■ 『政策海外ネットワーク “PRANJ”レポート』(2002年8月15日Newsletter配信)
「南の楽園?フィジーの政治経済状況」
■ 国際通貨基金 エコノミスト 植田健一氏
昨年8月末から9月に行われたフィジーの総選挙からほぼ一年が経ちました。この選
挙は、2000年5月のクーデターの後の最初の選挙として、フィジーが民主国家に
戻るかどうかの試金石でしたが、暫定政権首相であったカラセ氏を首相として内閣が
組織され、何とか一年無事に推移してきました。近くにある東ティモールの選挙及び
国際社会への受入れの影に隠れ、あまり注目されておりませんでしたが、日本人に
とっては(私の弟夫妻を含め)ハネムーン先、またバケーション先として縁の深い国
であります。
フィジーは19世紀末から1970年まで大英帝国の植民地でした。植民地政府の初
代イギリス人総督は、なかなか心優しい人だったらしく、他の植民地とは異なり、原
住民を守りました。具体的には、原住民を労働者として搾取すること及び原住民から
土地を取り上げることを(“買上げ”も含め)禁じました。
ところが、イギリスからわざわざ植民に来た人たちはたまりません。彼らは砂糖のプ
ランテーションを開発しに来たのですが、土地はリースで間に合わせましたが、労働
者がいません。彼らの要求に折れ、総督は妥協策としてインドから苦力(クーリー)
を輸入することとしました。これは、基本的には5年間の年季奉公人ですが、半ば奴
隷同様であり、5年経った後も自由人になるにはさらに5年かかりました。そもそも
インドから自発的に来たという人ばかりではなく、インド人はイギリス人及び原住民
の両方から、いわば2等市民として扱われていたようです。インド人は、20世紀前
半までに、合計約6万人が輸入され、今ではフィジー83万人の人口のうち44パー
セントを占めています。
1970年の独立後、イギリス人の殆どは出国し、国は原住民とインド系住民のもの
となりました。この時制定された憲法では、両住民に平等な市民権が授与されていま
す。しかしながら、イギリス人が出国した際に砂糖プランテーションをインド系住民
に譲っていった(原住民はプランテーションで働くことを禁止されていたので経営ノ
ウハウがなかった)ことなどから、独立後次第にインド系住民が富を貯えるようにな
りました。
しかしながら、政治ではインド系に対する反発が強く、1987年まで常に原住民系
が主導権を握ってきました。1987年には、首相は原住民でしたが、主にインド系
住民を基盤とする政権が誕生し、それを受け2回クーデターが起こりました。この
時、クーデターのリーダーによる軍事政権が生まれ、その下で、民族毎による議員数
の割当など、原住民の政治力を強化させる憲法改正がなされました。
そうした圧力にもかかわらず、1999年の総選挙では、ついにインド系の首相
(チョードリー氏)が誕生しました。そして、原住民系市民によるクーデターが、2
000年5月に発生したわけです。軍隊はこの時は比較的中立を守り、結局クーデ
ターを起こしたスパイト氏は逮捕されました。軍部はその後原住民系銀行家カラセ氏
を首相とする暫定政権を擁立しました。
これを受け、英国連邦(旧大英帝国植民地からなる連邦)及び欧州連合を中心に、民
族平等の原則が犯されているとして、開発援助の凍結を主とした制裁が課され、さら
に主要貿易相手国であるオーストラリア及びニュージーランドの労働組合は、貿易制
限措置を課しました。
こうした中、2001年3月に最高裁は、暫定政権は憲法違反であるとの判断を示
し、それを受け2001年8月の総選挙が決定されました。選挙では、カラセ氏の原
住民系穏健派政党が第一党となり、ほぼ拮抗してチョードリー氏のインド系政党が第
2党、その後大きく離れて刑務所内から立候補して当選したスパイト氏を擁立する原
住民系過激派政党が第3党となりました。
ところが、現在の憲法の下では10%以上議席を確保した政党に対し、首相は大臣枠
を打診しなくてはならないことになっていますが、カラセ氏はチョードリー氏の政党
からの入閣を受け入れなかったことから、チョードリー氏は新内閣は憲法違反である
として裁判を起こしました。その結果、選挙は民主的に終わったとみなされたもの
の、依然政府の正当性に疑義有りとして、クリスマス頃まで主要な英国連邦等の制裁
は解除されませんでした。なお、2002年2月には、高裁が現内閣を憲法違反であ
るとし、政府は最高裁に上告し、2002年7月末現在、最高裁の判断を待っている
という状況です。なお、同じく2月に、スパイト氏に対し高裁が死刑が宣告しました
が、直後に大統領による恩赦で終身刑に減刑されました。もっとも、スパイト氏側は
さらなる恩赦を要求している模様です。
こうした中、私は国際通貨基金の調査団の一員として、フィジー経済の現状を選挙前
の2001年6月末に簡単に調査し、その後2002年4月から5月にかけこの4年
