■ 『政策海外ネットワーク “PRANJ”レポート』(2002年3月21日Newsletter配信)
「もっと自由な外国語教育を」 ■ 宮下洋一(スペイン在住フリージャーナリスト)
外国語を習得することの意義は、自分の「世界」を広げ、様々な観点から物事を学ぶ
ことを可能にしてくれるという点にある。一度日本の外に出ると、日本語で表現され
ている「世界」と英語で直接接する「世界」との間には大きなギャップがあるという
ことに気付かされるのである。さらに、色々な国と比較することによって、自分の
国、日本も以前にもましてよく見えるようになる。しかし残念なことに、外国語教育
は日本人にとって厄介で、いつになっても解決法が見出せない不思議な問題である。
現在私は五カ国語を操ることができるが、それらを習得する過程で得た答えは、「あ
らゆる人に適用できる一貫した外国語教育は必ずしも存在しない」というものだ。
同じ外国語教育で、皆が皆一定した進歩を遂げることは難しい。行き着くところ、外
国語を習得しやすい人としずらい人とがいるからだ。一人一人の性格まで知ることが
できない以上、「外国語習得法」などという本は書けない。そこで、今回のレポート
では、私個人の経験をもとに、私の目から見た日本の外国語教育の問題点について考
えてみたい。
私は生まれつき、外国語、特に英語に興味があった。残念ながら、バイリンガルにな
るような環境に生まれたわけでもなく、幼少時代に海外で生活した経験なども全くな
い。ただ好きで、一人で学んでいたのを覚えている。歌を聞いてその曲が好きになる
のと同様、外国語の「音」に惹かれていたのだった。中学校に入学する前から独自に
英語を学び始め、将来は映画に出てくる俳優のように話せるようになりたいと望んで
いたものだ。父によると、当時の私は車を見た時には即座に、車体の後ろに書いてあ
るローマ字の車名を自然に読んで発音していたのだという。
そんな私にとって、中学入学当時理解できないことがあった。英語の授業である。
「なぜ、文法というものを勉強しなければならないのか」という疑問であった。「話
せればいいじゃないか」といつも思っていたからだ。しかしやむを得ず勉強をした、
というよりもさせられたというべきだろう。そして三年生の時には、高松宮杯英語弁
論大会において県大会優勝をした後、全国大会に出場した経験がある。が、振り返る
と、なぜ優勝できたのか理解できないのだ。英語教師が熱心に協力し、適したトピッ
クを作成してくれたということはもちろんあるが、正直、私にとってはただ文章を暗
記してスピーチしていただけのことであった気がする。しかし審査員は、「外国人み
たいな中学生が出たよ」と評価していたという。
その一方で、学校の試験については全くダメであった。「文法が分からない」のであ
る。あの当時、英語が話せるのだからもちろんテストの点数もいいはずと皆に思われ
ており、内心とても恥かしい思いをしていたのをよく覚えている。外国語教育に力を
入れている、ある東京の有名高校を受験してみた経験もあるが、まるで哲学の試験を
受けているかのようで、手が届かなかった。
そんな日本での英語教育を普通に受けてきた私も、今では五言語を話すまでになっ
た。私よりも数倍言語能力があり、四十七言語を話す日本人もいるのを知っている。
しかし、こんなことを言うとお叱りを受けるかもしれないが、私はこれまで、外国語
を「がりがり勉強して」覚えた記憶がないのである。「外国語を習得するとは、読ん
で、書けて、話せるということだ」とおっしゃられる方もいるかと思う。そんな方々
にひとつ言わせて頂きたい。「その日本の完璧教育が、たくさんの日本人生徒を絶望
させてきたのではないか」と。一体どれだけの人々が、「せめて話せるようにだけな
りたい」と願っているのか、私はよく知っている。
また、リーディングとライティングは、文盲の人でない限り会話力の上達と比例する
ということを、私は大学時代に学んだ。従って、話すことができるようになれば同時
に二つの技術も上達するのである。事実私の場合もそうであったし、Joel Saltzman
の”If you can talk, you can write”の中でも述べられている。インド・ヨーロッ
パ語族の言語というのは、日本語と異なり、話し言葉と新聞で使われる言葉の間にそ
う差がないのである。つまり、「話す力」イコール「読み書き能力」でもあるのだ。
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それでは一体どのようにすれば、外国語をある程度早く覚えられるのか。前述した通
り、習得の仕方は人それぞれであり全員に当てはまるわけではないが、ここでは私の
習得方法と、知り合ってきた人たちの中で割りあい進歩の早かった人たちの例を挙げ
てみたい。それらは、言語自体を学ぶこと(内的要因)と非言語を学ぶこと(外的要因)
の二つに分けられる。
内的要因
日本人は基本的にがんばり屋なので、外国語を一生懸命「勉強して」覚えようとす
る。確かに、言語の特徴が大きく違うため、言語構造を知ることは重要である。しか
し、問題は「しすぎて」しまうことで、暗記して詰め込んだ単語あるいは文法は、実
践する時に自然性に欠けてしまうのである。実際、外国語に対応する日本語訳がない
こと、またその逆のケースが頻繁に起こる。表現方法が違うからだ。例えば、日本語
でよく使う表現に、「よろしくお願いします」があるが、これを一体英語でどう訳せ
ばいいのだろうか。迷ってしまう。「お世話様です」の日常フレーズが出てこない。
英語圏においてはそもそもそういう表現がないからである。”Thank you for taking
care of me (!?)”まず使わない。
そこで、なんとなく意味が分かったら、訳さずにそのまま表現を盗んでしまうのが私
のテクニックのひとつだ。言語にはもともと「訳」が存在しないからだ。分かりやす
い例を挙げよう。私はいまだに英語を話す時、強制されて覚えた文法が頭にあるため
に、話が不自然になることが多い。しかし、スペイン語、フランス語を話す時は、文
