■ 『政策海外ネットワーク “PRANJ”レポート』(2002年1月8日Newsletter配信)
「日本のマチスム社会」 ■ 宮下洋一(スペイン在住フリージャーナリスト)
マチスム、日本語訳では「男性優位主義」とでもなるのだろうか、聞いてもピンとこな
いこの言葉、日本ではいまだに無意識のままである。米国同時多発テロが勃発して以
来、世界の人々はマスメディアを通して、アフガニスタンの現状を目の当たりにする
こととなった。特に注目を浴びたのは、ウサマ・ビン・ラディンもそうだが、ブーカ
をかぶったアフガン女性の姿ではないだろうか。女性であるというだけで、生まれ
持ってきた自分の顔さえも公共の場で見せることができず、教育も受けさせてもらえ
ず、時には重い刑に課せられることもある。男性に縛られた社会である。テレビ、ラ
ジオ、新聞を通して見聞きしてきた人々は怒りを抑えることができなかった。それ
は、女性にはなんの権利も自由もなく、単なる奴隷のように見えたからだ。
欧米の国々では今、女性の平等権が盛んに問われている。実際、ほんの一部のことを
除けば、ほぼ平等に近いと思われる。女性運動もしばしば町で繰り広げられる。それ
だけ意識をし、表現をしているのだ。
そこで、わが国日本はどうだろうか。日本人男性が海外に出るとはっきり感じること
は、女性が強いということ。実際に強いのだろうか。そうではない。日本男性が、わ
が国において女性を「当然のごとく思い通りになるもの」と扱ってきたのだ。その行
為が、わたしには、アフガン男性のそれとダブって見えることもある。大げさかもし
れないが、それに近いことが、日本の世の中では繰り広げられているのを否定できな
い。
誤解を避けるために強調しておきたいが、わたしは文化を批判することは正しいと
思っていないし、それがとても嫌いである。文化には優劣はなく、また善悪もない。
それは単なる文明の進化に差があるだけだからだ。自民族優越思想(Ethnocentrism)
的な発想はできるだけ避けたいと考えている。しかし、ある違いを紹介し、文明の進化
にポジティブな影響をもたらすことに協力できるのならそうしたいと思っている。
今回の記事はそういう意図で書くつもりである。それには、やはり比較というものが
必要になってくる。欧米社会と比較をし、日本におけるマチスムの実態について、
わたし個人の経験も含めて述べたい。
女性が家事、男性が働く、といった今までの典型的なシステムはなくなってきている
ような気がする。つまり、今日、男女共々普通に働くことが当然の世になった。とり
わけ、わたしが育ってきた世代では、母親が働いているのはごく当たり前であった。
わたしの父と母は共に働き、協力し合っている。
それでも、母親は外で働いている傍ら、洗濯、掃除、料理全てをこなしていた。そん
な光景を見てきたせいか、いくら夫婦共働きでも、自然と女性は黙々と働くものなの
だと思ってしまっていた。しかし、海外に出てみると、なぜかそんな根付いた日本の
習慣が不思議に見えてきたのである。家庭内での、「いい奥さん」とは、日本において
は前述したような女性なのかもしれない。しかし今の世の中、それでは平等が成り立
たなくなっている。
食事中のことである。「ちょっと、水持ってきてくれないか」といった単純発言にさえ
も、海外の女性は「なぜ、わたしが」というように考える。日本では言わなくても、
女性が先に気づいて行動に出る仕組みになっていないだろうか。わたしの場合、フラ
ンス人妻に何かを頼むときには、必ず言い返されることを考える。その瞬間に自分が
やればいいのだ、日本のクセが出たという気にさせられる。
また、女性ではダメだ、といった一般的概念もどこかにある。政治の世界がそうだ。
男性が大半を握るこの世界、彼らが国をコントロールする形態になっている。理想と
現実とは言うが、わたしは、それは変だと思う。なぜなら、国には女性が存在するか
らだ。男と女は感性も異なり、女性なりの考え方もあるはずだからだ。スウェーデ
ン、ノルウェー、デンマーク等北欧の国々では、現在女性政治家の割合が40%から50
%を占めている。
小泉政権スタート直後、スペインの全国紙「エル・パイス」では、田中真紀子外相を
始め、女性政治家五人の写真が一面に登場した。日本という国においては珍しいとい
うジャーナリストの判断がどこかにあったのではないだろうか。わたしは、これこそ
が世界での小泉評価につながった一番の要因だと思っている。
国際カップルの例を見ても気づくことがある。外国人男性が日本人女性を交際相手に
している状況がいたるところで見られる。友人のフランス人ロランは以前わたしに、
「日本の女の子は何でもやってくれる、うるさくない」と評価していた。一方、日本の
男性が欧米の女性と交際している比率が非常に低いのは、自分の意志をはっきりと表
現し、批判をされたりすることに耐えられないためだ。バルセロナで日本食レストラ
ンを長年経営し、現地の奥さんを持つNさんは、「やっぱり、日本人女性のほうがいい
よ。だって、ハイハイ言うからさ」と、わたしにつぶやいた。わたしの場合、確か
に、そういった気持ちを納得することができる。だが、それは日本の基準であって、
世界の基準ではない。わたしは、自然とそんなことを妻から学んだような気がする。
男のわがままだけが通るべきではないのだ。
自らの思い通りに行かない。それが日本人男性独特の悩みなのではないか。その他に
も、数々の場面で、日本がマチスム社会であることを感じさせられる。海外に出るこ
とによって、自分の国がよりよく見えてくるというのは、こういうことなのかもしれ
ない。わたしがもし、今日本で生活をしていたら、マチスム社会の意味も態度も理解して
いなかっただろうと思う。だから、敢えて外から日本に向けて書いているのだ。
外国をイメージする言葉に「レディーファースト」というフレーズがよく使われる。わ
れわれにとっては少し変わった行動だからだ。それを意識しすぎるためか、わたし自
身も含めて、女性へのエスコートがどうもぎこちない。頭では理解しているのだが、
行動にスッと出てこない。日本の習慣が出てしまうのだ。自分から先に戸をあけて中
に入り、メニューも先に頼み、先に出て行ってしまう。いろんなところで現れている
のだ。
一体、「いい奥さん」とは何を意味するのか。料理が上手だとか、洗濯、掃除ができる
女性を、暗黙の了解においてそう呼ぶのか。今の時代一体どれだけの日本人女性が
マチスム社会(これがどういうことであるか、はっきりと理解はしていないと思いますが)を
意識し、不満を持ち始めているだろうか。そんな過渡期だからこそ、日本はどうなのかを
敢えて、比較という立場で示したかったのである。
これからは、お互い男女二人三脚でバランスをとることが大切である。このよう
に、日本のマチスム社会は世界でも変わった現象のひとつだと見える。「おい、風呂入れ
るか」「飯できているか」が、われわれ日本文化独自の習慣または美徳なのだという考えが
あり、それに不満を持っていないある特定の日本人女性を除いての話ではあるが。
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