリズム=教育でもある。なぜなら、ジャーナリズムが歴史を作
る重要な資料になるからです。まず、根元をしっかりと理解し、現実をしっかりと見
る目を持つこと、そして、日本なりの考えを主張することです。周りの流れに飲まれ
ないことではないでしょうか。
わたしもイスラム教徒の友人が何人かいます。彼らが惨めな顔をして街を歩かなくて
はならない、というようなことのない国家であってほしいと願っています。
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■ 渡部 恒雄;CSIS戦略国際問題研究所 日本部主任研究員
「日本の対テロキャンペーンへの関わり合い」
対テロキャンペーンへ日本がやれることは、本当に多岐に渡っています。私なりに簡
単に整理してみました。A.日本が「普通の国」として当然準備していなければなら
ないことで、準備してなかったこと、言い換えれば、他の国では当然簡単にやれるこ
のに日本ができない課題、B.すべての国が直面している新しい課題、C.アジアの
経済大国、日本だからこその期待が集まっている課題があると思います。
A課題。これまで憲法上の制限がありできなかった自衛隊による米軍への後方支援活
動。これはハードルは高かったのですが、見事クリアしたと思います。ただし、国内
での対テロリストへの法整備を含む治安対策は全然のようです。有事法制すらやっと
準備がはじまったところです。B課題。テロリストネットワークの資金源の探知と破
壊などがそこに入るでしょう。これは、一応、日本でも形式上はやっていますが、意
外と進んでいないような感じをうけます。C課題。難民への人道支援への財政的援
助。今後のアフガン再興への人的および資金貢献。これは、まだまだ続く話ですが、
国際社会から日本に期待の大きいのは実はこの分野でしょう。
湾岸戦争とは異なり、A課題を最低限クリアーしている以上、C課題をこなせば、日
本の国際的な存在感のためには、実は格好の機会といえます。しかし、湾岸戦争のこ
ろと違い、日本の経済力の地盤沈下は相当です。財政的には大変苦しい状況にありま
す。日本の経済力の強さを回復させることは、その意味で、外交的にも急務というこ
とになっているのだと思います。
財政支援だけに限らず、日本の経済回復は、戦略的な側面もあります。知り合いの元
アメリカ政府高官によれば、「例えば、日本やアメリカが経済的に停滞を続けると、
その市場の購買力が落ち、結果的には、アメリカや日本の市場にものを輸出している
東南アジア諸国の不安定化の要因になる。そして、そのような不安定化を招きやすい
国の中に、インドネシアやフィリピンなど、国内に大きなイスラム人口を抱え、アル
カイーダの組識のネットワークが広がっているといわれる国家が含まれる。したがっ
て、日本は自国の経済問題を戦略問題と認識したほうがいい」という見方です。
A課題をこなすのに、全力を尽くした感のある小泉政権ですが、C課題と重なり合う
日本の経済力の復活は、そもそも小泉政権に日本国民が最も期待しているものです。
これはとにかく全ての中で最優先で取り組むべき課題であることを、改めて確認した
いと思います。
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■ 愛知和男:防衛庁・環境庁元長官
「安全保障の概念について」
9月11日のテロ事件以来、安全保障というものの本質が問われることになっている
と思います。そもそも人間は命と財産を守る権利を有しているとされています。命と
はその本人の命はもとよりですが、動物としての本能にもとづく種を残すということ
も含んでいるます。財産とは金銭などの動産と不動産などを含む物質的財産と、文化
・伝統信条などと関連する価値観などの抽象的な財産をも含むと考えられます。
このように広く解釈される命と財産を守るために人間は歴史的にいろいろと工夫をし
て来ました。
人間ひとりひとりが自分で自らの命と財産を守るのが原則ですが、人間ひとりひとり
の力などというものは極めて微力であります。自分だけの力で自分の命と財産を守る
ことなどできる訳がなく、そこで人間は集団を作ってお互いに協力し合って各々の命
と財産を守ってゆくことにし最小の単位は家族です。家族から始まって親せき縁者、
つまり血のつながりを原点とする集団をつくり、この集団は種の保存という命を守る
ための本能にもとづいた集団である色彩が強いが、いずれにせよ人間ひとりひとりの
命と財産を守るために出来た集団であることには間違いないのです。
ところがこの血のつながりをもとにした集団は規模的に限界が出来てくるので、この
概念を発展させて民族という集団が形成され、民族を単位として各々の人間ひとりひ
とりの命と財産を守るための仕組みが形成されてゆくのです。
ところで血のつながりが人間の集団を形成する唯一の要因かというとそうではなく、
人間が生きていゆくうえで欠かすことの出来ないものとして地球上の土地というもの
の存在があります。ここに土地という縁で結ばれた人間集団が発生するのであり、こ