法をほとんど習っていないせいか、気にせずに自然に出てくる。すると、一番「ネイ
ティブに近い」と言われるのである。
歌を歌う時に、歌詞を考えて歌っているだろうか。おそらく考えていないと思う。言
語もそれと同じで、なんとなく歌えばいいのだ。言語はリズムだ。発音イコール
「音」なのだ。実際、「音楽センスのある人はある程度上達度が早い」というのが知
り合いを見てきて得た印象であるし、ものまねが好きな人、上手な人はみな外国語セ
ンスのある人だと思う。少なくとも、私の知り合ってきた友人たちはそうであった。
「日本人は文法が世界一得意であるが、話せない」というのは今やよく知られた事実
である。一方、「欧米の人々はよく話すが文法ができない」と言われる。彼らの場
合、言語が似ているせいもあるが、なんとなく話しているうちに文法も覚えていると
いった感じである。私の場合、怠けて文法はほとんど勉強しなかったが、本来理想的
なのは文法と会話を両立させることである。一方に片寄るのは避けた方がいいだろ
う。
そこで、日本で外国語を学んでいる人には、できるだけネイティブの「音」を聞くこと
を薦めたい。そして、ある程度の単語レベルがあるのならば、とりあえずそこで勉強
することを控えて会話に励むべきであり、その環境を作る努力をするべきだ。単語と
いうのは、話せるようになれば次から次へと自然に入ってくるものである。日本人は
日常会話を構成するのに、子供が一万語、大人が四万八千から五万語を使用している
と言われている。一方、英語やフランス語などの言語では、千語程度で会話が成り立
つと言う。だから単語については心配無用である。逆に、外国人が日本語習得に四苦
八苦しているのも納得できる気がする。
ついでに言わせて頂くと、日本語の単語が多く且つ難しいというのは、日本人の私で
も経験している。大学院でEU法や国連について学んでいた時、法律用語などはむしろ
スペイン語(他の言語でも同様だが)の方が直接的で解りやすいという利点があっ
た。例えば、「共通外交・安全保障政策」などと日本語で聞くといやになってくる
が、英語では単純な単語で、”Common Foreign and Security Policy”である。「欧
州首脳理事会」=”European Council”。英語の方がすっと入ってくると感じるのは
私だけではないだろう。
外的要因
冒頭で触れた通り、外国語が上達しやすい人と、しずらい人とがいる。これも大学時
代に学んだことだが、この個人差に関してPatsy M. Lightbown とNina Spada両教授
による”How Languages Are Learned(Oxford University Press)”という興味深い
研究がある。インテリジェンス、動機、態度、学び方、といった基準による習得効果
の違いも挙げられているのだが、特に私が納得したのは、「性格」によって成長の過
程が異なるということであり、それは私自身の観察とも一致する。つまり、「明るい
人(extroverted)は 暗い人(introverted)に比べると覚えが早い」という結論で
ある。また、Guiora, A.の研究では、アルコールが体に含まれている状態の時、つま
り酔っ払っている時に外国語を話すと普段よりも発音がいいといった結果も出されて
いる。
なぜ明るい人の方が、成長が早いのだろうか。それは、単純によく話すからであり、
恥ずかしがらないからということだと思う。従って、外国語を覚えるためには「恥の
文化」は取り払った方がいい。日本人が外国語を話せないのは、日本の完璧教育が
「間違えることは恥ずかしいことだ」などという錯覚を覚えさせてしまったからでは
ないだろうか。
「文化」の話が出たが、実際言語と文化は切っても切り離せない。この関係は言語自
体よりもっと複雑で、この段階でつまずく日本人も多いのではないだろうか。言語は
時間の問題で、必ず話せるようになるものではあるが、文化が解らないと会話が成立
しないというのが現実である。日本と欧米諸国は文化的にも大きく違うので、ここに
も越えなければならないハードルがある。欧米の人々には言ったことを直接的に理解
しようとするコンセプトがあり、Aと言ったらAであり、Bを暗示するというような日
本的概念はないのだ。
例えば、情熱の国々スペインや南米の人にとって「Te Quiero(愛している)」の言葉
は当たり前の表現である。そんな言葉をめったに口にしない日本人はそれを遠まわし
に表現しようとするが、それでは彼らには意思が通じず、本当に愛しているのかどう
かが理解してもらえなかったりする。これが私の言う、「言語は話せても、コミュニ
ケーションが取れていない」という現象である。
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もっと自由な外国語教育を
外国語教育に限っては、その他の学問と異なり、もっと自由な方法があっていいと思
う。そして、現在の日本のように、受験勉強ができるエリートだけがこの教育を受け
られるような環境を作るのではなく、いかなる人間でも気軽に学べる環境を広めるべ
きである。エリートでも外国語につまずき、普通の学生、あるいは子供でも覚えてし
まう人がいるという現実は、私がこれまで述べた通りだからだ。外国語の習得には、
日本的な意味での「頭のいい人間」よりも、明るくてよく喋り、社交性のある人間の
方がより適している。強調するが、この学問においては、いわゆる「頭のいい・悪
い」は意味を持たない。この辺りのステレオタイプ化した考え方が、今日の日本の外
国語教育における重大な間違いである。
外国語を習得することは、世界を広げ、様々な観点から物事を学ぶことを可能にす
る。そこから比較するという技術を身に付けることで、自分の国も以前にもましてよ
く見えるようになるのは周知の通りである。私もまだまだ学び足りず、これからも
もっと言語を楽しく、気軽に覚えていきたいと思っている。そして、他文化を吸収す
ると同時に、母国日本をよりよく理解していこうと考えている。
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