間なされていなかった本格的な経済調査(国際通貨基金協定第4条に基づく調査)を
行い、つい最近国際通貨基金の理事会への報告を終了したところです。
フィジーの主要産業は、観光、砂糖及び繊維なのですが、クーデター及び種々の経済
制裁によってどれも多大な影響を受けました。2000年5月から2001年12月
まで日本を含む主要国はフィジーを旅行者には適さない国との判断を下した結果、2
000年全体で約30パーセントの旅行者減を記録しています。その後、2001年
には観光客がかなり戻ってきたようです。また、主要国の経済制裁により、繊維産業
をはじめとするフィジー経済全般に、かなりのブレーキがかかりました。2001年
中も一部産業は厳しいようです。
砂糖に関しては、実に難しい状況にあります。100年ほど前にイギリス人と各部族
等の間に結ばれた土地のリース契約が、独立前後に30年間更新されたのですが、こ
こ5―6年、香港のように期限を迎えてきており、原住民側からすれば当然香港のよ
うに、原住民側に返還されるべきだとの声が大きくあります。少なくとも、彼らから
みて低く抑えられてきた地代を十分に上げるべき(地代は政府によって現在ある程度
コントロールされています)との声が大きいわけです。ところが、香港と異なるの
は、借りている人間がイギリス人でもなければ原住民でもなく、半奴隷のように虐げ
られてきたインド系住民なわけです。彼らにしてみれば、奴隷のように使われた後、
自分のリース地となってからは、一生懸命耕し投資をしてきた土地を取り上げられて
はたまりません。当然地代に関する交渉がなされるわけですが、双方とも意見の隔た
りが大きく遅々として進まず、一部のプランテーションからは既にインド系耕作者が
追い出され、かといって原住民はうまく耕作できず、土地が荒れはじめてきているよ
うです。また、短期的契約延長にこぎつけたところでも、契約期限が迫っているとこ
ろと同様、将来の経営が不明のため、銀行による運転資金の貸出しが滞っているよう
です。こうした問題があるために、どちらの民族が政治的主権をとるかが、各民族の
経済状態に直結し、単なる民族対立では片づけられない深い対立が現れ、政治不安の
根本要因となっております。
以前、発展途上国の土地問題の権威である政策研究院大学の大塚教授からいろいろお
話を伺いましたが、世界どこでも植民地になった国では、似たようなもめごとが発生
し、その後の政治不安の要因となっているとのことです。
経済学の教科書には有名な“コースの定理”というものが載っています。簡単にいえ
ば、「どんなもめごとも、そもそもの所有権または既得権が与えられれば、交渉(ま
たは所有権の市場)によって効率的な解に到達する」というものです。そもそもの所
有権や既得権に対し意見対立がある場合には、役に立たないではないかという見方も
ありますが、そうではなく、まず、既得権を政治決着しよう、その後は各人の交渉や
所有権の市場によって問題を解決できる、という道筋を示しております。従ってま
ず、そもそもの所有権及び既得権、即ち、そもそもインド系が原住民にすべての土地
を返すところから議論を出発すべきか、それとも現在の地代による長期間リースを受
ける権利をインド系は持っているというところから議論を出発すべきか、という点に
ついて、強力な政治解決が必要であります。しかしながら、その後は、各人の交渉や
市場に任せ、政治介入を避けるべきであろうと考えます。さもなければこの後永遠に
民族対立が続きます。
翻ってみて、100年ほど前初代イギリス人総督が、フィジー人にとって良かれと
思って行ったこと、即ちイギリス人によるフィジー人の土地売買の禁止及び雇用の禁
止などは、はたして良い政策だったと言えるでしょうか?これは私にもまだよく分か
りません、植民地化自体をすべきでなかったということを別にすれば。しかしなが
ら、僅かでも政策に携わる者として、現在とる政策が100年後にまで一国の政治経
済状況を大きく左右するということは、肝に命じておきたいと思います。
最後に、政治経済の中心地の首都スバは、年中雨が降っており、ビーチもなく、安い
ビジネスホテルしかないことから、殆ど観光客が訪れることはありません。全ての政
争はこれまで首都圏で行われており、国際空港のある観光客の入り口となっているナ
ンディ近郊及びリゾートホテルしかない小さな島々は、2000年のクーデターの際
にも全く危険が感じられなかったようです。現在は首都でさえ、まず危険を感じませ
ん。2002年の夏も依然としてフィジー観光局を中心に積極的な価格戦略をとって
いるようですので、日本からの旅行の穴場ではないかと思います。この6月から、成
田発の直行便がそれまでの週2便から週3便へ増やされました。およそ9時間で着き
ます。フィジー経済のためにも是非皆さん訪れては如何でしょうか。
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