の集団は民族が大きな柱ではありますが、しかしひとつの民族だけがその土地に生息
するというのはほとんどなく一般的にはいくつかの民族が寄り集まって集団をつくる
事になります。これが、いわゆる国家と呼ばれるものの原点であると考えられます。
従って国家とはそこに所属する人間ひとりひとりの命と財産を守るために形成された
人間集団と定義づけられるのであろう。ところで安全保障の議論で無意識のうちに出
発点とされている概念は国家安全保障という概念であります。つまり国家の安全を保
障するためにどうするかという概念です。
ところが前述のように、国家というものの成り立ちの原点を考えれば、国家のためと
云うのはもともとそこに所属するひとりひとりの人間のためでなければなりません。
つまりまず、国家ありきではないのです。いままでは国家安全保障はそこに所属する
人間、つまり国民の安全保障でありましたが、今回のテロ事件をきっかけにしてこの
原点が問われることになったのではないでしょうか。いくら国家としての安全が保障
されても、そこに所属する人間ひとりひとりの命と財産の安全は必ずしも守られない
のだということが、証明されてしまったのです。今や国家とは何なのか、命と財産を
守るという人間の原点に立った安全保障のあり方の理論構築が必要になって来ている
のであり、要するにひと口に云って国家安全保障にかわって、もっと原点に立った人
間安全保障の概念の構築であり、その目的を達するための仕組みの構築であります。
別の云いかたをすれば、国家というものの概念の再検討であり。安全保障の議論の中
で何の疑問もなく大前提として来た国家というもの、そのもののあり方が問われて来
ている事態であると思います。
ところで30年ぶりでアメリカに長期滞在してみて、改めてつくづく感ずることは、
アメリカという国家の他民族性である。アメリカという国は建国の理念に賛同する者
であれば人種、民族を問わず誰でも受け入れてつくられて来た国家でありますが、人
間史上の大きな実験と云われ続けて来た人間にとっての大きな実験であるという実感
を改めて痛感しています。とにかく町にはあらゆる皮膚の色、顔立ち、容姿の人達が
あふれ、また人種としての出自と密接に関連を持つ宗教も混在しています。また宗教
にもとづく習慣も混在して食べものひとつ取ってみても、例えばユダヤ教の人達は
コーシャというラベルを貼られた食物しか食べない。つまりユダヤ教の教えにもとづ
いて加工されたものかどうかをユダヤ教の権威のある人が認めた食べものしか食べま
せん。イスラム教の信者は豚を食べない。
祭日は各々の宗教によって異なっており、国家としての祝日と関係なく各々の民族の
祭日は祭日として生活に組み込まれています。或る白人がユダヤ教としての祭日に休
暇をとったので、はじめてその人がユダヤ人であることがわかったという話もよく聞
く話です。とにかく、アメリカという国家はありとあらゆる人種が集まって出来上
がっている国家なのでそうなると、国家としての模範を持ち続けるための独特な方策
が必要になって来ます。つまり民族国家ならば特に特別な方策を用いることなく、民
族としてのアイデンティティを強調するだけで国家としてのまとまりは保てるのであ
りますが、アメリカはそうはいきません。そこで、機会あるごとに国家のアイデン
ティティ、あるいはアメリカ国民としての意識を再確認する機会を作らなければ国家
としてのまとまりを維持できなくなります。日常生活でもわれわれ日本人から見ると
異様に感ずる程、国歌とか国旗に対する執着が見られるのです。
先日ワシントンにあるケネディ・センターのシンホニィーホールでのクラシックコン
サートに行った時は、指揮者が登場してやおら聴衆の方を向いて指揮棒をふり下ろ
し、それに合わせてオーケストラはアメリカ国歌を演奏し始め、聴衆はこれに合わせ
て全員起立して国歌を合唱したのです。それが終ってからおもむろに演奏が始まっ
た。アメリカ国民であることを再確認しているのであろう。
今度のテロ事件に当たってアメリカが異常なまでにアメリカを強調するのはいくつか
の理由が考えられますが、もしかするとアメリカ人は無意識に或いは本気になって世
界がアメリカの様になれば世界は大きく平和に近づくのではないか、世界をアメリカ
にしようと考えているのかもしれない。だとすればあまりに単純といえば単純な思い
こみであるかもしれないが、理想としてはその通りかもしれない。そうだとすればこ
の目的のためには「アメリカ」を強調することは逆効果ではないか。アメリカを強調
するのではなく、アメリカのような社会を目指そうではないかとアメリカが強調すれ
ばそれなりの説得力があるように思う。それはそれとして、国家安全保障に代る安全
保障の概念として人間安全保障の概念を導入してゆく具体的方策を構築しそれを世界
に提案してゆくという大構想を日本は打ち出してゆく時ではないだろうか。
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